Index Top 第8話 科学都市フィジク

第9章 幻器物


 白い椅子に座り、リアは正面のローウェに声をかけた。
「お身体の方は大丈夫でしょうか?」
 広い部屋に白いテーブルと椅子が置かれている。フィジクの西地区にあるローウェの自宅の一室だった。落ち着いた部屋である。
 六日前に起こった襲撃事件。直接戦闘を行い大怪我をしたはずのローウェは、既に回復していた。一昨日でさえ、元気に動いてガルガスを大刀で殴り倒している。非常識な回復速度だ。それ以前に基礎体力が桁違いなのだろう。
 右腕を軽く回し、ローウェが笑う。
「もう問題なく動ける。さすがに戦うのはまだ無理だが、普通に動く分には何も問題ない。とはいえ、若い頃に比べると傷の治りが遅い……。さすがに年か……」
 笑みが苦笑いに変わった。
 現在六十三歳らしい。他の種族に比べ筋力の落ちにくい獣人族でも、さすがに限度があるようだった。それでも非常識な体力だが。
 ローウェが黄色い瞳を向けてくる。
「それで、君が私に何の用がある? 君は月の教会の者だ。用事があるなら私に言うよりも上司に言った方がいいだろう」
 リアは月の教会に所属している。普通に何か欲しいのなら、上に頼むのが定石だ。リアが今使っている銃器や神聖法術も、教会から渡されたものである。
 しかし、これはローウェでなければいけない。
「差し支えなければ、ローウェさんの所有する幻器物を分けて欲しいのですが」
「幻器物か……」
 ティーカップを持ち上げ、中身を一口飲む。
 この世に僅かに存在している、不思議な器物。魔力や法力などは込められていないが、非常に高い強度を持つ。旧時代に作られたものの中で、さらに特異なものを示す。どのような力を秘めているのかは、いまだによく分かっていない。しかし、それが今後必要になるとリアは考えていた。
 ジャックたちのような怪物に通じる武器となるものは、幻器物しか思いつかない。
 事実、ヴィンセントの槍の破片はジャックにダメージを与えた。
「予想はしていた」
 カップを置き、ローウェが頷く。
「それなら確かに、私に直接交渉に来るのが手っ取り早い」
 幻器物がどこに保管されているのか、ほとんど公開されていない。だが、確実に分かるのはローウェが何かしら幻器物の管理を行っている事だ。
 背もたれに背を預けるローウェ。木の椅子が小さく軋む。
「君の持っている情報通り、私もいくつか幻器物を持っている。数までは言えない。こちらもあまり情報を広めたくはないのだ。そこは理解してほしい」
「はい」
 リアは頷いた。
 そして、ローウェが目を細める。
「――誰を撃つ気だ?」
 風が隙間を通っていく。植木のざわめき。遠くから聞こえる車のエンジン音。何かの機械が動く音。人の話し声。ほんの微かな音がうるさいほどに聞こえてくる。
 ローウェは自分の右手を見つめる。
「ジャック、ヴィンセント、カラ……。私の持っているものなら、とりあえずあの硬さの相手にはダメージを与えられる。ただし――過信はしないでほしい。あくまでも子供がナイフ持って銃を持った大人に挑み掛かるようなものだ」
 銃を持った大人と、丸腰の子供。ジャックたちとリアでは、それほどの実力差があるのだ。リアもその差を肌で感じていた。それでも幻器物を使えばナイフ一本分くらいの隙間は埋められる。
 ローウェが淡々と付け足す。
「ガルガスは無理だ」
 リアは表情を変えず、小さく息を吐き出した。
 見抜かれていた。そう驚きもせず認める。
「全力でぶつけても、私たちが子供に叩かれた程度でしかない。私でも、完全に気を抜いている時に思い切り斬りつけて……数分意識飛すのが限界だ」
 ローウェが首を左右に動かす。ポニーテイルの髪が揺れた。
 一昨日病室に現われたガルガスを、ローウェは大刀を叩き付けて気絶させている。傷も付かずダメージも受けないガルガスを、少しの間とはいえ意識喪失させた。しかし、それが限界らしい。
「彼はやはり特殊なんですね」
 予想はしていた。ガルガスはジャックたちよりもさらに一段硬いのだろう。その強さは今のうちはリアたちの利となるが、この先ずっと味方であるとは限らない。
 ローウェが尻尾を揺らす。
「あいつを止める手札は、まだ君には早い」
「無い、わけではない、と?」
 視線に力を込め、リアはローウェを見つめた。黄色い瞳、ポニーテイルに結われた狐色の髪の毛、結び目に飾られたカンザシが二本。雰囲気が変わったということはない。
 ティーカップを手に取り、お茶を飲んでから、息をつく。
「私は知らない。だが、その方法自体は存在するようだ。少なくともあいつらは、ガルガスを『殺す』ことを考えている。何かしら殺す方法はあるのだろう」
 ジャックたちはガルガスを殺そうとしている。その意図を隠そうともしていない。ガルガス本人も自分を抹殺しようとしていると白状していた。現状は殺すには到底至っていないが、何かしら殺す方法があるのだろう。
 ローウェはポケットから小さな箱を取り出し、それをテーブルに乗せた。
「持っていきなさい」
 手の平に収まるほどの木の小箱だった。
 ローウェが蓋を開けると、中に丸いシャーレが入っていた。その中には、白い砂のような粒が十数粒入っている。ただの砂粒しか見えないが、槍の破片やジャックの剣と同じ雰囲気を持っていた。幻器物らしい。
「これは『爪』の破片だ。弾頭に込めて撃てば、そこそこの武器になる」
 ローウェが説明する。何の爪なのかは言わない。
 箱に蓋をしてから、リアはそれを手に取った。思いの外あっさりと目的を果たすことができた。何かしら対価を要求されることも考えていたが、それもない。
 緑色の髪を手で撫でてから、リアは尋ねる。
「わたし自身が、人の枠を越えることはできるのでしょうか? ローウェさんは半分くらい人を辞めているようですけど」
 人を辞めるという行為。存在自体は時折耳にする。その形のひとつを、ローウェは身に付けている。大刀の力なのか何かの技術なのかは不明だが。非常識な筋力、身体能力強化に特化された妖術。それだけではない何かを持っている。
「……無理、と言っておこう」
 ローウェは静かに言ってきた。
 不可能ではない。だが、無理。
 そう簡単にできるものではないらしい。
 ローウェが椅子から立ち上がり、後ろにある本棚へと歩いていった。分厚い本が並んだ本棚。そこに置いてあった箱を持ち戻ってくる。
「あと、これを」
 テーブルに置かれた箱。
 蓋を開けると、中には灰色の棒が入っていた。
「魔剣、と呼ばれるものだ。クキィに渡しておいてくれ」


 フィジク市中央ホテルの一室。
「魔剣……」
 椅子に座ったクキィは、リアから渡された棒を眺めていた。
 見たままを言うなら長さ三十センチほどの灰色の棒である。両手剣から剣身と鍔を外して柄だけにしたら、このような形になるだろう。滑り止めの布や革紐などは巻かれていない。材質は石のような感じだ。それほど重くはない。
「魔銃と雰囲気似てるけど」
 リアを見る。
 リアはテーブルに置かれたノートパソコンに向かい、キーボードに指を走らせていた。報告書の作成らしい。この魔剣はローウェから渡されたと言っていた。
 ガルガスから貰った魔銃。それに似ている。
「空刃錬成機構が組み込まれています。魔銃と基本的な原理は同じです。持ち主の力を刃に変える仕組みですね。術なども剣状に集束させる事ができるようです」
 リアの説明を聞きながら、右手で柄を握る。生命力や魔力などを刃に変換する仕組みのようだ。意識を集中させ、魔力を手から柄に流し込む。
「!」
 意識に引っかかるようなノイズ。
 柄から黒い刃が生まれた。墨を固めたような漆黒の剣身。どういう仕組みか、重さが表われる。身幅のある両刃。だが、刃渡りは三十センチほどだった。
「……ショボい」
 尻尾を垂らし、目蓋を下ろすクキィ。
 予想していた通り――もしくは覚悟していた通りの結果だった。武器となる部分を作り出すには相応のエネルギーが必要のようである。その相応のエネルギーは、かなり大きいようだ。安定して動かすには、クキィの魔力では少し足りない。
「魔銃よりも重いようですから。あくまで緊急時の切り札として使って下さい」
 苦笑いを浮かべながら、リアが刃を見ている。
 力を抜くと、同時に刃も消えた。
「こういう武器って、あたしに使いこなせるのかしら?」
 魔剣の柄を眺めながら、クキィは首を傾げる。
 魔銃。魔剣。強力な武器を渡されているのだが、クキィにその武器を使いこなすだけの力と技術がない。同年代の多種族の男と比べて強い自信はあるが、獣人種族の膂力と独学で覚えた攻撃魔術程度しか強みがない。
 以前リアと手合わせして、一蹴されてしまった。その程度の強さである。
 強力な武器も使い手の実力が伴わないと、宝の持ち腐れだ。
「そうですね」
 リアが顎に手を添え、天井を見上げた。
「事態が事態ですし、本格的に訓練を始めてもいいかもしれません」
「え?」
 クキィは瞬きをする。
 にっこりとリアが微笑んだ。優しいようで、どこか嗜虐的な微笑。
「え……」
 背筋を撫でる悪寒に、全身の毛が逆立っていた。

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牙の破片
幻器物の一種。白い砂のような粒。何かの「爪」の破片と説明されているが、それが何なのかは具体的に説明されていない。

魔剣
ローウェがリアに渡した武器。クキィに渡される。
三十センチほどの柄だけの剣。空刃錬成機構を持ち、持ち主の生命力や魔力を黒い刃として出力する。起動するための消費と維持のための消費が大きく、クキィではいまいち使いこなせない。
12/9/6