Index Top 一尺三寸福ノ神

第13話 好奇心の代償


「終わった。ようやく終わった……」
 印刷されたレポートを眺めながら、一樹は長々とした息を吐き出した。
 表紙を含めてたった二枚のレポート。これを作るのに午後をまるまる使ってしまった。感想文系のレポートは今回だけなので、それは幸運なことだろう。
「一樹サマ、レポート完成おめでとうなのです。これで、ようやく安心して休日を過ごせるのです。今日はゆっくりお休みするのです」
 机の上に立った鈴音が、声を掛けてくる。時計を見ると午後の八時だった。図書館から帰宅後一時間ほど昼寝。それから夕食を取り、部屋に戻ってレポートを印刷した。
 晴れて自由な時間である。
「というわけで、お昼の約束通り、風景写真のサイトを見せて欲しいのです!」
 鈴音はびしっと一樹を指差した。緋袴に包まれた両足を左右に開き、左手を腰に当て、白衣の袖を振る勢いで右手の人差し指を突き出す。理由は知らないが、鈴音の気に入っているポーズだった。
「分かってるよ。待って」
 レポートをプリンタの横に置いてから、一樹は机へと歩いていく。
 図書館にいる間に、鈴音は風景写真集を読み終えてしまった。中身は写真なので読み終わるのは早い。同じシリーズは貸し出し中で同じような写真集もなかったので、帰ってから、ネットで風景写真のサイトを見せる約束をしたのだ。
 一樹は椅子を引き、そこに腰を下ろす。パソコンの電源を入れる。立ち上がるまでは一分ほど待たなければならない。プリンタとは、ミニPCから直接USBを繋いでいた。
「一樹サマ、ちょっと失礼しますなのです」
 鈴音が小さな座布団を一樹の膝に落とす。家にあった人形用の座布団で、鈴音に丁度いい大きさだった。一樹が渡したものである。
 座布団に飛び降り、腰をを下ろす鈴音。机の上に両手を乗せる。
「何してるの?」
「机の上からパソコンを見るのは行儀が悪いのです」
 一樹の問いに、鈴音は当たり前とばかりに答えた。確かに机の上に乗ってパソコンを見るのはあまり行儀のいい行為ではない。
「そうか」
 手短に納得し、一樹はディスプレイに目を移した。
 OSが立ち上がり、デスクトップ画面が表示される。アイコンや文字を邪魔しないような簡素な壁紙と、必要最低限のアイコン。
 マウスを動かし、インターネットエクスプローラを立ち上げる。画面に広がるブラウザ。ブックマークの趣味2フォルダを開き、サイトを開く。
『不思議な世界の写真館』
 それは、有名な写真サイトだった。アマチュア写真家五人による共同管理で、様々な写真が飾ってある。管理人の中にPC関係の仕事の人間がいるらしく、ホームページとしても完成度は高い。
 インデックスにはメニューとともに、富士山の写真が飾られていた。富士山の上に掛かる笠のような雲と左に見える大きな雲。
 鈴音が写真を指差し、訊いてくる。
「これは凄いのです。この雲は何という雲なのです?」
「笠雲とつるし雲だよ。山裾に沿って上昇した空気から雲が生まれる笠雲と、山を越えた空気がまた浮き上がってできるつるし雲。こんなにきれいなのは滅多に見られないけど」
 一樹の解説に鈴音は数拍黙り込んでから。
「何だか分からないけど、凄いのです……」
 そう呟いた。


 そうして一時間ほど写真について語り合っていただろうか。
 ぱたりと閉るドアを確認してから、鈴音は腰掛けていた机の縁から立ち上がった。身体を後ろに引きつつ、両足を机に乗せ、立ち上がる。
「さて、一樹サマは行ってしまったのです。今ワタシは一人きりなのです」
 閉ったドアを見ながら、鈴音は何度か頷いた。胸元のお守りが揺れる。一樹はトイレに行った所だった。しばらくは戻ってこないだろう。時間は一分ほどか。
 一度時計を確認してから、鈴音はおもむろにパソコンに向き直った。
「ふっふっふっ。一樹サマ、ワタシを一人残してでかけた事を後悔させてあげるのです。好奇心旺盛な女の子は、パソコンの側に一人にしてはいけないのです」
 鈴音は両手でマウスを掴み、カーソルをタスクバーのスタートに移動させる。一度クリックすると、スタートメニューが現れた。その一番下にある検索欄に、カーソルを合わせてから、キーボードを眺めつつ簡単な文字を入力する。
「jpg検索……なので――」
「何してるんだ?」
 ぽんと頭に手を乗せられ、鈴音は動きを止めた。止めたと言うよりも、止まった。頭のてっぺんから爪先まで、凍ったように動かなくなる。
 ギギギ、と軋んだ音を立てながら振り向くと、一樹が立っていた。光の反射のせいで、眼鏡が白く光っている。表情を読むことは出来ない。
「おかえりなさい、なのです」
「僕の持ってるjpg画像が見たいのか? 見たいなら見せるよ」
 一樹の左腕が鈴音を持ち上げ、がっちりと拘束する。そのまま椅子に座り、実行キーを押した。ずらりと出てくる画像。そのひとつをクリック。
 画面に出てくる画像。緑色の球体の中に赤い球体が内側にくっつくように二つ縦に並び、その首の部分を半径の違う青い球がネックレスのように巻き付いている。
「何なのです、これは……?」
 じっとりと背中に嫌な汗を流しながら、鈴音は尋ねてみた。答えを聞いてはいけないと本能が告げているのに、条件反射的に口が動いてしまう。
 左手で鈴音を捕まえたまま、一樹が答えた。
「これはかなり有名な和算だ。緑の球内部に内接するふたつの赤い球、その首の周りを取り囲む半径の異なる青い球。この青い球は赤い球と外の緑の急に外接している」
 にっこりと微笑みながら、見下ろしてくる。
 鈴音は何も言えぬまま一樹を見上げた。ぱくぱくと口が動くものの、何も言葉が出てこない。何を言っているのか意味不明だった。思考の許容限界を二桁越えている。目元に涙が浮かんでいるのが自分でも分かった。
 しかし、気にせず続ける一樹。楽しそうな声で解説してる。
「これはフレデリック・ソディーの六球連鎖の定理と同じものだ。日本じゃソディーの百年も前に考えられてたんだから、面白いと思うよ。昔の日本人は暇だったんだなぁ」
「一樹サマアアアア!」
 鈴音は泣きながら、悲鳴を上げていた。

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