Index Top 第5話 割と平穏な週末

第6章 暇な浩介


 慎一が顔を見つめてくる。
「何だよ?」
「さっきから気になってたんだけど、その黒い稲妻模様は何だ?」
 リリルは無意識に頬を撫でた。耳の下から頬に伸びる黒い稲妻模様。上腕から肩、背中、胸の下に回って脇腹を通り、太腿まで同じ模様がついている。
「知らないな。生まれた時からあるんだよ」
「そんなはずはないだろ」
 訝しげに言い返す慎一。
「それは随分新しく作られたものだ。僕はそういう式を読むのは得意じゃないから、確証はないけど。おそらく日本製だな。力の形状が法力に似ている」
「そうなのか」
 驚きは隠して、素っ気なく頷く。
 草眞によるものだろう。術の形状は分からないが、想像がつかないわけでもない。浩介との契約に関係するものか、力を弱めるものか、記憶や思考に干渉するためのものか。記憶の改竄によって生まれ付いた模様だと思いこまされていた。
「外せないか?」
「無理じゃないけど……」
 慎一は困ったように首を捻り、
「僕が外すとなると、合成術で式を壊すことになる。細々と式を解体するには時間が掛かる。当たり前だけど、身体が耐えられない。おそらく即死。日暈は爆発処理しかやってないから、そういうのは専門外だ」
「だろうな。期待はしてなかったよ」
 肩を落として嘆息する。
 日暈家の人間に期待はしていない。元々戦うことのみに特化した一族。壊すのは得意だが、術を用いた作業的なことは苦手だ。外すならば河音や沼護に頼むべきだろう。
「でも無理かな?」
 河音や沼護の人間が、見知らぬ魔族の話を聞いてくれるとも思えない。自分が悪人オーラを持っている自覚はある。身元を調べられ、素性が知れて草眞に伝わるだろう。
 慎一は振り返り、凉子と話している浩介を見やった。
「離れて話すようなことはなかったな」
「ひとつ、訊きたいことがある」
 リリルは口を開いた。やや抑えた口調。それほど重要なことではない。何となく気になったこと。しかし、大声で言えるようなものではない。
 振り向いてくる慎一を見やり、続けて尋ねた。
「お前はソーマを倒せるか?」
「無理だな」
 即答してくる。
「僕じゃ勝てない。爺ちゃんなら確実に勝てる。父さんなら多分勝てる。兄さんじゃ力不足。分家の忠征さんと啓治さんなら勝てると思う。弘文さんは五分五分か。他には唐草か空渡の人間なら勝ち目はある。どのみちやらないけど」
 草眞の強さは圧倒的迫撃能力。勝つ方法はふたつ、真正面からそれ以上の力で押し切るか、遠距離からの攻撃で削るか。どちらにしろ非常識な攻撃が必要だ。ただし、草眞と互角以上に戦える者は政治的に戦えない立場にある。
「ありがと」
 礼を言っておく。
 ようするに現状で草眞に一矢報いるのは無理ということだ。
「追求はしないけど、無茶はやめておけ。死ぬぞ?」
「アタシはそう容易く死なないよ」
 慎一の忠告にリリルは不敵な笑顔を返す。


「色々あるんだねー」
 凉子が嬉しそうに呟く。
 頬を紅潮させ、熱心にカタログを読んでいた。滅多に見られない漫画本でも見つけたかのような表情。破魔刀カタログなど意外と見ないものかもしれない。
「取られた……」
 浩介は椅子に座ってその様子を眺めていた。尻尾の毛繕いをしてみるが、暇潰しにもならない。リリルと慎一が公園の端で何か話している。
 ふと、横に置いてある鞄に目を移した。
 いくつかの細いヤスリと糸鋸、そして慎一がさきほど削っていたもの。
 葉書ほどの銀の板。厚さ約0.5ミリ。
「シルバーアクセサリ、というものか」
 なんとなくそれを手に取り眺めてみる。
 中心に30mm×5mmほどの細長い平行四辺形。針で線が刻まれていた。後でこの部分を切り抜き、丸めて指輪にする。側面の斜め部分が細い隙間となるのだろう。
 縁線の内側は切り抜きによって文字が記されていた。
「えと、KAL……MI……A……。カルミアって何だ?」
 自問してみても分からない。指輪に刻み込むということは名前か何かなのだろう。洋菓子の名前にも思える。暗号かもしれない。分からないものを思索しても意味はない。
 人差し指でキツネミミを掻きながら、浩介は首を傾げた。
「でも、誰に渡すんだ? これ」
 結奈、ではない。付き合っていると噂されることもあるが、二人は恋人ではない。実際に戦っている様子を見たから分かる。あれはおかしな友人関係だ。
 というよりも、慎一が女と一緒にいる姿が、そもそも想像できない。モテないとか現実の女に興味がないとかいうレベルではない。根本的な部分がズレている。
「指輪にしちゃ小さくないかこれ?」
 浩介は模様に指を当ててみた。円周三十ミリを円周率で割ると直径は十ミリ以下。小指にも入らない。もしかしたら人間に送るものではないのかもしれない。
「腕輪だからな」
 板が抜き取られる。
 顔を上げると慎一が立っていた。隣にはリリルがいる。
「僕が妖精と契約しているのは知ってるだろ? 昨日腕輪を作るって約束したんだ。機会があったら会わせるよ。じゃあ僕はここら辺で」
 板と道具をまとめてから鞄にしまう。手際の良い作業。これ以上ここに留まる気はないのは一目で分かった。やることもないだろう。
 撤収作業を眺めながら、浩介は率直に尋ねてみた。
「妖精、今はいないのか?」
「知り合いのカラスに預けてある」
 よく分からない返答。
 次の言葉に迷っているうちに、慎一は鞄を持って歩き出していた。自転車を掴むとひょいと肩に担ぎ上げる。重そうに見えるが大丈夫なのだろう。
「慎一さん」
 凉子が声をかけた。
 振り向いた慎一に、握った拳を見せる。
「折角ですから組み手しませんか? 体術とか剣術とか色々教えて下さいよ。私だけじゃなく浩介くんにも手取り足取り教えてあげて下さい」
「待て待て、待て!」
 浩介は即座に凉子の腕を掴んだ。
「それは駄目、却下。あいつに手取り足取り教えられたら死ぬだろ俺。骨の五、六本平気で折るだろ? いや死なないけど、骨折れても平気な身体は逆に危ないって。凉子さん、この間あいつの拳心臓に喰らったの忘れた?」
「実家流の鍛錬法を他人に強要するほど僕は非常識じゃないよ。それに今日中に腕輪仕上げる予定だから、余計なことしてる暇はない。めんどうだし」
 そう言い残して、慎一は土手の石段を登って行った。ほどなくして見えなくなる。
 凉子は肩を落としていた。
「残念」
「あんたは……」
 浩介は凉子を睨む。今更ながら宗一郎の言っていたことを理解していた。
 もし慎一が頷いていたら、実践の組み手になっていただろう。非常識ではないと言っても所詮自称。他人が信用できるものではない。
「にゃははは」
 悪びれる様子もなく笑う凉子。
 リリルがジト眼でその姿を見つめている。
 気づいていないのか気にしていないのか、凉子は朗らかに人差し指を立てた。
「じゃあ、狐族の基本術いってみようか?」

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