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第37話 琴音のチャレンジ 前編 |
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「ふっふっふッ、油断したのだ。小森一樹……」 誰もいない一樹の部屋。その机の上に仁王立ちして、琴音は目を細めて静かに笑っていた。鈴音から琴音に入れ替わり、大学に連れて行くか否か迷っていた一樹に、琴音は家に残ると告げた。そうして今、誰にも邪魔されず一樹の部屋にいる。 琴音は右手に持ったUSBメモリを持ち上げた。 一樹が大学に行ってから二時間の家捜しの結果、テレビの下の隙間に隠してあったのを発見したのである。16GBと容量が大きめのフラッシュメモリ。既に関数電卓も用意してあり、パソコンも立ち上げてあった。 「オレは鈴音ほど甘くは無いのだ。小森一樹、お前の秘密は見せて貰うのだ!」 赤い目を見開き、琴音はUSB端子へとフラッシュメモリを突き刺した。カシャという微かな音とともに、コネクタが接続される。上下を間違うというミスは犯さない。 数秒でパソコンがメモリを読み取った。アイコンが追加される。 「データを残すのは、確かに外付けHDDが一番なのだ。でも、他人に知られたくないデータを保存するのは、容量が大きめのフラッシュメモリで十分なのだ。USBメモリやSDメモリは外付けHDDよりも小さいから、どこにでも隠せるのだ」 自分の行動を確認するように喋りながら、琴音はパソコンの前に腰を下ろした。自分の言葉を聞く者はいない。独り言はその場の雰囲気と勢いである。 白い眉毛を内側に傾けながら、琴音はマウスを動かし、メモリを開いた。 『パスワードを入力してください』 ほどなく出てくるパスワード確認画面。これは以前鈴音が見たものと一緒である。鈴音の記憶として、琴音も知っていた。ここで違うパスワードが設置されていたらそれで努力は水泡に帰すが、多分それはないだろう。 『12345678』 慣れた動きで琴音は数字を入力する。 『パスワード承認』 再び読み込み画面が動き出した。 琴音は白いポニーテイルを手で払い、両手の指をほぐしながら深呼吸をする。関数電卓はすぐ傍らに用意してあった。 「ここまでは問題無いのだ。そして、こいつなのだ。問題を解くのは簡単だけど、地味に面倒くさい入力方式。考えたヤツは性格悪いのだ」 『接続キー入力』 簡素な文字が表示され、続いて問題が表示される。 『10の平方根を 9桁まで 30秒以内に入力せよ』 「ラッキーなのだ。これは簡単なのだ!」 にやりと笑ってから、琴音は素早く関数電卓に指を走らせていた。10を入力してから、√キーを押す。液晶ディスプレイに表示される、十二桁の数字。 『3.16227766016』 キーボードの数字を叩き、琴音は素早くその数字を入力する。残り時間を見るとまだ二十秒も残っていた。余裕たっぷりにエンターキーを押し、 『接続キー入力失敗 再入力しますか? はい いいえ』 「あれ……? 入力ミスしたのだ」 思わず瞬きしてから、琴音はマウスを動かし「はい」をクリックする。 『接続キー入力失敗 再入力しますか? はい いいえ』 「……おかしいのだ」 画面に現れた小さなウインドウを凝視しながら琴音は口を曲げた。さきほどから入力を繰り返すこと八回。だが、何度も再入力を求められる。 九桁の数字を入力。電卓を読み間違ったり、打つキーを間違えたり、入力ミスの可能性はそれなりに高い。しかし、八回連続で入力ミスをするとは思えなかった。 「もしかして、なのだ……」 琴音は一度『いいえ』をクリックする。頬を冷たい汗が流れ落ちた。乾いた唇を舌で舐める。頭に浮かんだ、嫌な予感。最も根本的な見過ごし。 マイコンピュータへと戻り、琴音は改めてフラッシュメモリを開いた。 『パスワードを入力してください』 パスワード確認画面が現れる。 『43gdsbdt8yf』 琴音は適当にキーを打ち、エンターキーを押した。絶対に間違っている文字列。普通ならばパスワードが違うと再入力を求められるだろう。だが、予想に反して――いや、予想通りと言うべきか、出てきたのは同じ文字だった。 『パスワード承認』 「謀られたのだ……」 右手の親指を噛み、鈴音は眉間にしわを寄せる。大事なデータにはそれなりのパスワードを入れるだろう。一度鈴音がHDDを開けたのに、全部のデータに同じパスワードを設定するほど一樹は脳天気でもない。当たり前すぎて、今まで意識の外にあった。 「オレは馬鹿なのだ……」 『接続キー入力』 簡素な文字が表示され、続いて問題が表示される。 『165の5.4乗を 9桁まで 30秒以内に入力せよ』 数字が減っていくが、答えを入力しても無意味なのは分かっていた。 パスワードの正否に関わらず、接続キー計算入力画面に移動し、パスワードが間違っていれば計算の正解を入力しても、中身のデータには到達できない。 『接続キー入力失敗 再入力しますか? はい いいえ』 「このプログラム作ったヤツは、本当に性格悪いのだ……」 画面に表示された文字を睨みながら、琴音は呻いた。肝心のパスワードが分からなければ開けられない。それは当然のこと。だが、間違っても気づかない仕組みを組み込んであるのには、明らかな悪意を感じる。悪意というよりは、厭らしさ。 それでも、琴音はぎしりと奥歯を噛みしめ、赤い瞳に意志の炎を灯した。 「だがしかし、オレはこの程度では諦めないのだ……。こうなったら意地でも開けてやるのだ。厄ノ神の根性見せてやるのだ! というわけで、鈴音、出番なのだ!」 「……出番って、何を言っているのです?」 音もなく右目が黒く染まり、鈴音が現れた。 |