Index Top 一尺三寸福ノ神

第21話 診察


「小森一樹さん」
 受付の人の声に、一樹は顔を上げた。
 家の近くにある木之本医院。その待合室には、消毒液の匂いが微かに漂っている。椅子に座っているのは、一樹を除いて八人だった。大人六人に子供が二人。最近は風邪が流行っているので、病院に来ている人も多い。
 膝の上に座った鈴音が見上げてくる。
「一樹サマ、呼ばれたのです」
「うん」
 小さく頷いてから、一樹は鈴音を抱えて椅子から立ち上がった。身体が重い。動けないほどではないが、あまり元気ではない。念のためマスクは付けている。
 待合室を歩いてから、診察室のドアを開けた。
「どうぞ、そちらに」
 三十台半ばの白衣を着た男である。かなり昔から診察を受けているが、未だに名前は知らない。胸の名札には『木之本』と書かれていた。
「木之本さくら……なのですか?」
 名札を見つめてそんなことを呟く鈴音を、近くにあった荷物用のカゴに入れる。今回は財布しか持ってきていないので、手荷物は無い。大人しくしているようにと鈴音の頭を一回ぽんと叩いてから、一樹は診察用の椅子に座った。
「今回はどうなされました?」
 月並みな台詞で訊いてくる木之本先生。その視線は一樹にのみ向いていて、鈴音には気づいていない。普通の人間では存在自体感じ取れないらしい。
「喉の痛みと咳が少しと頭痛、あと熱が37.8度あります」
 一樹は自分の症状をそのまま答えた。典型的な風邪の症状である。
 軽く苦笑いをしてから、先生は右手を伸ばして金属のヘラを手に取った。
「最近は風邪流行ってますからねぇ。では、口を大きく開けて下さい」
「はい」
 一樹はマスクを外し、大きく口を開けた。
 口の中にヘラを差し込み、ポケットライトで喉の奥を照らす。
「あぁ。腫れてますねー。これでは、喋るのも少し辛いんじゃないですか?」
「ええ、まあ」
 先生がヘラを消毒液の中に入れるのを見ながら、一樹は頷いた。喉から鼻に掛けて炎症起こしているのだろう。咳をするのも辛いので、無理に咳を抑えている状態だった。
「お腹の具合はどうでしょう?」
「そっちは問題ないです」
 手短に答える。
「では、ちょっと服を上げて下さい」
 聴診器を耳に付ける先生を見ながら、一樹はジャンパーの前を開け、上着を持ち上げた。肋骨が浮いて見えるほど、痩せた体付き。
「一樹サマの身体って、本当に細いのです……」
 カゴの縁を掴んだまま、鈴音が小声で感想を口にしている。呆れたような感心したような、そんな口調。自分の身体を見た者は大抵こんな反応をしていた。
 肌に当てる部分のチェストピースを指で叩いて確認してから、先生はそれを一樹の胸に当てる。何ヶ所か当ててから、
「後ろを向いて下さい」
「はい」
 言われた通りに後ろを向くと、服を持ち上げてぺたぺたと聴診器を当てた。背中から伝わってくる聴診器の冷たい感触に、眉を動かす。
 聴診が終わってから振り向くと、先生は事務的な笑顔で、
「症状の薬出しておきますね。あと、熱が出ているので、水分補給をこまめにしておいてください。普通のスポーツドリンクで大丈夫です」
「分かりました」
 頷いてから、一樹は椅子から立ち上がった。嘔吐や下痢が止まらないとか、熱が39度以上あるなどでない限り、ただの風邪では特に言うこともないだろう。
 外していたマスクを再び付ける。
「何だか、あっけないのです」
 腕組みをしながら、鈴音が不服そうに頬を膨らませていた。
 一樹はそっと右手を差し出す。
 鈴音はカゴから跳び上がり、一樹の右手を掴んでから器用に腕の中に収まった。身体の動きに合わせて、黒髪が踊る。鈴音はかなり身軽なのだが、さすがに身体の小ささのため歩いて移動というのは大変らしい。
「ありがとうございました」
「おだいじに」
 定例的な挨拶を交わしてから、一樹は診察室のドアを開けて待合室へと移動した。さきほどと変わらぬ待合室。会計を終えたのか、親子が一組いなくなっている。
「ふぅ……」
 一樹は小さく吐息してから、適当な席へと腰を下ろした。抱えていた鈴音を席の横に下ろす。大したことはしていないが、少し疲れた気分だった。
「大丈夫なのですか?」
 眉毛を斜めに傾けながら、鈴音が見上げてくる。それは、掛け値なしに心配している表情だった。色々と言っているが、やはり不安なのだろう。
 一樹は安心させるように鈴音の頭を撫でながら、
「薬貰えるし、寝てれば治るよ」
「どんな薬貰えるのですか?」
 訊いてくる鈴音に、一樹は少し考えてから答えた。喉に負担にならないように小声で。
「今までの経験からすると、総合感冒薬と解熱剤、あと喉の炎症止めと……結構熱出てるから、抗生物質出かな? あと、トローチ出るかも」
 風邪で出される薬はそう種類があるわけでもない。大体症状を抑える薬が出されるものだ。インフルエンザなどの重いものだとその限りではないが。
 鈴音はため息とともに両腕を下ろし、
「病気を治す術が使えればいいのですが、ワタシはそういう難しい術は使えないのです。一樹サマのお役に立てなくて、申し訳ないのです」
「その気持ちだけでもありがたいよ。ありがとう、鈴音」
 マスクを取り、一樹はそう笑いかけた。

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