Index Top 第3話 白の休憩 |
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第1章 平穏か退屈か |
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「さて、どうしましょう?」 部屋に差し込む春の日の光。 千景に宛がわれた部屋を眺め、ピアは軽く首を傾げていた。 「朝ご飯の片付けは終わりましたし、荷物の片付けも終わってしまいましたし、ご主人様も大学の入学式に行ってしまいましたから、お昼ご飯の準備をする必要もありません。掃除もほとんど済ませてしまいましたし……」 きれいに片付けられた部屋。それぞれの荷物も片付けてある。千景は大学生活が始まり、今日は入学式だった。アパートの掃除も目の付く所は全て済ませてある。 やることがない。 畳の上に寝転がったシゥが、青い目を向けてきた。 「そんなに悩むことは無いんじゃないか? やること無いなら、日向ぼっこでもしてればいいし。周りにそんなに気を使わなくていい環境ってのは、ありがたいもんだな」 横に氷の剣と銀の小手を置き、力を抜いている。 居候という環境。神社にいた頃のように、神経を削るような警戒をする必要は無くなっていた。ほとんど落ち着く事のなかったシゥも、気を休めることができる。少なくとも、傍目に休んでいるように見えるほどに気を抜いていられる。 それは、非常にありがたいことだろう。 「ノア。その小さなパソコンはどこで手に入れたのです?」 眼鏡を動かし、ノアに目を移す。 声に気付き、ノアが黒い瞳を向けてきた。光の映らない、無感情な眼差し。 膝の上に小さなノートパソコンを乗せている。いつ手に入れたのかは知らないが、気がつくと持っていた。黒い長方形の板をふたつつなぎ合わせたような外見。長い袖から両手を出して、キーボードを叩いている。 「先日、木野崎秋奈さまに頂きました。ミニノートと呼ばれるパソコンです。デスクトップと比べると性能は落ちますが、携帯性に優れます。現在千景さまの使用しているネット回線に無線LAN接続してあります」 てきぱきと回答してくる。 「あきな……さん」 視線を持ち上げ、ピアはその名を小さく呟いた。 木野崎秋奈。千景と一緒に暮らすようになってから、ピアも何度かその名前を聞いていた。千景の親戚で、退魔師。通称、厄介姉妹の姉。ピアたちの監視役の一人らしい。 ミゥが右手を挙げた。 「あ。あのお姉さんですか。ボクもこの間、注射器とか薬とか貰ったんですよねー。千景さん買ってくれませんでしたからー」 「そのせいで吊るされてたじゃねぇか」 シゥが寝転がったまま、呆れの眼差しを向ける。 ミゥが就寝中の千景に投薬実験を行おうとして捕まり、昼まで吊るされていた一件。雨が降りそうな日だったが、昼過ぎに晴れてきたので、ミゥは開放された。晴れなければ翌日までそのままだっただろう。 「次は失敗しませんよ」 右手を握り締め、ミゥが力強い意志の光を目に灯す。 目を閉じて首を振ってから、ピアは静かに告げた。 「……ミゥ、その人から貰った薬品類を全部出しなさい」 居候先の主人に人体実験。千景はさほど気にしていないが、ミゥの立場を考えれば拘束監禁されてもおかしくない事である。昔から好奇心の赴くままに行動する事が多かったミゥだが、さすがにこれを見逃すわけにもいかない。 「何でですかー? せっかく沢山貰ったのに、もったいないですよー。それに、まだ千景さんで実験してないですよ。こんな身近にちょっと無茶しても大丈夫そうな実験対象がいる環境って、滅多にありませんよー」 「没収します。全部出しなさい」 銀色の瞳をミゥに向け、今度は命令する。静かで鋭い口調。普段ミゥたちに向けている依頼や要求、指示という口調ではなく、明確な命令だった。 「何でですかー!」 拒否権が無い事を悟り、ミゥが頭を抱える。 「いや、当たり前だろ……」 シゥが冷静に指摘していた。 肩を落として道具箱へと向かうミゥの背中を眺めてから、上半身を起こした。 「しかし、その秋奈ってヤツ、オレたちを餌付けしようとしてないか? ミゥの薬といい、ノアのパソコンといい。そのうちオレやピアにも接触してくるかもな」 「そうですね」 頷くピア。 千景の話では、ピアたちは珍しい客人としてホームステイのような扱いになっているらしい。幻界からの客は非常に珍しいが、逆を言えば珍しいだけでしかない。問題を持ち込むわけではなく、いずれ帰る予定のため、それほど重要視はされていないようだった。 ともあれ、木野崎秋奈は何か目的があるのだろう。 「じゃ、ちょっとそいつん所行ってくるか」 シゥはその場に跳ね起きた。青いツインテールの髪が跳ねる。 氷の剣を掴み上げ背中に担ぎ、銀の小手を両腕に取り付けた。背中から氷の羽を作り出し、その場に浮かび上がる。 「監視役って言うなら近くにいるだろうし。やる事無いなら時間潰しには丁度いいだろ。向こうから来るのを待つのもガラじゃねぇ。ノア、つきあえ」 「了解」 パソコンをたたんで、横に片付けるノア。 背中から黒い翼を広げ、シゥと一緒に窓の外へと飛んでいった。青い空と白い雲を背景に、二人の姿が小さくなっていく。 その背中を見送ってから、ピアはミゥに目を移した。 「じゃ、ボクは薬草の日干しでもしてますねー。いいお天気ですし」 薬草の入ったカゴを持ち、ベランダへと歩いていくミゥ。薬草は箱庭で育てたものだろう。睡草の葉も見える。 その背中に、ピアはしっかりと声を掛けた。 「薬と器具は出しておきなさい」 「はい……」 小さな声で、ミゥが返事をする。 「ふぅ……」 千景の部屋を眺め、ピアは一息ついた。 一通り部屋の埃を払い、小物を片付ける。やることはそれほど多くはない、千景の部屋は元々散らかっていないため、掃除は楽だった。 朝起きて主人の料理を作り、部屋の掃除をして、ゆっくり休憩する。 「こういう生活もいいかもしれませんね」 静かに微笑み、ピアは窓の外の青空を見上げた。 妖精郷の滅亡の回避。多くの犠牲を出したものの、魔物の討伐と大樹の再生には成功した。現在、妖精郷は復興に向かっている。ピアたちはこうして追放されたが、今の妖精郷はピアたちがいなくとも大丈夫だろう。 妖精郷に魔物が現れてから、ずっと落ち着けない日々が続いた。フィフニル族の司祭長として、人の上に立つ者として、頭を悩ませ、心を削り、苦渋の決断も下してきた。 こうして、静かに他人に仕えるのは、昔から望んでいた平穏かもしれない。忘れてはいけない、忘れられない事も多々あるが、今こうして平穏に暮らしている様子を責める者はいないだろう。 ピアは改めて部屋を見回した。 「ご主人様の部屋……」 ベッド、机、パソコン、本棚。きちっと整理された空間。 ベッドの上には、布団が敷いてある。毛布と掛け布団。 「お布団ですね……」 そう呟き、ピアは足を動かした。 ベッドの傍らまで移動すると、室内履きを脱ぎ、三対の羽を顕現させ、ベッドの上へと跳び上がった。羽を消してベッドの上に降り、そのまま布団の中へと潜り込む。柔らかな生地と、微かな匂い。 「ご主人様の匂いがします」 シゥとノアは出掛けている。ミゥは部屋で薬草の手入れをしているはずだ。千景は大学へ行っている。今この部屋にいるのはピアだけ、誰かが入ってくる事は無いだろう。 ベッドに伏したまま、ピアは力を抜いた。 |
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