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前編 ハチミツのようなもの


 ニルナ魔術大学院の研究室。
 博士号取得に向け、カイムは研究を続けていた。
 焦茶色の髪を短く刈り、黒い服の上にきれいに洗濯された白衣をまとっている。右胸には大学院の紋章が刺繍されていた。大学生の頃は、学年でも常に十位以内に入るほどの成績で、二十一歳の若さにして修士の称号を取得している。現在も、自分用の研究室を宛がわれていた。
 論文の主題は、飛行魔術について。
「マスター、終わった?」
 ふわりと妖精が飛んでくる。
 手の平に乗るほどの女の子。十代前半ほどの外見だが、カイムよりも年上と言っていた。ロングの赤い髪。帽子とワンピース、靴を緑色で揃えている。透明な羽が四枚。
 研究のために契約している妖精のミィである。
「終わったぞ」
 カイムは書類を持って、机から立ち上がった。
「これを提出して、今日の研究はおしまい」
「じゃ、終わったら、一緒に遊ぼう」
 カイムの手を揺すりながら、ミィは笑った。
 精神年齢は幼いため、じっとしているのが辛いらしい。
「そうだなぁ。今日は何するか?」
 遊びといっても、カードゲームやボードゲームなどである。研究の後の息抜きとしては最適なので、いつものんびりと遊んでいる。
「チェスしよ。今日は負けないよ」
「いいぞ。その前に、書類提出してくるから。ミィは待っててくれ」
 カイムは書類を持って立ち上がり、入り口に向かった。
「いってらっしゃーい」
 手を振るミィを眺めながら、カイムは部屋を出た。


 カイムが出て行ってから、ミィは部屋を見回す。
 カイムが戻ってくるまでやることがない。
「暇ー」
 呟き、羽を広げて飛び上がる。
 部屋の中を一周してから、冷蔵庫の前で止まった。
 魔力石を動力源に、冷気の魔術で中の物を冷やす仕組みである。一度魔力を補充すれば、一週間は動き続ける。時々、補充を忘れて慌てていた。
 ミィは全身に魔力を通し、取っ手を掴む。
「えい!」
 後ろに飛んで一気に引き開けた。
 身体を撫でる冷気に身震いしてから、中身を物色。研究中に食べる軽食に混じって、薬品も並んでいる。身体に害のない薬品なので、一緒に保管しても平気らしい。
 ミィは蜂蜜の瓶を両手で抱えてから、肩で扉を押し冷蔵庫を閉めた。
 蜂蜜瓶を持って、カイムの机に戻る。
 金属の蓋を開け、中を覗いた。
「うわ。美味しそう」
 瓶の中に右手を突っ込み、ミィは蜂蜜をすくい上げた。手に絡みつく粘り気を帯びた黄金色の液体。甘い匂いが鼻をくすぐる。
 ミィは蜂蜜をまとった手を舌でぺろぺろと舐めた。
「あまい♪」


「ミィ。何舐めてるんだ?」
 部屋に戻り、カイムは机の上で蜂蜜のような液体を舐めるミィを発見した。
 蜂蜜入のような瓶に入っているが、明らかに蜂蜜ではない。
 ミィは液体を舐めながら、答える。
「蜂蜜だよ。冷蔵庫に入ってた」
「それ、蜂蜜じゃないけど」
 椅子に座り、カイムはチリ紙を手に取った。
 ミィの身体を手で摘み、瓶から引き離す。手についた蜂蜜をチリ紙で丁寧に拭き取りながら、どこか気まずげに答えた。
「催淫剤だ」
「さいいんざい?」
「発情する薬。もしくは物凄くエッチな気分になる薬」
 カイムの答え、ミィは身体を硬直させる。
 数秒ほど固まってから、
「何ソレ!」
 手から抜け出し、叫ぶように声を上げた。
「何でそんなもの、冷蔵庫に入れとくの!」
「元々魔術薬の材料として手に入れたんだ。厳密には催淫効果は副作用なんだけどね。麻薬の一種だから手続き大変だったよ。大量に余ってどうしようかと冷蔵庫に放り込んだまま忘れてた。どーしよう?」
 頭をかきながら、カイムは呻く。魔術の材料として必要だった。生き物が摂取すると、強い催淫効果をもたらす。その他に害はない。
 ミィは慌てて飛び上がった。カイムの目の前まで飛んで、睨み付ける。
「どーしようって――解毒薬とか持ってない!」
「ない。作るのに六時間かかる」
 緊迫感なく呟いてから、目を逸らす。
「えーと、こんなこと女の子に訊くのも何だけど……オナニーってしたことある? 自慰とかマスターベーションとも言う。自分で胸触ったり、大事なところ触ったり」
 ぼふ、と、ミィの頭から湯気が噴き出した。
 無論、錯覚である。だが、本当に湯気が吹き出したような気がした。いや、錯覚ではないかもしれない。恥ずかしさのために、顔を真っ赤にして目を回している。
「ないないない、ないよ! あるわけないでしょ!」
 ぽかぽかと叩きながら、全力で否定した。
 カイムは他人事のように呟く。
「だよねぇ。どうやって耐えるか?」
 瓶の蓋を閉めながら、
「何度か果てるまで効果は続くらしい。ていうか、もう効果現れてる」
「え、え?」
 ミィは自分の身体を見下ろした。
 見たところ異常はないように思える。が、両足をすり合わせていた。無意識のうちの行動だったのだろう。驚いたように足を押さえる。
 机の上に降りて、ミィは呟いた。
「……なんか、気持ちよかった」
 カイムは人差し指を伸ばし、ミィの耳に触れた。尖った耳の縁をそっと撫でる。
「ひゃっ!」
 ミィは悲鳴を上げて、耳を押さえた。
 押さえてから、驚いたような顔をする。
「何? 耳が痺れた……」
「どうする? いや、ぼくも答えを期待してるわけじゃないんだけど。何もしないで耐えるのはかなり辛いぞ。自分で慰めるっていうなら、終わるまで席外すけど」
 カイムは頭をかいた。
 自慰の最中を見られるのは、猛烈に気まずい。男でもそうなのだから、女の子なら恥ずかしさで死にたくなるだろう。
「わたし、自分で慰めるって何していいか分かんないよ……」
 泣きそうな顔で呟いてから、飛び上がってカイムの指を掴む。
「マスター。お願い何とかして! 何しても文句言わないから、お願い!」
「それは、ぼくに好き勝手に身体を弄らせる――ということかな?」
「うん。マスターなら信用できるし」
 頷くミィ。
 顔は真っ赤になっている。薬は催淫作用の他にも、弱い酩酊作用もあるらしい。半分酔っぱらったようになってるのかもしれない。
「身体がむずむずしてる……」
 ミィは机に降りて、身体を抱きしめた。
「まー。一応ぼくも男だからなー。無茶なことはしないけど、途中で止めろとか言われても止らないかもしれないぞ。それを覚悟の上で言ってるのか?」
「うん。何でもいいから早く……!」
 その場に座り込む。覚悟はできているようだった。

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