Index Top 第7話 夏の思い出? |
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第11章 戯れ |
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「まあいい。座らせてもらうぞ?」 草眞は浩介と凉子の横を通り、すたすたとリビングへと足を進めた。音もなく揺れる尻尾と着物の袖を眺めながら、浩介は後へと続く。 狐耳を一度動かし、草眞が肩越しに振り向いてきた。 「ヤツが処置を済ませたと言っておったが、もう問題は無いな?」 「ヤツ?」 という三人称に訝ってから、浩介はそれが以前訪ねてきた白鋼のことと理解した。リリルの魔力を取り込まなくとも普通に動けるかどうかのことだろう。あれ以来、何もせずともごく自然に身体を動かせるようになっている。 「ええ、大丈夫です」 浩介は自分の言葉を表すように、右腕を動かしてみせた。ついでに、狐耳と尻尾も動かしてみせる。最初の頃は違和感のあった耳や尻尾も、今ではすっかり馴染んでいた。 草眞はそれを確認するように目を細めてから、 「ならワシが心配することはないな」 ソファに腰を下ろした。 「それ、リリルが読んでたの?」 凉子がリビングテーブルに置いてあった本を指差す。緑色の表紙のハードカバーの本。表紙には筆記体のアルファベットが記されていた。タイトルも読めない。 迷わずリリルが読んでいたと判断した凉子に、浩介はこっそりと尻尾を垂らした。 草眞は右手で本を手に取り、 「Detective of a silence……直訳して、沈黙の探偵か。推理小説か何かじゃな。サイレンスとサイエンスをかけているのかもしれん」 タイトルを読み上げつつ、ごく自然な動作で左手を頭の後ろに向ける。 その手が、首筋目掛けて振り抜かれた赤い剣身を掴み止めた。前触れ無く現れた、緋色の魔剣。空中から脈絡無く上半身を出したリリルが、魔剣を振り抜いている。 「草眞さん!」 浩介と凉子が叫んだ時には、全てが終わっていた。 何かの魔法なのだろう。リビングテーブルをすり抜けるように飛び出したリリル。魔力を補充した大人の姿である。右拳で草眞に殴りかかるものの、狐色の髪が蛇のように蠢きその身体を拘束していた。さらに、草眞が右手を握り、前へと向ける。 拳がリリルのみぞおちにめり込んだ。弾丸のような速度で伸びる右腕。ガラス窓を打ち破り、庭を突っ切り、塀へとその身体を叩き付ける。塀に放射状の亀裂が走った。二十メートル以上も伸びた右腕と広がった髪の毛が瞬時に元に戻る。 全て終わるのに、一秒も掛らない。 本がテーブルに落ち、砕けた窓ガラスが床に散らばった。 「お前ごときが殴り合いでワシに勝とうなど、千年早いわ」 楽しげに断言し、草眞は左手で掴んでいた魔剣を庭に投げつける。リリルが前のめりに倒れるのと、その傍らに魔剣が刺さるのは同時だった。 「おーい……リリルー、大丈夫かー……?」 状況に取り残されそうになりつつも、浩介は倒れたリリルに声を掛ける。分身での攻撃を囮に、本体で殴ろうとしたらしい。だが、結果は見ての通りだった。 「ああ、平気だ……!」 リリルはその場に起き上がり、魔剣を掴む。金色の瞳に怒りの炎を灯し、草眞を睨んでいた。剣を持った大人の身体に、白い猫耳帽子とワンピースという不釣り合いな格好であるが、奇妙な調和を生み出している。 「大丈夫ですか、草眞さん?」 尻尾を動かしつつ尋ねる凉子だが、心配している様子は無い。心配する要素も無いが。 草眞は左手を前に戻した。灼熱の刃に触れて炭化した手の平。だが、黒く炭化した部分が剥がれ落ち、新しい皮膚が現れる。その再生には一秒もかかっていない。 「さすが錬身の術……。火傷もものともしない」 両手を組んで瞳を輝かせながら、凉子が草眞を見つめていた。 余裕たっぷりソファに座っている草眞と、裸足で庭に立って剣を構えるリリル。その実力差は一目で分かるものだった。 「例の魔石使ったか。とはいえ、所詮は魔力の貯金。全力を出しても、七割くらいが限度のようじゃの。ま、全力で動いてもワシを倒すのは無理じゃが……」 「倒すのは無理でも、一発くらい殴れるんじゃないか?」 口元に凶暴な笑みを浮かべたリリルが、小さく呟いた。口元に小さな牙が見える。 「せっかくだから少し遊んでやるわ。来い」 笑いながら、草眞はソファから立ち上がった。挑発するように手招きする。 リリルの行動に迷いはなかった。 「Teleport……」 パンッ! 見たままを表すならば、空間転移による移動から草眞の顔を殴った瞬間、草眞の身体が風船のように破裂し、十数の破片となって辺りに飛び散った。 殴ったリリル本人が、目を剥いている。これは予想外だったらしい。 「ま、遊びじゃからな」 飛び散った破片が全て、一瞬にして草眞の姿を作り上げた。身体は無論のこと、服装まで全て同じである。リリルを囲むように佇む、二十人近い草眞。 何かしらの分身のようだが、浩介には理解不能だった。 「さすが草眞さん。錬身の術の応用も桁違いですね……!」 眼をキラキラと輝かせながら、凉子が草眞を見つめている。 リリルの傍らにいた三人が、リリルの身体を拘束した。白いワンピースが瞬く間に破り捨てられる。服を破られ、豊満な胸を包む白いスポーツブラと黒いスパッツという、露出の多い格好になった。子供の姿とは違う、大人の色気が漂う姿。 それでも、リリルは不敵に挑発してみせる。 「服脱がせて何する気だ? アタシの身体が目的か?」 「いや、そんなことはせん。たァだ……、お主はフサフサしたものに撫でられるのに弱いと凉子が言っていたので、仕置き代わりに試してみようと思っての」 ゆらゆらと揺れる草眞たちの尻尾と髪の毛。 草眞の目的を悟ってか、リリルの表情が露骨に強張る。頬を流れ落ちる脂汗。 「リョーコ……てめェ!」 暢気に笑う凉子を睨みながら逃げようと動くが、無駄なあがきだった。両手両足を拘束され、まともに動けない。 「諦めろ」 諭すように優しく声を掛け、その場にいた草眞が一斉にリリルへと群がった。 「ちょ……待て、ま……ぎにゃああァアァァァ!」 「ちとやりすぎたかの?」 一人に戻った草眞が、ソファに座ったままリビングに倒れたリリルを見下ろしていた。 ちゃっかりと草眞の隣に座っている凉子。 魔力を使い果たしたせいか、リリルは子供の姿に戻っていた。服は草眞の術で修復されている。だが、草眞の容赦ない攻めに、意識を失っていた。 砕けた窓ガラスや、ヒビの入った塀も草眞が直している。 「やりすぎですよ……」 浩介はリリルを抱え上げた。軽い身体は完全に脱力している。五分ほど草眞の髪の毛や尻尾に撫でられた結果である。しばらくは目を覚まさないだろう。 「弱いと思ってたけど、思った以上に弱かったみたい。悪いことしちゃったかな?」 悪びれる様子もなく、凉子がソファに下ろされたリリルを見ている。 草眞と凉子が座っている左隣のソファ。浩介はリリルを座らせ、自分もそこに腰を下ろした。右前に草眞が座っている。 「ところで、草眞さんは何をしにうちに来たんでしょうか?」 浩介は根本的な問いを投げかけた。 今まではほとんど事務的な手紙でのやり取りで、時々電話がかかってくるだけである。それがいきなり訪ねてきたのだ。気にしない方がおかしい。 草眞は視線を額の上辺りに泳がせてから、 「特にないが……強いて言うなら、ヤツの処置が上手く行っているかどうか見に来た」 「ヤツって、白鋼さんの事ですよね? 何なんです、あの人?」 銀狐の女で、精神は男。どこか浩介自身に通じるものがある。だが、一目で分かる決定的に何かが欠落した雰囲気は、そうそう見られるものではない。 凉子が猫眼を開き、ぴっと人差し指を立てた。 「妖怪の科学者で有名な人だよ。色々な術とか道具作ってるみたいで、その手の雑誌や新聞にも名前が出てくる――って、実はわたしもよく知らないけどね。にゃははー。そういう難しい話苦手だし」 「錬身の術を作った男で、大昔のワシの師じゃ。性格の悪さと莫迦さは間違いなく日本一で、世界でも五指に入るわ。まったく……」 そっぽを向いたまま、草眞は独り言のように呟いた。 草眞さんは、白鋼さんの事が好きなんですか――? 喉元まで出掛けた言葉を、浩介は無理矢理飲み下す。口にしたらそのまま殺されるような気がしたのだ。殺されはせずとも、殴られるのは間違いない。 凉子に目をやると小さく頷いている。同じことを考えていたらしい。 「浩介」 草眞が懐からメモ帳を取り出し、ペンで何かを書き込んだ。そのページを破ってから、財布と一緒に差し出してくる。メモ帳には野菜や肉の名が書かれていた。 「リリルと一緒にこれ買ってこい。せっかくだから、ワシが晩飯作ってやる」 「はぁ」 メモ帳と財布を受け取りながら、浩介は生返事をした。 「いってらっしゃい。浩介くん」 凉子が満面の笑みを見せている。 |