Index Top 一尺三寸福ノ神

第38話 琴音のチャレンジ 後編


 琴音はびしっと画面を指差した。さきほどから変わらぬ文字。
「オレに福を寄越すのだ」
「………?」
 鈴音が不思議そうに見つめてくる。自分自身を見ることはできないが、自分を見るように黒い右目が動くのが分かった。
「琴音とワタシは同一人物なのです。自分で自分に福を呼ぶことはできない……と思うのです。試したことはないのですけど」
 琴音の意志とは別に口が動き、そう言葉を連ねる。
 他人に影響を与える力を持つ神は、自分にはその『何か』を与えることは出来ないことが多い。自分で作ったものを自分に与えても、反作用と効果が相殺されてしまうからだ。自分で自分の襟首を引っ張っても宙に浮かばないのと理屈は同じである。
 しかし、琴音は強い口調で断言した。
「大丈夫なのだ。心は別人だから、何とかなるのだ!」
「うーん。でも、その場合、ワタシにも反動くるような気がするのです……」
 鈴音が不安そうに目線を持ち上げる。鈴音と琴音。同じ身体を共有する別人格。人格が交換すれば容姿も変わるが、あくまでも同一人物だ。効果と反作用が相殺せずに、別々に現れるかもしれない。
「その厄はオレが引き受けるのだ。福神の作った福の反動は厄神が扱うのだ。だから、その厄自体はオレがどうにでもできるのだ……多分」
 鈴音の心配を打ち消すように、琴音は続けた。鈴音が福の神として使った幸運の反作用は、厄として琴音が扱える。ある程度制御することはできるだろう。
 それで、ひとまず鈴音は納得したようだった。
「分かったのです。とりあえずやってみるのです。でも、ひとつお願いがあるのです。琴音の身体をしばらく貸して欲しいのです」
「妙なことを言うのだ」
 訝る琴音に、鈴音が答える。
「大人の身体の感じを試してみたいのです」
「そういえばお前、身体が小さいこと気にしてたのだ……。なるほど、分かったのだ。身体を貸すくらいならどうってことないのだ。その条件で頼むのだ」
 身体を貸す。身体を操作する役割を全て鈴音に預けるという意味だ。表に出てくるという意味ではなく、身体の変化は無しにそのまま動かせるようにしろということである。特に難しいことでもない。
 両腕の袖が白く染まる。
「では――」
 鈴音が両手を打ち合わせ、琴音の胸に右手を触れさせた。福が込められる。色も形もない幸運の因子。何も変化は無いが、それでも琴音は自分に幸運が宿ったと自覚した。
「これで終わりなのです。頑張るのです」
 袖が赤に戻り、右目も赤色に戻る。鈴音が意識の奥へと引っ込んだ。
 両手を組んで腕の筋を伸ばし、琴音はディスプレイを見つめる。
『接続キー入力失敗 再入力しますか? はい いいえ』
 さきほどから変わらぬ文字が表示されている。ここで、適当に文字を入力しても正解になることはないだろう。幸運とはそこまでご都合主義ではないのだ。
 思考を回しながら、琴音は両目を見開く。
「閃きよ……来るのだ……。――! 来たのだァ……!」
 脳裏に弾ける閃き。
 弾けた電流が全身を躍動させる。大袈裟とも言える動きで琴音はマウスを操作し、『いいえ』をクリックした。マイコンピュータ画面に戻り、メモリを開く。
『パスワードを入力してください』
「コレなのだ!」
 両手を動かし、琴音は入力欄に文字を打ち込む。
『password』
 そして、勢いよくエンターキーを押す。これがパスワードとは思えないが、何かしらの打開策が出てくるだろう。窮地における幸運は閃きという形で現れることが多い。
『パスワードを忘れてしまった場合』
 予想通り、画面に表示される新しい文字。
『100x^2+50x+100=0のxの値を求めよ』
「へ……」
 目を点にして、琴音は表示された言葉を見つめた。
 くるくると頭の中身が空回りしている。真っ白に染まった思考。パスワードを忘れた場合に『password』と入力すると、パスワードを求める暗号が出てくる仕組みのようだ。その暗号が、『100x^2+50x+100=0』という二次方程式らしい。
 十数秒ほどして、琴音は結論を出す。
「分かるかーなのだー!」
 机を勢いよく蹴り、右手を電源ボタンへと叩き付けた。ボタン内部のバネの手応えから、コンピューターがシャットダウンへと移行する。電源シャットダウンはやらない方がいいらしいが、壊れることもないだろう。
「まったく、小森一樹は何を考えているのだ……!」
 文句を言いながら机から飛び降り、琴音は部屋を横切った。ベッドの手前で草履を脱いでから、床を蹴ってベッドへと飛び乗る。両手両足を広げて、布団の上に寝転がった。急激に押し寄せてくる徒労感。
 赤い右目が黒く変化する。口が勝手に動き、言葉を紡いだ。
「一樹サマは知られたくないものを無防備にするような人ではないのです。琴音も残念だったのです。でも、ワタシみたいに怖いアニメのトラップが無くてよかったのです」
「……そうかもしれんのだ」
 両手を頭の後ろで組んで、琴音は適当に答える。一樹は抜け目ない男だ。好奇心の強い者が近くにいる状況で、他人に見せたくないものを無防備にしておくほど愚かでもない。分かっていた事と言えば分かっていた事なのだが。
 鈴音が声を弾ませながら、言ってくる。
「それでは、約束通り琴音の身体を貸して欲しいのです」
「ああ。分かっているのだ。あとはお前の好きにするのだ」
 琴音はそう答えて、ふて寝するように両目を閉じた。

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