Index Top 第8話 落ち葉の季節 |
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第5章 モデルのお仕事 |
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リリルは試着室のカーテンを眺めながら、尻尾を左右に動かす。 モデルをしてくれないかと誘われた服屋。夏に海に行く少し前のことだった。その時は適当にお茶を濁したとリリルは記憶している。こうして浩介を連れてきたのは、単純に面白そうと思ったからだ。 「どうなってるかな、浩介くん?」 凉子が試着室に目を向ける。 カーテンに仕切られた試着室の奥。外から中の様子は見えないが、浩介が着替えをしている。店主の直弘から渡されたモデル用衣装。どのようなものなのかはリリルも聞いていない。全部店での手作りらしい。 手こずっているのか、布擦れの音や浩介の独り言が聞こえてくる。 「大変そうだね、浩介くん」 試着室を眺めながら、凉子が呟く。 リリルは両腕を左右に広げて、苦笑いを見せた。 「あいつ、神経と思考は男だからな。女物の服なんて着慣れてないし」 女物の服の着方は覚えているが、実際に女の服を着る事は少ない。 「どんな服なんだろう?」 動くカーテンを眺めながら、凉子は首を傾げている。浩介にどような服が渡されたのか、リリルも凉子も知らない。浩介が現われるまでお楽しみである。 リリルはアクセサリの棚に意識を戻しながら、 「あいつは見た目だけはいいから。何着ても似合うだろ」 「それはあるかも」 笑いながら凉子は同意する。 浩介は美人だ。本人にその自覚は無いが、モデルとして十分通じる容姿である。均整の取れた顔立ちや体躯。浩介の肉体は、草眞が錬身の術によって作った分身体だ。細かい部分まで調整してあるのだろう。 そんな事を考えていると、凉子が声を掛けてきた。 「リリルはアクセサリとか付けないの?」 アクセサリの置かれた棚を指差す。 リボンや髪飾りから服に付ける飾り布まで。数は多い。 「アタシも色々あるんだよ」 手を振りながら、リリルは答えた。 猫耳帽子に白いワンピース。同じような服を何着も送られている。浩介を介した命令により、これ以外の恰好はできないのだ。最近では慣れてしまい、この恰好もいいかもしれないと考え始めている。 首を振ってから、リリルは飾られたイヤリングを手に取った。 「本気で何着ても何付けてもいいって言うなら、ここにあるもんじゃ足りないな。シルバーとかチェーンとか欲しい。アタシの感性に合うものってなかなか売ってないけど」 浩介には美的感覚がおかしいと言われた。以前描いていた絵を見た慎一にはシュールレアリズムの一種かと訊かれた。普通とは違う感性を持っている自覚はある。だが、それを悪いと思ったことは一度もない。 今のところ理解してくれるのは、妖精のカルミアだけだが。 イヤリングを元の場所に戻す。 「ねえ。ポニーテールとか似合うかな?」 凉子が赤いリボンを手に取っていた。 「似合うんじゃないか?」 リリルは凉子の背中を見る。長い髪の毛。腰の少し上あたりまで伸ばしてあった。ここまで長いと手入れは大変だろう。凉子は神界機動隊の一員として働く身でもある。激しい動きをする時は長い髪は邪魔になってしまう。 「それより、その長い髪で動きづらくないのか? ポニーテールとか適当に結い上げておいた方が、動きやすくないか?」 「錬身の術使ってるから、平気だよ」 涼しげに答える凉子。 身体組織を自在に操作する錬身の術。凉子は主に尻尾を腕のように動かしている。独特の三刀流剣術。髪の毛を動かせても不自然ではない。 「便利な術だな」 肩を落として呻く。 その後ろで、カーテンの開く音がした。 「お待たせ」 リリルと凉子はそちらを見る。 試着室から出てきたのは、狐神の女だった。 長い髪の先端あたりを白いリボンで縛っている。上着はブラウスと着物を組み合わせたような服だった。正面をボタンで留める長袖の服。袖は着物のように袂が付けられていた。袖口には赤いフリルが飾ってある。胸元には赤いネクタイ。 下半身を足首まで届くほどの緋色のスカートで包んでいる。巫女服の袴に似せた造りのスカートのようだ。行灯袴を元に作ったのだろう。縁にも白いフリルが飾られている。裾は足首ほどで、白いソックスを穿いた足が見えている。 「似合ってるかな?」 爽やかな笑顔で浩介は両腕を左右に広げた。 「誰だよ――」 思わず呻くリリル。 浩介なのだが、別人にしか見えない。普段の浩介は外見こそ女であるが、雰囲気は男のそれである。しかし、今の浩介は雰囲気も女のようだった。 「凄い。可愛い!」 パンと手を叩き、凉子が目を輝かせている。猫耳と尻尾をぴんと伸ばしていた。 その台詞に偽りはない。元々の素材がいいところで、似合う衣装を着せたのだ。まるで別人のように可愛くなっている。リリルもそれは認めることだった。 「ふふふ」 微笑みながら、茶色の瞳を向けてくる。 「おい、目が怖いぞ。コースケ……」 背中を撫でる寒気に、リリルは半歩退いた。嫌な予感しかしない。 浩介が店の奥に向き直る。身体の向きを百二十度変えるだけの、何気ない動作だった。狐色の髪が弾み、スカートが少し浮き上がる。無駄に切れのある動きだ。錯覚だろうが、身体を追うような残像が見えた。 「店長! 着替え終わりました。来て下さい」 明るい声が店の奥に届く。普段とは違う、少女のような声。突き抜けてはいけない一線を越えたような。大事なものを失ったような。 稀に見せる表情。浩介の理性が切れていた。 凉子も今更ながら異変に気付いたのか、瞬きをしている。 「終わったー?」 奥から歩いてきた直弘。 「おお、こりゃ素晴らしい出来だ」 浩介の姿を見て、感嘆の声を上げていた。嬉しそうに口元を緩め、目を細めている。自分が想像した出来なのだろう。狐に巫女服。王道の組み合わせだ。 音もなく、浩介が凉子に向き直った。 「凉子さん」 「なに?」 無邪気な微笑みに、凉子が眉を寄せる。尻尾をゆっくりと左右に動かしていた。普段とは違う浩介の様子に警戒している。 それは無視して、浩介は直弘に顔を向けた。 「メイド服お願いします。フリルは少なめの正統派メイド服を。あと、眼鏡。写真は猫耳と尻尾を強調するようなポーズでお願いします」 「おっけい」 親指を立てて、直弘が即答する。 「浩介くん、私モデルやる予定は無いんだけど」 凉子が言い返すが聞いていない。 いや、聞こえているが無視しているようだった。普段の浩介よりも凉子の方が発言力が上である。単純な押しの強さの違いだ。だが、今の浩介は凉子の言葉に全く引く気が無い。もはや凉子ではどうすることもできない。 「リリルー」 「っ!」 視線を向けられ、リリルは硬直した。 冷や汗を流し、浩介を見る。少女のような自然な微笑み。だが、普段の浩介を知る身としては、どう考えても壊れた笑顔だった。 「スクール水着お願いします」 容赦なく言い放つ。 「おい! 待て、コラ! 何言い出すんだよ、このアホは! スクール水着ってあのスクール水着か! ふざけるな、ンな服着られるかってんだ!」 浩介を指差し、リリルは叫んだ。 拒否はできない。完全従属の契約上、リリルは浩介に命令されれば、何であろうとそれを実行してしまう。どれだけイヤでも身体がそう動いてしまうのだ。スクール水着など着る気は無い。しかし、命令が出れば拒否できない。 浩介は表情を変えぬままだった。 (マズい……! これは洒落になってないぞ!) 手の平に汗が滲み、背筋を悪寒が撫でる。最悪の状況が頭をよぎった。リリルは金色の瞳を見開き、奥歯を噛み締める。稲妻模様に曲がる尻尾。どうにかしなければならない。だが、リリルでは浩介を止められない。 福音は別の所から来た。 「残念ながらそういうのはモデルにはできないよ。巫女服もどきやメイド服もどきはいいけど、スク水は問題でしょう。しかも、こんな小さな子に。警察に怒られるって」 ため息をつく直弘。 「なら仕方ないですね」 浩介はあっさり諦めたようだった。 最悪の事態が回避された事に、リリルは胸をなで下ろす。へなりと尻尾が床に落ちた。胸の奥から安堵の息が吐き出される。 「なら、セーラー服でどうでしょう?」 「それなら用意できるよ。ちょっと待っててね」 ほくほく顔で直弘が店の奥に消えていった。 手を振りながら、その後ろ姿を見送る浩介。尻尾が左右に揺れている。 「コースケ。これは、どういうことだ?」 「私たちまでモデルの仕事に巻き込まれてるんだけど」 引きつったリリルと凉子の声。 浩介をモデルにする予定が、何故かリリルと凉子もモデルの仕事をすることになってしまっていた。反対しても聞き入れないし、強引に実行させるだろう。今の浩介にはそんな凄みが灯っていた。 「絶対に逃がさないよ?」 落ち着いた微笑みのまま、浩介は首を傾げた。 |
12/1/19 |