Index Top 第1話 終わり、そして始まる

第7章 その構造


 さくさくと。
 まな板の上に置かれた野菜が刻まれていく。タマネギ、にんじん、ジャガイモ、ピーマン。冷蔵庫にあった野菜だった。リクトが普通の料理を食べるために用意されたとは、ジュキの言葉である。
「なかなか良い手際じゃのう」
 白い尻尾を動かしながら、椅子に座ったジュキが興味深げに眺めている。他人が料理を作るところを見るのは、初めてなのだろう。
「こう見えても料理は得意なんだよ、俺」
 包丁を持ち上げ、リクトは口端を上げてみせた。
 ミナヅキの身体のまま、頭に三角巾を巻き、エプロンを着け、料理を作っている。
 ガラスのボウル、菜箸、包丁にまな板。キッチンテーブルコンロには水を入れた鍋がかけられていた。調理器具も新品のものが一通り揃っていた。
「何ができるか楽しみじゃ。期待しておるぞ」
 小さく広げた扇子で、ジュキは口元を隠す。しかし尻尾はぱたぱたと左右に動き、興奮を隠しきれないでいた。
 キャベツを切っていると、不意にミナヅキが声を上げた。
「リクトさん、わたしもやってみていいですか?」
 リクトの動かしていた腕を、ミナヅキが動かそうとする。初めて行うまともな調理に、自分もやってみたいと感じたのだろう。
「今は――って危な……」
 リクトは慌てて抵抗した。刃物を動かしている最中に、突然腕を捕まれたようなものである。身体の優先権は当然ミナヅキにあるが、ある程度リクトの意志でも動かせるのだ。それでも好奇心に任せてミナヅキが動かそうとし、二人の意識がぶつかる。
「?」
 一瞬、身体が崩れるような感覚があった。
 しかし、それが何かを考えている余裕はなかった。
「あっ」
 リクトとミナヅキの双方の意志が腕を動かした結果、明後日の方向に刃先が動く。勢いよく、左斜め下に包丁が振り抜かれていた。
 すっ。
 キャベツを押さえていた左手に、包丁が滑らかに切り込む。
 鋼鉄の刃が、左手の人差し指と中指を切った。勢いを消さぬまま下のキャベツを切り、刃先がまな板に当たる。木に刃をぶつけた硬い音が響いた。
「え?」
 思考が止まる。
 包丁が左手の二指を切り落としている。まな板の上に転がる二本の指。抵抗はほとんど無かった。まるでソーセージでも切ったような手応え。ひどく現実味の無い光景だった。
 現実味はないが、現実として切れた指が二本――まな板の上に落ちている。
 千切れた指を見つめ、リクトは数度瞬きをした。
「指……あれ? 痛く、ない?」
 二指の無くなった左手を持ち上げ、呟く。
 痛みはなかった。
 思考が追いついていないのかとも思ったが、違う。痛み自体が発生していないのだ。切れた感触と軽い衝撃はあった。なのに、少なくともリクトは痛みを感じていない。
「どういう事だ?」
 指の断面を見る。
 水色の面があった。骨や肉のような部分は無く、皮膚側から中心まで水色一色である。肌よりも少し色は濃く、僅かに透明感がある。色の濃いゼリーを切ったら、このような見た目になるだろう。
「あ……驚き、ましたか? ……わたしもびっくりしちゃいました」
 左手が握りしめられる。
「えっとそうですね……」
 いくらか考えてから、ミナヅキが口を開いた。
「わたしは単純な構造を用いた高い柔軟性を目的として作られた妖魔です。人間のように決まった筋肉や骨、神経、血管は持っていません。なので身体の一部を失っても、痛みもありませんし、簡単に回復することができるんです」
 つらつらと説明される。肌の色は違うが見た目は人間と変わらないので、無意識に中身も人間とそう変わらないと考えていた。実際はかなり構造が違うようだった。
 ミナヅキが続ける。右手に持った包丁を、左腕に触れさせながら。
「このように」
「へ?」
 すっ。
 鋼鉄の刃が、上から下まで抜けた。
 結果として、切断された腕が床に転がる。
「…………」
 言葉もなく、リクトは切れた腕を凝視した。出血もなく――そもそも血液自体無いようである。切断面は指の断面同様の水色。切った抵抗も無かった。身体の強度を意図的に変えられるようだ。
 そして。
 ずっ。
 腕が溶ける。
 左腕の断面が水飴のように崩れ、切れた左腕も断面が溶ける。向こう側が透けて見える粘度の高い水色の液体。まるで色付きガラスをそのまま溶かしたような美しさ。
 水色の液体同士が触れると同時に、勢いよく溶けた部分が引き戻される。
 バネ仕掛けのおもちゃのような速度で、腕が引き上げられ元通りにくっついていた。
 ミナヅキが包丁を置く。
 まな板の上に落ちていた指を拾い上げ、こちらも切断面を合わせる。
 切れ目が一瞬溶け、混じり、消えた。
「戻った」
 切れた指も、切った腕も元通りに繋がっている。肘を曲げて伸ばし、手を握って開いてみても違和感はない。元通りにくっついているようだ。
「このような具合です。少し違いますけど、大雑把に言ってしまうと、わたしは人型のスライムなんです。単純な破損ならその場で修復できますし、あまりしませんけど極端に身体の構造を組み替えることも可能です。硬度や強度も変えられます」
「スライムか……」
 その事実を知って、大きな驚きはなかった。他人の身体に精神を押し込まれ、さらにそれは人間ではない少女のもの。見た目は人型でも中身はスライムと言われても、衝撃を受けるほどではなかった。
「あと、これは重要な事なんですが――」
 ミナヅキがエプロンをずらし、上着を少したくし上げる。
 露わになったお腹に左手を触れさせ、
「えっ?」
 ずっ。
 腕が身体に潜り込んだ。皮膚をすり抜け、その奥へと。体内に自分の腕を差し込むというあり得ない状況に、リクトは意識を止める。粘りけのあるぬるい水に手を入れているような感触だった。
 ミナヅキは手を胸の方へと伸ばす。みぞおちの奥を通り、その上へと。
 指先に、硬い何かが触れる。
「ッ!」
 全身を走る悪寒に、リクトは息を呑んだ。今の反応がリクトのものかミナヅキのものかは分からない。触ってはいけないものに触れた。本能としてそれを実感する。自分で自分の心臓に触れかのような、原初の恐怖。
「これがわたしの核です。生物でいうなら、脳と心臓をまとめた器官ですね……」
 説明しながら、ミナヅキが核を手で撫でる。手の平で掴めるくらいの正八面体だ。色は分からない。分からないが、何故か漠然と赤いことを理解する。
 形を確かめるように核を撫でてから、ミナヅキが手を引っ込めた。
「強化外殻で保護されていますが、これが破壊されればわたしは死んでしまいます。その場合は、リクトさんも一緒に死んでしまいますので、注意して下さい」
 と、お腹から手を引き抜いた。
 肌には傷もなく、きれいな表面を保っている。上着を下ろし、エプロンを戻してから、二、三度撫でてシワを直した。元の格好に戻る。
「そんなあっさり自分の弱点喋っていいのか……?」
 訳が分からず尋ねる。
 核以外は簡単に修復できるが、核が壊れたら死ぬ。ミナヅキが死んだらリクトもともに死んでしまうが、だからといって致命的な急所を教えていいものか。
「お主が心配するほどのことではない」
 口を挟んできたのはジュキだった。
 赤い瞳をリクトに向け、眉を下ろしている。どこか呆れたように。
「妖魔の弱点が核であるとは、関係者なら誰でも知っていることじゃ。お主が心配するような秘密ではない。もっとも、そう簡単に壊せるような代物ではないがの」
 と、自分の胸に指を向ける。ジュキも胸に核があるようだった。強化外殻。名前の通り非常に硬いものなのだろう。
 それから思い出したように息をつき、
「ま、妾たちの核を壊せる輩には、核とか核以外とかそういう無意味じゃしの……」
 狐耳と尻尾を垂らす。
 この街は余所に比べると無茶苦茶な人間が多いと言われている。オルワージュもその一角だろう。昔 何かあったのかもしれない。
 ミナヅキがまな板に向き直り、包丁を手に取る。
「それでは、お料理続けましょう」
「あ、ああ」
 頷きつつ、リクトは再びキャベツを切り始めた。

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14/8/10