Index Top 第2話 招かれざる来訪者 |
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第5章 街で一番静かな場所 |
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頬のヒゲを撫でる冷たい風に、クキィは眼を開けた。 「っ、痛い……」 頭を押さえ、顔を上げると、青い空が目に入る。白い雲がゆっくり流れる青い空。太陽の位置からして、まだ八時くらいだろう。風が強く、髪の毛やヒゲがなびいている。思考がいまいち上手く動かない。 「どこ、ここ?」 「あまり動かない方がいい。落ちる」 不意に掛けられた言葉。 その声の主を思い出し、同時に言われた意味を理解する。 「いいッ?」 クキィは喉を引きつらせて、自分がいた場所にしがみついた。 周囲に見えるビル群を眺め、自分がいる場所を理解する。街の中央公園に設置された、高さ五十メートルはある大時計塔。その三角屋根の上である。傾斜は六十度以上あるだろう。術なしではとても立っていられない角度だった。 「なん……何でこんな所に」 意味が分からず、思考を捻る。 クキィは屋根窓の上に仰向けに引っかけてあった。屋根の斜面から横に出っ張った、小さな通気用の窓。その屋根部分は傾斜が緩いので、クキィでも体勢を維持していられる。本当に小さい空間であるが。 ディスペアはどのような原理か、急傾斜の屋根に立っていた。 「人気の無い場所を探していたら、よさそうな場所を見つけたから移動した。街で一番高い場所を謳っているだけあり、なかなか良い眺めの場所だ。人気もなく、静かだ」 と、赤紫色の瞳を空と街に向ける。 デリンジャーによって開けられたはずの額と喉の穴。デュエルガンによって風穴を開けられたはずの胸。どちらも跡形もなく治っていた。服も元通りに直っている。 徒労感を覚えつつ、クキィは辺りを眺めた。ビルの屋上や時計塔のてっぺん。 ディスペアが声を掛けてくる。 「……あいつが、脈絡無く助けに来ると思ってるのか」 「そう上手くはいかな――」 考えを見透かされ空笑いを見せるものの、ディスペアは淡々と続けた。 「あいつはそれをごく普通にやる。実に厄介な男だ。多少投げ飛ばしたくらいじゃ無力化できない、歩き回る不条理。人の常識など通じない。だから、お前をここまで運んだのだ。あいつが現れたら、追い払う必要があるが」 こともなげに言い切る。 その顔は嘘や冗談を言っているようには見えなかった。目付きも表情も無感情だが、不思議と分かる。ガルガスが唐突に現れる事を本気で警戒していた。過去にガルガスの神出鬼没に悩まされたことがあるのかもしれない。 屋根窓の上でぎこちなく身体を起こし、クキィはそこに腰を下ろす。怖くて立つことはできないが、座っている程度だったら可能だった。 「あんたは、何が目的なの? あたしを殺しに来たの?」 「誰も殺す気はない。今回の行動は、どこかの組織などの依頼ではなく、私個人としての行動だ。いくつかお前と話がしたくてな。直接会いに来た」 クキィに向き直るディスペア。 腰まである長い銀髪が、風に吹かれてなびいていた。手入れの難しいと言われる長髪だが、ディスペアは羨ましいくらいにきれいな光沢を持っている。黒いマントや長衣の袖や裾もはためいていた。その姿は、どこか幻想的である。 バランスを取るように尻尾を動かしつつ、 「なら……襲いかかる必要あったの?」 「無い」 即答する。 クキィは額を押さえ、思い切りため息をついた。全身を包み込む徒労感。徹夜明けで疲れ切った所に、駄目押しとばかりにのし掛かってくる精神の消耗。全てを置き去りにふて寝してしまいたかった。 「だが、お前たちの戦力を見ておきたかった。やりすぎたと少し反省している」 「で、その評価は?」 ジト眼で尋ねる。 「護衛としては無理があるな。手段は選ばない方がいい」 ディスペアは自分の右手を眺めた。傷も何もない、白くきれいな手だった。職業柄傷が無いはずがないが、出来た傷はすぐに治ってしまうのだろう。ディスペアの超再生能力はさきほど眼にしている。 クキィは率直に訊いた。 「……天然ボケとか言われない?」 「よく言われる」 こちらも率直に答える。 クキィは片目を閉じ、横を向いた。 街の中央地区。十階建て以上のビルがいくつも並んでいるが、高さ五十メートルの大時計塔よりも高いビルは無かった。四角く灰色の人工物と、青い空と白い雲。流れていく風邪。鳥が風に乗って飛んでいく。 かなり本気で現実逃避。 (こいつって、ガルガスと同類よね……) そんな事を考えながら、ちらりとディスペアを見やった。 視線に気付いて、ディスペアが振り向いてくる。 「今、失礼な事を考えなかったか?」 「気のせいよ」 再び明後日の方向に眼を逸らし、クキィは白を切った。尻尾を曲げながら、ヒゲを引っ張る。どうでもいい事を話して、気力を消耗するのは避けたかった。 「それで、あたしに話って何かしら?」 要点だけを尋ねる。 ディスペアが正面へと足を進めた。急傾斜を意に介さず数歩進み、振り返ってくる。赤紫色の瞳は射貫くように、クキィを捕らえていた。 「お前が自分の存在に付いてどう考えているか。"鍵人"として、自分という存在をどう考えているのか。それが知りたい」 「難しい事訊くわね。自分でも分からないわよ」 クキィは正直に答える。両腕を広げて首を振って、 「いきなり鍵人だって言われて、よく分からない騒動に巻き込まれて。昨日の夜までは普通に暮らしてたのに……。一日で何もかも変わりすぎだって」 「そんなところか」 ディスペアは納得したように頷いた。一人で勝手に納得している。本人の中では話がまとまっているようだが、傍観者のクキィには状況が分からない。そもそもクキィの手にある情報のカードが少なすぎるのだ。 「そもそも、なんであたしにそんな事訊くのよ。あんたに何の関係があるの?」 その問いに、ディスペアが空を見上げた。 青い空。その遠くを見るような眼差し。だが、見ているの空ではなく、空よりもさらに遠く。昔の事を思い出しているように思えた。 「五百年ほど前に、ゲート計画というものがあった」 ディスペアが口を開く。唇をほとんど動かさずに。 「封印の扉の向こう側から、力の一端を取り出す計画だ。疑似鍵人を作り出し、その力で扉を開け、世界の鍵の力の一端を取り出すという内容」 黙ってクキィは話を聞く。難しい話をしているわけではない。その時代の術や科学を集めて、金庫の扉を開けようと試みた。 「成功確率は皆無と言われていたが、予想に反し計画は一部成功した。封印の扉を僅かに開けることにより、扉の向こうの力を少しだけ取り出すことができた。それは疑似鍵人となった者に流れ込んだ」 「それが、あんた?」 「そうだ。唯一の成功例だ」 頷くディスペア。 表情は変えぬまま、右手を自分の胸に当てる。 「それから、何度か力の引き出しを試みたが、反応は無し。どこも無成果の計画に投資する余裕もなく、月日とともにゲート計画は縮小され、消滅した」 ほぼ偶然によって扉は開いたのだろう。二度目は無かったということか。 「扉の中の力に浸蝕され、私は人間ではなくなった。常軌を逸した身体能力、その制御を可能とする思考能力と反射速度。そして、不死――老化せず、死にもせず、破損した部位すら短時間で再生させる、不滅者となった。生物の理から開放された超人だそうだ」 その口調に、昂ぶりや悦びはない。淡泊に現状を確認しているだけ。 リアの術を拳で砕き、ガルガスを退けるほどの戦闘力。さらに、胸に風穴を空けながら、動きも鈍らず、その致命傷でさえ目に見える速度で消えていく治癒速度。どちらも、生物としての限界を超えている。 「つまり、何が言いたいの?」 「私が扉を開けたのは一瞬だった。私は扉の奥にあった何かに触れられ、身体と思考を浸蝕された。そのせいで私の身体がソレに近いものになっているんだろう。扉の向こうにあるのは、人智を越えたバケモノだ」 その声には、微かな、ほんの微かな恐怖が見て取れた。 「扉の向こうには、世界の鍵ってのがあると聞いているけど。それ?」 「そうかもしれない。違うかもしれない。形容しがたい存在だった。ゲート計画が止まったのは、私が扉を開けた時にソレが内側から扉を閉じたのかもしれない」 クキィの台詞に続けて、ディスペアが付け足す。 嘘か本当かはまだ不明。当のディスペアも分かっていない。しかし、ディスペアは扉の向こう側の存在に触れて、身体そのものを組み替えられてしまった。もし、クキィが封印の扉を開ける事になれば、ディスペアのように扉の奥の力に浸蝕されてしまうだろう。そこから、どのような存在になるのかは予想も付かない。 「お前はいずれ、封印の扉を見ることとなる。開けるにしろ、開けないにしろ。その時、自分がどのように行動するべきかは、今から考えておいた方がいい」 「難しいわね」 ふっと吐息し、力無く笑う。 「焦る事はない」 そう言ってから、ディスペアは屋根の縁へと歩いていき―― クキィは慌てて声を掛けた。 「ねえ、ねぇ! ここに置き去りにするつもり?」 足を止めて振り返るディスペア。本気でクキィを置き忘れる気だったらしい。 だが、置き忘れられた方がよかったかもしれない。一度頷いてから、急傾斜の屋根を歩いてくるディスペア。すぐ間の前までやってくると、クキィの身体に腕を回し、肩の上へと抱え上げた。さながら荷物のように。 「え? ちょ、ちょっと、こーゆーのは期待していない、という……か……」 クキィの呟きを無視して。 ディスペアは、大時計塔の屋根から跳んだ。 |
ゲート計画 人工的に鍵人を作り出し、封印の扉を開けようとした計画。扉の向こう側の力を少しだけ取り出すことに成功するが、それ以外に進展は無く、消滅する。 超人 生物としての理から開放された者。ディスペアがそう呼ばれる。 封印の扉の向こうにある力を得て、肉体が変質してしまった姿。常軌を逸した身体能力、その制御を可能とする思考能力と反射、そほぼ完全な不死――老化せず、死にもせず、破損した部位すら短時間で再生させる不滅者。 |
11/2/10 |