Index Top 第8話 落ち葉の季節 |
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第1章 秋の日の朝 |
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目蓋に差し込む日の光に、浩介は目を開けた。 「朝か……」 意識の奥に浮かぶもやもや。 夢の残滓がどこかへと消えていく。 目蓋を押し上げ、浩介は右手を目の前に翳した。顔に掛かる日差しを遮るように。水色の寝間着の袖と、細くきれいな手が目に映る。角張った男の手ではない。 その手を胸の上に落とす。 布団の上からでも判る丸い膨らみがふたつ。男にはない胸の膨らみ。それを何度か布団越しに撫でてから、浩介はため息を付いた。 「やっぱり女なんだよな」 色々あって死んだり生き返ったりしてから、およそ四ヶ月が経つ。 だが、自分が女になったことには、いまだに慣れていなかった。思考や感覚はいまだに男のままである。おそらくは死ぬまでその違和感は持ち続けるのだろう。 その死ぬのがいつになるのかも、不明である。 浩介は前髪を撫でた。 「キツネだし」 微かに赤味を帯びた黄色い髪の毛。金髪とは違う色合いである。いわゆる狐色の髪。こちらも男のような毛ではなく、長く伸ばした女の髪の毛だった。 頭の上に触れると、三角形の狐耳がある。 何度か狐耳を動かしてから、浩介は布団をどかした。 一度息を吸い込んでから身体を起こし、息を吐き出しながらベッドから足を下ろす。ベッドに座った姿勢のまま、浩介は目を擦った。 「六時三十分か……」 尻尾を動かしながら、時計を見る。 「少し冷えるか」 息を吸い込んでから、浩介はベッドから起き上がった。 着ているのはまだ夏用のパジャマだった。水色の寝間着である。面倒だったので秋になってしばらくそのままだったが、さすがにもう冬用を出すべきだろう。 尻尾を動かし、浩介は部屋用のサンダルに足を通した。 窓辺に歩いて行き、外を見る。 「毎年のことだけど、ひどいな……」 狐耳と尻尾を垂らし、苦笑いを浮かべた。 落ち葉が大量に積もった庭。地面が見えなくなるほどではないが、とにかく多い。 浩介の住んでいる家は、街外れのちょっとした林の中にある。詳しい事は不明だが、浩介の家、というか樫切家の人間が住んでいる事が楔となるらしい。 ともあれ、周りには落葉樹を中心に大量の木が生えている。秋になると庭には大量の落ち葉が積もるのだ。両親が生きていた頃は家族総出の落ち葉掃除が秋の風物詩だった。 「頑張って掃除するか」 今日が今年最初の落ち葉掃除の日である。 ドアを開け台所へと入る。 木の机が中央に置かれ、東側が流し台やコンロになっていた。普通の家の台所よりも広いだろう。南側はリビングになっているが、今は仕切りの扉が閉まっている。 「おはよう、リリル」 椅子に座る少女に、浩介は声を掛けた。 銀髪に褐色の肌の魔族。椅子に座ったまま、背もたれに身体を預けている。 人間の年齢で十二歳くらいの外見。少し跳ねたセミショートの銀髪で、前髪が赤い。白い猫耳帽子をかぶり、白い半袖のワンピースを着ている。腰の後ろから黒く細い尻尾が伸びていた。尻尾の先端は三角形になっている。いつもと変わらぬ姿だ。夏に着るような服装だが、精霊のため気温の影響はさほど受けないらしい。 目蓋を半分下ろし、けだるげな金色の瞳を浩介に向けていた。 「おはよう……」 短く挨拶を返す。 リリルは自分の額に右手を乗せ、 「今日はちょっと風邪っぽいから寝てていいか?」 「小学生みたいな言い訳するな。ちゃんと手伝え」 冷蔵庫の前に移動しながら、釘を刺す。 落ち葉掃除を行うのは浩介とリリル。リリルは嫌がって逃げようとしていたが、逃げるなと釘を刺しておいた。完全従属の契約のため、リリルは浩介の命令に逆らうことはできない。結局逃げることもできず、今ここにいた。 冷蔵庫を開けた浩介に、リリルが声を掛けてくる。 「朝飯は何だ?」 「トーストとハムエッグ」 中身の減った冷蔵庫を眺めながら、浩介は答える。朝食――だけでなく、料理は浩介の仕事だった。リリルは料理が苦手であるため、料理は任せられないのだ。 椅子に座ったまま身体を捻り、リリルが半眼を向けてくる。 「日本人だろ。白い飯と味噌汁作れ。あと、卵焼きと焼き魚も」 金色の瞳が微かに光ったように見えた。絵に描いたような日本の朝食。料理を作るのは苦手だが、食べる事にはこだわりがあるらしい。 「時間掛かるから、無理」 食パンとバター、ハムを取り出し、浩介は冷蔵庫を閉めた。 一度テーブルにバターとハムを置く。それからオーブントースターの前まで歩いていき、蓋を開けて食パン二枚を中に入れた。蓋を閉めてから、ダイヤルを捻る。しばらくすれば焼き上がるだろう。 「フレンチトースト食いたい」 トースターを眺めながら、リリルが呟く。 溶き卵に牛乳と砂糖を加えたものに、食パンを浸してからフライパンで焼いた料理。浩介も何度か作ったことはある。甘いもの好きなリリルは喜んでいた。 尻尾を左右に動かし、浩介は言い返した。 「食べたきゃ自分で作れって……」 「これから強制労働に狩り出されるんだ。ちょっとくらい贅沢言ってもバチは当たらないだろ? あぁ、ホットケーキが食べたい。生クリームとジャム乗っけたやつ……」 横を向きながら愚痴るリリル。 赤い前髪を手で払いながら、不服そうに細長い尻尾を揺らしている。 「にしても」 話を切り替えるように、リリルは仕切り戸を見た。 居間と台所を仕切る引き戸。見ているのはその向こう側だろう。居間から見える庭。今は仕切り戸で見えないが、現在大量の枯れ葉が落ちている。 「夏の茂りっぷりから予想はしてたけど。あれ、凄いな。落ち葉の絨毯って言うほどじゃないけど、厄介な量だぞ。二人でどうにかなるのか?」 心底面倒臭そうな口調だった。 浩介はフライパンをコンロに乗せ、火を付けた。 「去年は一人でやってたんだから、大丈夫だろ。二人なら効率は二倍だ。一週間後にはまた似たような事になってるけど……」 後半は小声で。尻尾を下ろしながら。 落ち葉の季節が終わるまで、週末の落ち葉掃きは続く。周囲の木が多いため、葉の落ち始めから終わりまで、三週間ほどの時間があるのだ。庭掃除は毎年、一週間ごとに三回繰り返している。今年も同じだろう。 「来週もやるのかよ……」 リリルは露骨に嫌そうな顔を見せた。不満を現わすように尻尾が動いている。黒い鞭のような尻尾で、先端は三角形。手触りはゴムか皮革に似ている。浩介ほどではないが、リリルの尻尾はよく感情を表していた。 「逃げるなよ」 「はいはい」 釘を刺され、リリルは生返事をする。 フライパンにバターを一欠片落とし、浩介はリリルを見た。 「リリルは分身の術使えるんだよな。シャドウドールとかいう魔法。十人くらいに増えれば早く終わるだろうし。できないか?」 リリルは魔法による分身ができる。あまり使っているのを見たことはないが、それなりに精度はいいようだ。大量の人手があれば、大仕事でも簡単に終わる。 しかし、そう上手くはいかないらしい。 自分の額に手を当て、リリルはため息をついた。 「分身作るって、お前が考えてるより大変なんだよ。魔法でも術でも、分身系ってそれなりに難易度高いからな。特に制御。アタシだって手の届く範囲で動かすのが限度だ。落ち葉掃きに使えるようなもんじゃない」 「それは残念」 軽く笑いながら、浩介は狐耳の縁を指で掻く。 意識をフライパンへと戻した。溶けたバターをフライパン全体に伸ばしてから、ハムを乗せていく。肉の焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐった。 一度フライパンから離れ、浩介は卵を取りに冷蔵庫へと向かう。 「じゃあ、二人で頑張るか」 その言葉に。 リリルは大袈裟にため息をついていた。 |
11/12/22 |