Index Top 第2話 昨日とは違う今日 |
|
第2章 朝の一騒動 |
|
ボウルの中に卵を割り入れ、牛乳と砂糖を加えてよくかき混ぜる。 それをトレイに移してから、斜めに切った食パンを浸け込んだ。卵液が食パンに染み込むまで少し時間がかかる。 リクトはフライパンとバターを用意し、短く息を吐いた。 気配を感じて、目を移す。 ドアが開き、小柄な少女が台所に入ってきた。 小学生高学年くらいの背格好。銀色の長い髪に褐色の肌。そして、頭に生えた狐耳と腰から伸びた尻尾。腰に細い帯を巻いた、前合わせの青い長衣を着ている。寝間着の一種だろう。ミナヅキの妹のジュキだった。 腰の帯の後ろには、大きな扇子を差している。 「おはよう」 「!」 肩を跳ねさせるジュキ。狐耳と尻尾がぴんと伸びた。 顔を強張らせながら、赤い瞳を見開きリクトを凝視する。見つめられたリクトが思わず硬直するほどの強烈な視線だった。 が、すぐに身体の力を抜く。へなりと尻尾が落ちた。 「ああ、お主か。姉様かと思ったぞ……。脅かすでない」 「ミナヅキは八時前まで寝てるって言ってたぞ。俺が普通に動いてるのに、どういう仕組みで眠ってるかは分からないけど」 尖った三角耳を指で撫でつつ、リクトは告げる。 窓から差し込む朝の日差し。時間は午前七時十五分だった。ミナヅキが寝ると言って眠ってから、ミナヅキの意識は全く感じない。眠っているようである。 「ふむ、そうか」 ジュキは二度首を縦に動かし、自分の胸に親指を向けた。寝間着の生地を押し上げる、緩やかな曲線。身体は小さくとも、それなりにあるようだ。 「妾たち妖魔の本体はあくまでも核じゃ。姉様とお主がひとつの身体を共有している状態なら、意識の方だけ眠って身体の方はすっぽかせる」 「凄い適当な構造だな……」 リクトは単純に呆れる。人間を含む生物は身体と脳が完全に連携しているが、妖魔はそうではないようだ。荒っぽい言い方をしてしまえば、機械のようである。 「その適当さが妾たち妖魔の強みよ」 にやりと口端を上げるジュキ。狐耳を立て、尻尾を一振りする。口元から小さな牙のような八重歯が覗いていた。リクトにはよく分からないが、ジュキは自身の特性を理解しているのだろう。その表情からは強い自信が読み取れる。 笑みを引っ込め、調理台に置かれているトレイに目をやった。 「それでお主は何をしているのじゃ?」 「朝食作ってる。ミナヅキに頼まれた」 トレイを指差し、リクトは答える。 白かったパンが淡い黄色に染まっていた。一応トングで摘んで裏表をひっくり返す。 「ほうほう。見たこともない料理じゃが、美味しそうじゃのう」 トレイをのぞき込み、ジュキが鼻を動かしている。赤い瞳をきらきらと輝かせながら、尻尾を左右に動かしていた。エサを前にした子犬のような反応である。 「フレンチトーストだ。甘くて美味いぞ」 「ふむ」 両腕を組み、満足げに頷いてから。 不意に言ってきた。 「ところで、姉様の身体の具合はどうじゃった? 気持ちよかったか?」 「………」 無言のまま。 硬い表情でリクトは視線を逸らした。頬を冷や汗が流れ落ちる。意識せずとも頭に浮かぶ昨晩の出来事。このような場合は、知らぬ振りをすればよかったのだろう。しかし、リクトはそこまで器用ではなかった。 「とぅっ」 床を蹴り、ジュキが飛び上がる。見上げるほどの高さまで。軽く一メートル以上は跳躍していた。腰に差していた扇子を右手で引き抜き、頭上へと振り上げる。 「天誅ゥ!」 ガゴンッ! 硬い音が、どこか遠くで聞こえた。 視界が白く染まり、全ての音が消える。 それもほんの数秒―― いや一瞬だっただろう。吹き飛んでいた感覚が、戻ってくる。 「――ッ!」 鼻の奥から下腹まで突き抜ける衝撃。 半拍後れて、全身が痛みを認識する。 「ィィァ……たアアアぁぁアッ――!」 両手で頭を抑えながら、リクトは叫んでいた。身体から力が抜け、その場に膝をつく。両目に涙が滲んでいた。口外の奥が軋み、背中やみぞおちが痺れている。呼吸もままならない。硬い金属で脳天を殴られたような激痛だった。 扇子を持ったまま、ジュキが数歩後ろに下がる。 痛みは割合速く引いてきた。荒い呼吸とともに、リクトは立ち上がる。 「ぐ……。頭割れるかと思った……」 打たれたあたりを撫でてみるが、コブなどはできていないようだった。ミナヅキの構造を考えるに内出血のような事が起こるとも思えないが。 扇子を動かしながら、ジュキが不敵に笑っている。 「叩き割ってもよかったのじゃが――。どうせ姉様の身体じゃ、頭割ろうと身体縦に割ろうと死にはせん。とはいっても、さすがに一般人その1にそこまでするのは大人げないかと思っての、妾も手加減した。感謝するのじゃぞ?」 と、扇子を向けてきた。 「てか、何で痛いんだよ? 昨日包丁で手切った時は痛くなかったのに」 夕食の料理中に、包丁で指を切り落とした。さらに包丁で腕まで切断した。その時は切った感触と軽い衝撃はあったが、苦痛と呼べるものは無かった。 しかし、ジュキの放った一打は、リクトに強烈な痛みを叩き込んでいる。 「命断の式」 静かに、ジュキが口を動かした。 扇子を少し開き、口元を隠す。赤い瞳がすぅと細められる。からかうような、しかしどこか不気味な表情だ。ゆっくりと波打つように尻尾を動かしている。 「不死の輩を殺す術じゃ。それを鉄扇に軽くかけてぶん殴った」 ぱたりと扇子を閉じて横に振る。鉄扇。鋼鉄の板を骨とした扇子で、武器の一種だ。大きな扇子に見えて、その実立派な鈍器である。 「半液体の身体は斬られても打たれても身体が壊れても、それを苦痛としては認識せぬ。だが、命断の式が乗せられた打撃は、さすがの姉様の身体でも命の危険がある攻撃と判断するのじゃ。痛みを感じるのはそのせいじゃの」 「そんな事してミナヅキ平気なのか?」 「………」 無言のまま。 ジュキは視線を横に逸らした。 狐耳が垂れ、尻尾が動きを止める。 さっきの自分はきっとこんな反応をしたのだろう。他愛のない事を考えながら、リクトはジュキを眺めていた。 「姉様は妾より強いし大丈夫じゃろう」 小声でぼそぼそと言い訳する。 一度息を吐き出してから、ジュキは再びリクトを睨み付けた。 「それよりも貴様――」 つかつかと詰め寄ってくる。すぐ目の前まで。 身長百四十センチほどの小さな身体。百七十センチはあるミナヅキと並ぶと、その小ささがはっきりと分かった。ぴんと立った銀色の狐耳が動いている。 赤い瞳でミナヅキの胸を凝視し、両手を持ち上げた。 「この姉様の身体を好き勝手弄くり回したというのか!」 叫ぶなり、いきなりリクトの胸を掴んだ。 「おうっ!」 おかしな声がリクトの喉から漏れる。 ミナヅキの身体であるリクトの胸を、ジュキは両手で遠慮無く揉みしだいていた。両目を見開き、鼻息荒く。大きな膨らみがジュキの細い手によって形を変えている。 「全く、けしからん! 妾もまだ姉様と身体を重ねた事はないというのに、何故ぽっと現れた貴様のような男が、姉様の身体を好き勝手堪能しているのじゃ!」 「待て、何言ってる――んだ……!」 後退るリクトだが、ジュキは構わず踏み込んでくる。 縁から先端まで胸全体の形を確かめるように、ジュキの手が動いていた。撫でるような優しいものではなく、貪るような卑猥な手付きである。 「羨ましい事この上ないわ! 妾も姉様のこの整った身体を気が済むまで――」 ゴキッ! リクトの拳がジュキの脳天に叩き込まれた。 「!」 がくんと沈むジュキの身体。狐耳と尻尾がぴんと伸び、銀色の髪の毛が逆立つ。 打撃が通じないかとも思ったが、普通に通じたようである。 「ッッ……」 擦れた声を漏らしながら、ジュキはふらふらと後退していた。リクトも手加減せずに殴ったため、相当に痛かったのだろう。両手で頭を押さえ、肩を震わせている。 目元に涙を滲ませ、睨み付けてきた。 「何をするのじゃ!」 「何じゃねぇ! お前も大概変態じゃねーか!」 両手で胸元を押さえながら、リクトは叫び返した。男であった時には感じない恐怖が背筋を撫でる。おそらくこれか貞操の危機というものなのだろう。 「……むぅ」 気まずそうに目蓋を下ろし、唇を尖らせた。 「少々取り乱してしまった。すまぬ」 案外あっさりと頭を下げる。 それからおずおずと言ってきた。 「あと、今の事は姉様には黙っていてくれぬか?」 「まあ、いいけど――」 ジト目で、リクトは返した。 |
14/11/23 |