Index Top 第5話 興の無いクリスマス |
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第1章 一ノ葉のアルバイト |
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冷たい風が吹き抜けていく。 年の瀬も迫り、気温は低い。大学は冬休みに入っている。 厚手のコートとマフラーを着込んだまま、初馬は神社の境内を歩いていた。敷地は広く、よく手入れされた神社。靴が石畳を踏む音が耳に聞こえてくる。 世間ではクリスマスイブと騒いでいるが、自分にはさほど関係がない。 「さすがに寒いな……」 正面を見ると本殿があり、賽銭箱が置いてあった。その前に並んでお参りをしている人が三人ほど。休日は人が多いのだが、さすがに平日は人の姿もまばらである。年末年始は呆れるほど人がごった返すのだが、今は嵐の前の静けさだ。 「さて、一ノ葉はちゃんとやってるかな?」 そんなことを呟きながら、社務所へと歩いていく。 社務所の近くにあるお守り売り場。ずらりと並んだお守りやお札。 その奥に佇む高校生くらいの少女。長い黒髪と色白の肌。そして、白衣に緋袴。退屈そうな眼差しで、木の葉の落ちたケヤキの枝を眺めていた。式神変化でほぼ人間の姿に化けた一ノ葉である。素人目には人間でないとは分からないだろう。 見た限りでは、巫女さんのバイトをしている女子高生だった。 後ろでは石油ストーブが暖気を吐き出している。 「よぅ」 初馬は右手を挙げつつ、声を掛けた。 それで気がついたのだろう。ぼんやりとしていた一ノ葉が目を向けてくる。今まで感情の移っていなかった黒い瞳に、不機嫌そうな光が灯っていた。 眉根を寄せて、冷たく一言。 「何しにきた?」 「冷やかし」 初馬の即答に、一ノ葉が人差し指を立ててみせる。 「堂々と言い切るな、アホが。いちいちこんな時間に見に来る必要はないだろ。冬休みは大学無いんだから、夕方くらいまで寝てろ。むしろ、冬眠してしまえ」 「やれやれ。せっかく人が見に来てやったのに」 初馬は頭を掻いて辺りへと視線を漂わせた。 朝九時過ぎ、お守り売り場にいるのは一ノ葉一人だけ。他人に会話を聞かれる心配もない。もっとも、周りに人がいても普通に悪態を付くかもしれない。 「要らぬお世話だ」 予想通りの反応に満足しえつつ、初馬は一ノ葉を見つめた。神社から借りている巫女装束。首のチョーカーは術で隠してある。 「そろそろ慣れたか、このバイト? お前は適応が早いから大丈夫だとは思うけど。明後日から一気に人が増えるぞ? 覚悟はできてるか?」 視線で境内を示しながら、初馬はそう告げた。どこの神社仏閣でも言えることであるが、正月前後は一気に人が増える。まさに稼ぎ時だ。 一ノ葉は指で髪を弄りながら、 「それにしても、ワシは何故こんなことやってるんだ?」 「これ」 初馬はポケットから一枚の紙を取り出した。 私、一ノ葉は白砂初馬より現金二万四千円を借ります。借りた金銭はどんな手段を使ってでも、必ず返済致します。 一ノ葉 「………」 目蓋を落として、じっと借金証明書を見つめる。 パソコン印刷されたA4の紙。一ノ葉の右前足の拇印が成されている。それは、初馬から借金をしたという証書だった。借りた金は寝床用の高級タオルケットとペット用電気マット、その他本類に使われている。ちなみに、利息はついていない。 「金を稼ぐのがこれほど大変だとは思っていなかった。ワシは甘かった……」 右手でこめかみを押さえて、呻く。 本人としては初馬の退魔師の仕事を手伝った金で返すつもりだったらしい。しかし、初馬は見習い準二級退魔師。一級退魔師ならともかく、普通は退魔師資格を持っていても学生に仕事は来ない。一ノ葉にも収入が無く一円も返ってこないまま一ヶ月が経ち、結局アルバイトをすることを決定した。 「とはいえ、何故神社の巫女のバイトなんだ? 普通のアルバイトくらいあるだろうに。答えは訊くまでもないのだろうがな」 一ノ葉が不満そうに両腕を広げている。白衣の袖が広がった。 今は初馬の親戚の白砂一葉と偽り、近所の神社で雇って貰っている。この神社の神主は初馬の知り合いだったので、すんなりと採用された。いわゆるコネ採用だ。昨日から巫女さんのバイトを始めている。 無論、巫女装束が似合うだろうという理由で巫女さんのバイトをさせたのが、それだけではない。それはおまけ程度の意味である。 初馬は断言した。 「お前に普通の接客業できるとは思っていないよ」 「うぐ……」 自覚はあるのか、一ノ葉がたじろぐ。黒髪が揺れ、白衣の布擦れの音が聞こえた。 一ノ葉は言葉使いが悪い上に、態度も悪い。古風な喋り方は誤魔化せても、態度の矯正は難しい。普通の接客業では、ほどなく客と一悶着起してクビになるだろう。 初馬は空を見上げた。冷たく澄んだ青い空。 「年賀葉書の仕分けってのも思いついたけど、それも無理そうだし。一番無難そうな巫女さんのバイトにしたわけだ。俺もこっちに来てから一年経ってないし、どんなバイトあるのか知らないから」 「そういえば、貴様はアルバイトはしたことないのか? 最近の若者は、アルバイトで自分の小遣いを稼いでいるようだが――」 一ノ葉が訊いてくる。単純な好奇心だろう。 今はいないものの、一ノ葉と一緒に巫女さんのバイトをしている女子大生もいる。そこから他のバイトの話も聞いているらしい。ちなみに、一ノ葉は神主の親戚か何かと思われているようだった。大人しくしているなら、清楚なお嬢様である。素の口調で喋り出したら、化けの皮は剥がれるが。 高校生の頃を思い出しながら、初馬は首を振る。 「無いな――。退魔師ってのはバイトやってる余裕もないから。家に帰ったら三時間は修行だし。家の手伝いって名目で小遣い稼ぎはしたことあるけど」 霊術から政治的交渉術まで、退魔術は学校などでは学ぶことのできない特殊技術だ。学校が終われば、その勉強をしなければいけない。アルバイトをしている余裕はなかった。それでも時間を作って遊んだりはしていたが。 一ノ葉に目を戻してから、初馬はぱたぱたと手を振った。 「正月明けまで働けば、俺からの借金返して十分お釣りが来るくらいは儲けられるだろ。時給は普通だけど、正月は特別手当も出るみたいだし。頑張れよ」 「分かっている。ワシは約束は守る主義だからな。きっちり返してやるわ」 腕組みをしてから、憮然と一ノ葉は答えた。長い黒髪が揺れる。返す気は満々であるが、心配は消えない。まあ、大丈夫だろう。 それでも、テコ入れとして初馬は告げた。他人事のように。 「金返せなきゃ、借金式神なんて呼ばれるだろうからな。てか、もう一部でそう呼ばれてるからな。放っておくと変なアダ名が広がるぞ?」 「借金、式神ぃ……?」 その言葉を繰り返しながら、一ノ葉は顔を強張らせる。思いの外堪えたらしい。唇が震え、身体を仰け反らせていた。暑くもないのに、頬に冷や汗が浮かんでいる。 実家の妹に一ノ葉の事を話したら、そう言われた。借金式神。既に実家では広まっているだろう。下手に長引かせると、親戚中に広まる可能性もある。式神に変な噂が立つと、初馬にとってもダメージはあるのだが、今は笑い話の範疇だろう。 「だから、早く返せよ」 「分かっている」 答えた声に先程までの余裕はなかった。 初馬は並んだお守りやお札を眺める。神社のお守り売り場。特別斬新なものは置かれていない。斬新なものが置かれていても逆に怖いだろう。 「おみくじでも買ってみるか」 「百円だ」 右手を差し出しながら、一ノ葉が言ってきた。 眉を斜めにしたキツイ表情。普通の接客の時は営業スマイルを作っているようだが、初馬相手にそれをする気はないらしい。 だが、初馬はにっこりと微笑みながら、 「スマイル」 「………」 帰ってきたのは沈黙。 笑顔のままの初馬と、怒り顔の一ノ葉。 数秒の睨み合いの後、屈したのは一ノ葉だった。 額に青筋を浮かべたまま、強引な笑顔を作ってみせる。頬を無理矢理持ち上げ、口元と目を笑いの形にしていた。だが、目付きは笑っていない。 「ひゃく円です」 「ほい」 初馬はポケットから百円を取り出して、差し出された手の平に乗せる。 一ノ葉は百円を小銭入れに収めてから、御神籤箱を手で示した。年期の入った六角柱の木箱。側面に「おみくじ」と書かれていて、上の部分に小さな穴が開いている。 「どうぞ、おひとつお引き下さい」 棒読みの台詞を聞きながら、御神籤箱を振って出てきた棒を手に取る。先端に二十三という数字が書かれていた。御神籤箱を置いてから棒を一ノ葉に渡すと、慣れた動作で傍らの小さな棚からおみくじを出し、両手で差し出してくる。 「どうぞ」 「ありがと。思ったよりもちゃんと出来てるな。偉い偉い」 おみくじを受け取りながら、初馬はごく普通に感心していた。多少ぎこちないことも覚悟していたが、予想以上に手慣れた動きである。さすが適応が早い。 「これくらい、三十分も教えられれば普通にできるようになるわ、ボケ」 飛んでくる罵りを聞き流しながら、初馬はおみくじを広げた。 おみくじを引くのは、子供の頃から好きだった。大吉が出れば嬉しいし、たとえ大凶が出てもそれはそれで面白い。何が出て来るのか分からないのが、クジの醍醐味だと思う。 「末小吉……」 現れたのは見慣れない文字だった。 「って、何? どれくらい吉なんだ?」 訳が分からず初馬は一ノ葉を見つめる。一緒にお神籤の文字も見せた。 少し前までは、大中小吉に吉、凶、大凶の六種類だった。半年前に興味本位で引いた時はそうだったと記憶している。何が出てくるのが分からないから面白い――とはいえ、本当に分からないものが出てしまうと、戸惑うしかない。 一ノ葉は呆れ顔でおみくじを見つめながら、 「神主の爺さんが、お神籤の概要を増やしたとか言っていた。これが新しいおみくじの概要だ。貴様が引いたのは……上から8番目だな」 そう一枚の紙を見せてくる。新しく作られたおみくじの格付けのようだった。 『新おみくじ概要一覧 大大吉、大吉、中吉、小吉、吉、半吉、末吉、末小吉、凶、小凶、半凶、末凶、大凶、大大凶』 「あの爺さんは、また思いつきで変なことして。そう簡単に種類増やしていいのか? 神道的な立場から考えて? そもそも何で十四種類もあるんだよ。おみくじ種類日本一でも目指してるのか? まったく」 末小吉のおみくじを握ったまま、初馬は額を押さえる。 「ワシに愚痴るな」 一ノ葉がため息混じりに言ってきた。 |