Index Top 第1話 初めての仕事

第5章 地下大河へ


 空は青く、羽雲が浮かび、乾いた風が吹いている。
「クラウさん」
 アイディはおずおずと問いかけた。
「大丈夫……です、か?」
 見る限りどこにも異常は見られない。破損箇所は無く、ケガなども無い。剣が刺さったように見えたが、それらしき傷も無かった。剣はしまったのだろう。
 不安がるアイディを宥めるように、クラウは手を動かした。
「大丈夫だ。これくらいでどうにかなるほど僕は弱くはない。ちゃんと防御はしてたし、剣も受け止めた。アルベルも本気で仕掛けてきたわけじゃないし」
「それはよかったです」
 吐息とともに胸を撫で下ろす。クラウが行動不能になってしまっていたら、それが書記士として最初の記録となってしまう。そもそもアイディは仕事を始めてまだ三十分も時間が経っていないのだ。
(凄いですね……)
 その事実に愕然とする。
 空港で飛行機から降りたのがついさきほど。酷く長い時間が経ったように思えるが、実際に経過した時間は短い。その短時間でアイディが持っていた世界観が、半分以上書き換えられてしまった。
「本気でやったら、このあたり一帯が吹き飛んでいるわい」
 手を振りながら暢気に笑うアルベルに、アイディは我に返る。
「いやそれは――」
 無いと言おうとして、クラウを見上げた。
 額を押さえてため息をついているクラウ。
「あるんですか!」
 思わず叫ぶアイディ。
 理術を使わず素手で一帯を壊滅させる力。人間がそれほどの力を持てるのか不明だが、可能なようだった。常識で考えてはいけないのだろう。
「それで本題にはいるが、何の用だ?」
「キマイラが出た。退治を手伝え」
 クラウの問いに、アルベルはそう答えた。


 舗装されたアスファルトを叩く靴の音。
 クレセント市の南門から南に五キロ行った所にある、水源管理局の浄水場だった。あちこちに並んでいる白く四角い建物。大きな貯水池などもある。街で使用する水を全て管理している場所だ。
 周囲は防護壁に守られ、常駐の軍隊もいる。キマイラ対策だった。
「やっぱり付いて来るんだな」
「それが私のお仕事ですから」
 音もなく歩くクラウの横を、アイディは付き添うように歩いている。テストは曖昧な結果になってしまったが、アイディは自らの仕事をきっちり務めるつもりだ。
「今回はま、いいや――」
 吐息して、クラウがそう呻く。
 ビルの屋上から降り、車で一時間半。走って行けば三十分も経たずに付くのだが、市街地を全力疾走するのはよくないということで車を使った。
「どうやら面倒くさい場所に出たようだな?」
 クラウがアルベルを見る。
 視線の先には大きな壁が見えた。高さ五メートルほどの大きな壁、その向こうには高さ十五メートルほどの四角い建物が見える。取水塔だった。門の前には自動小銃などを持った迷彩服の男が五人立っている。都市防衛軍の兵士だ。
 いくらか声を抑え、アルベルが呟く。
「地下大河の中だ」
「それは……厄介だな」
 腕を組み、クラウが眉を寄せた。
 地上を覆う砂の下に流れる巨大な地下大河。旧文明時代の海や河川の名残であり、現文明はそこから水を汲み使用している。一般人の立入りは禁止されていた。
 キマイラは地上に出現することがほとんどだが、稀に空や地下に現われる事もある。それが今回の一件のようだった。
 アルベルがヒゲを撫でつつ続ける。
「しかも、取水塔に攻撃したらしく、現在給水機能が停止している」
「おい……」
 クラウが顔を強張らせていた。
 水は生物にとって生命線であり、水が尽きる事は死を意味する。軽い口調で言っているが、都市機能停止の危機だった。
「一応中央議会には報告してあるが、まだ機密状態で情報は公開はされていない。迂闊に公開したら大騒ぎになるからな。とはいえ今週中に取水塔の補修工事を始めないと、貯水が危険なことになる」
 なぜか不敵な笑みを浮かべているアルベル。
 キマイラは外敵と認識する人間や、人間が作った設備を攻撃する。地下大河に現われたキマイラを破壊しないと、補修工事も行えない。
 クラウが訊く。
「どこにいるのか分かるか?」
「わかっていたら、ワシがさっさと叩き潰しておるわ」
「だな」
 アルベルの言葉に、クラウが同意する。
 やがて門の前までやってくる。
 アルベルが兵士と一言二言話すと、取水塔の正門が開いた。アルベルとクラウは門をくぐり、取水塔へと向かう。アイディは見張りの兵士に軽く会釈をしてから後を追った。
 五階建てのビルほどの四角い建物。数本の太いパイプが外へと伸びている。
「あのあの」
 アイディはアルベルに声を掛けた。
「さらっと流してますけど、アルベルさん……キマイラ倒せるんですか? 一人で」
 災害の怪物であるキマイラ。守護機士ならば一人で倒せるが、人間ならば重装備をした軍隊が出動する必要がある。生身の人間が倒せるような相手ではない。
 のだが、アルベルはキマイラを倒せるような口振りで話している。
 アイディに顔を向け、アルベルが意外そうに瞬きをした。
「当たり前だ。何を言っている? お嬢さんはこのワシを誰だと思っているのだ。BF団専務理事だぞ。キマイラの一匹や二匹、一人でどうとでもなる」
「おかしいです。おかしいですよ……」
 頭を押さえ、アイディは力無く呻く。
「あまり深く考えるな。ここは余所の常識が通用しない街だ」
「うー」
 クラウの言葉にアイディは無力に声を漏らすだけだった。
 アルベルがクラウに目を向けた。
「とはいえだ。場所が場所だけに、今回は貴様の協力が必要となる。一人で片付けるのは面倒だし、他に人を呼ぶのも手続きに手間がかかる」
 その目をすっと細め。
「随分と探したが、今回はどこに行っていたのだ?」
「それは言えないな」
 クラウが静かに応じる。
 時折行方不明になるクラウ。何かしらの特別な仕事でどこかに行っていると資料には書かれているが、その詳細は機密事項だった。機密度の高い情報も閲覧できる書記士でも、クラウの情報はあまりよく分からない。
 そうしているうちに建物の前までやってきた。 
 正面の自動ドアが開き、三人は中へと入る。それなりの広さがある部屋。正面と左右の壁に扉は三枚あった。どれも鈍色の合金製で見るからに頑丈そうな扉だ。
「知識としては知っていましたが、こうして実物を見るのは初めてです。厳重ですね」
 扉を眺めながら、アイディは感心する。
 扉の横に設置された入力機。カードリーダーや数字入力ボタン。カメラなどが設置されている。普通の施設では考えられないような多重ロックだった。
「ああ。ここはこの都市の生命線のひとつだ。簡単には立ち入れない」
 アルベルが左の扉の前まで移動した。
 懐から取り出したカードキーを読取機に通し、かなり長い暗証番号を入力。さらにカメラに右目を向け、網膜認証を行う。
 ガシャリ。
 鍵の開く音。
 アルベルが扉を開ける。厚さ五十ミリはあるだろう、分厚い扉だ。
 そのまま、三人は扉の奥へと向かった。白い床と白い壁。天井には蛍光灯が並んでいる。窓はない。無機質で圧迫感を覚えるような廊下だ。所々に監視カメラが設置してある。
 正面にはエレベーターがあった。人間が移動するための小型エレベーターである。機械を運搬する大型は別にあるようだった。
「地下二千三百メートル……」
 アイディは呟く。地下大河は地上から二千三百メートルも下にある。地上を覆う砂の層とその下の岩石層の境目だ。地上に降った雨が、砂の層に濾過され大河となる。
「ちょっと想像付かないですね」
 アルベルが振り返り、不思議そうに言ってくる。
「君の故郷は地上から五千メートルもあるではないか。それに比べれば随分と近いぞ」
 天空都市は地上五千メートルの高さに浮かんでいる。地上からの距離では、地下大河よりも遠い。だが、飛行機さえあれば行ける空中と、砂の層を掘り進めなければならない地下では、そこに到達する労力が全く違う。
 アイディは冷や汗を流しながら、アルベルを見上げた。
「確かにそうですけど、その理屈はおかしいです」
「はっはっは」
 暢気に笑ってから、アルベルはエレベーターのロックを外す。
 左右に開く扉。
「では、行くぞ」
 アルベルがエレベーターに乗り、クラウとアイディが後に続いた。

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地下大河
地上より深さ二千メートル以上地下を流れる大河。地上に降った雨が砂の層を通り、地下の岩石層との間を流れているもの。地上に住む人間は、大河から水を汲み上げ使用している。大体の場所で水は真水。

13/5/9