Index Top 第8話 科学都市フィジク |
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第8章 不確定要素 |
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窓から流れ込む澄んだ空気。 フィジク中央病院の入院用の個室だった。清潔なベッドにはリアが寝ている。今は上体を起こしているが。手を伸ばせば届く位置に立て掛けられた教杖、横の机には果物の盛り合わせが置かれている。誰かのお見舞い品だろう。 ベッドの横の椅子に座っているクキィ。 「色々あったみたいだけど、無事そうね」 尻尾を揺らしつつ、クキィはリアを眺める。 ヴィンセント、カラの襲撃から四日が経っている。クキィは身体検査を終え、リアの見舞いに来ていた。同じ病院にいたのだが、顔を会わせる機会が無かったのだ。 「わたしが倒れた理由は術の反動ですから。ただの極度の消耗です。怪我は無いですし、寝ていれば治りますよ」 リアが緑色の瞳を向けてきた。 心持ち窶れているように見えるが、元気そうである。以前イコール市で似たような事をやった後は、今とは比べものにならないくらいに弱っていた記憶がある。それでも術で無理矢理身体を治して動いていた。 ヒゲを撫でつつ思い出す。 「神聖法術だっけ? あの、凄い術」 「ええ」 頷くリア。 術そのものとの契約で使えるようになる特殊な術らしい。光の帯でディスペアを封じようとした術、セインツの攻撃を受け止めた術。リアはこのふたつが使えるようだった。 「確か魔獣封印したりする、規格外の術なんでしょ。それでも止められないのね……」 ため息混じりに呟く。普通は使わないような無茶苦茶な術を使って、なお止められない無茶苦茶な相手。 ドアの開く音。 部屋に入ってきたのはタレットだった。いつもより髪がぼさぼさでヒゲも伸びている。今回の一件のせいで碌に寝ていないらしい。 「そっちに来たのは、ジャック……とか言ったか」 椅子を引き寄せ、そこに腰を下ろす。身体に重りが入っているような座り方だ。一度目を閉じ背中を丸めて大きく息を吐き出す。それから背筋を伸ばすように天井を見上げ、息を吸い込む。 ずれた眼鏡を直し、リアに目を向ける。 「実物はどんな感じだ? 話聞く限り、ガルガスとある程度互角に殴り合えるらしいな。ダメージまで与えてたらしいけど」 無言のまま、クキィはタレットを見た。 ダメージを与えた、その言葉に息を呑む。何をやっても何が起こっても、死にはしないし、そもそもケガすらしない。銃で撃っても魔術を叩き付けても。そういうルール違反の存在だと思っていた。だが、それにダメージを与えるものが存在する。 起こっている事が、さらに理解の外に離れていった。 リアは微かに目を伏せ、 「私見ですが、ヴィンセントとカラの二人よりも強いです。もはや人の力の及ぶ領域ではありませんし、わたしの力ではどうする事もできません。今回は本当にたまたまでした。次に同じ事が起こったら、たとえ第二階神聖法術を使ったとしても……」 以前ヴィンセントがガルガスを殺すために用意した槍。ガルガスに砕かれた破片を、リアはひとつ盗み取っていたらしい。そして、その破片を仕込んだ銃弾でジャックにダメージを与えた。だが、次は無い。 第二階神聖法術とは神聖法術よりも、さらに上位の術なのだろう。それをリアが扱えるかは不明だが、使って無事とも思えない。 「彼が一体どれほどの力を持つのか、想像が付きませんよ」 「参ったね……」 ため息を付くリアと、額を押さえるタレット。 「そうだな」 声が割り込んでくる。 「ジャックは大体ディスペアと同じくらいの強さだ。身体の動かし方はディスペアの方が上手いけど。久しぶりになかなか楽しい戦いだった」 窓にガルガスが座っていた。明るい空を背景に黒い影のように。 「ガルガス……!」 三人の視線が向けられる。 ガルガスが挨拶するように右手を挙げた。窓縁に足を乗せ、腰を屈めている。至って平然と。ここは第一入院棟の七階である。窓の高さは地面から二十メートル以上。簡単に登れるような高さではない。 「ガルガスさん、ここで何してるんですか? ……事情聴取を受けていたはずでは?」 驚きを隠しきれず、リアが尋ねる。 軍やら警察やらの偉い人によってガルガスは事情聴取を受けていたと、クキィは聞いている。聴取というよりも、尋問に近いものらしい。 「逃げてきた。同じような事を何度も聞かれるし、堅苦しい空気も苦手だったし。警備がきつかったから抜け出すのは大変だったけど」 窓から床に下りるガルガス。 ベッド横の机に置いてある果物の盛り合わせを指差した。 「食べていいか?」 「ええ。まあ、どうぞ……」 曖昧に頷くリア。 「ありがとう」 礼を言ってから、ガルガスはリンゴを掴んだ。皮も剥かずに囓り付く。あっという間に芯を残して実を食べてから、最後に芯を口に入れ咀嚼し呑み込んだ。文字通り残さず食べる気のようである。 タレットが人差し指と親指を擦り合わせていた。煙草が吸いたいらしい。 「あいつらの狙いはガルガスだ。オレたちにはほとんど興味示していない。正直それはありがたいぜ。あんな連中の相手してたら、命がいくつあっても足りんわ」 ヴィンセントたちのような怪物がクキィたちを殺しに動いたら、それを止める事はできない。ガルガスだけに意識が向いているのは、まだ幸運なことだった。 リアは口元を押さえ、視線を落とす。 「とはいえ、あの時はわたしごと斬ろうとしましたからね。こちらに気を使ってくれる保証はありません。特にあのジャックは――目的のために手段は選ばないでしょう」 「それにああいう連中は結構ゴロゴロしてるようだし。今後そういう奴らがオレたちに危害加えないなんて保証は欠片もない。何かこっちも手札が欲しいところだな」 怪物を相手に戦う方法。 火力だけではどうしようもない相手と戦う力。現在そのような力を持つのは、ガルガスだけである。しかし、それだけでは心許ない。 リンゴを全部食べ終わり、ガルガスがメロンを取る。 右手に乗せたまま、薄緑色の果実を眺め数秒黙考。 そのままむしゃむしゃと食べ始めた。切りもせず皮もそのままで。奇妙な光景だった。果汁はこぼしていないが、やっている事は行儀の善し悪しという域ではない。 クキィとリア、タレットが呆れた視線を向ける。 「何で、ガルガスが狙われてるのかしらね? 心当たりある?」 「うん?」 半分くらいになったメロン。本来なら中身の種は捨てるが、ガルガスは気にせず食べていた。薄い黄色の種が口の中に消えていく。 「前にあいつらの上司から、お前は不確定要素過ぎるから大人しくしてろって言われたんだよ。でも、じっとしてるのは柄じゃないし、退屈なのは嫌だし、俺は俺がやりたいようにするって断ったんだ。そしたら、抹殺してでも止める事になったらしい」 「あー……」 「凄いですね、ガルガスさん。あなたは……」 頭を押さえ、リアが呻いている。 タレットも眼鏡を外して目を押さえていた。 「世界の消滅、か……」 ローウェから告げられた言葉を、クキィはぼんやりと思い出す。千数百年後に世界は消える。その消滅を止めるために動いている者がいる。ガルガスに絡んでいる話はつまり、それなのだろう。 ガルガスがメロンを食べ終わり、パイナップルに手を伸ばしていた。 「クキィさんも聞いたのですか?」 リアが疲れたような目を向けてくる。リアも世界の消滅という話は聞いているようだった。表情を見る限り、タレットも聞いているらしい。 「まあね、本当かどうかは分からないって言われたけど。実際どうなの?」 「俺も知らん」 もしゃもしゃとパイナップルを食べながら、ガルガスが答える。もはや皮を取るという発想はどこかに置いたらしい。 「失礼する」 突然ドアが開いた。 百八十を超える巨大な体躯。三角形の耳に大きな尻尾、やや色褪せた狐色の被毛。狐型獣人の女だった。丸太か岩のような屈強な身体を、朱色の服装で包んでいる。 ローウェ・ロックエル。 先日身体に何ヶ所が穴が開いていたが、もう元気そうである。 「先せ……ぇっ?」 タレットが声をかけようとして喉を引きつらせた。 ローウェの口元に浮かぶ笑み。その視線はガルガスに向けられている。それから胸の前で手を組み、印を結んだ。何もない空間から右手に現われる大刀。巨大な鉈か包丁のような刃物だった。人が人の枠を越える力とローウェは表現している。 ガルガスは気にも留めず、パイナップルの頭の葉を囓っていた。 「ようやく見つけたぞ。やはりここに来ていたか」 ローウェがガルガスに近付いていく。全身から赤い妖力が燃え上がった。 ガゴンッ! 響いた音に、クキィは目を瞑り身を竦ませる。 目を開けると、床に倒れたガルガスがいた。 ローウェは動かなくなったガルガスを左手で担ぎ上げる。右手で上着のポケットから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。何度か呼び出し音が鳴ってから繋がる。 「ローウェだ。逃亡者を確保した。至急そちらに連行する」 電話越しにそう告げてから、携帯電話をポケットにしまった。 速やかに入り口に向かうローウェ。 言葉を失うクキィ、リア、タレット。 部屋を出る前にローウェが足を止め、振り向いてくる。 「邪魔したな」 そう言い残して、病室を出て行った。 |
12/8/30 |