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第11話 土曜日の朝 |
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「朝なのです! 大学へ行く時間なのです」 寝ぼけた意識に、鈴音の声が飛び込んでくる。 一樹はぼんやりと目を開けた。カーテンの開けられた窓から差し込んでくる日の光。鈴音が開けたのだろう。いつも一樹が起きる前に起きだしてカーテンを開けている。本人の話では朝一番の日の光を浴びるのは気持ちいいらしい。 布団に潜ったまま眼鏡を掛けて視線を移すと、机の上に鈴音が仁王立ちしている。理由は知らないが、机の上が気に入っているようだった。 「今日は休みだよ……」 一樹は時計を眺めながら、呻くように答える。 朝の七時が起床時間だった。それから一時間ほどで身支度を済ませ、八時前に家を出て九時頃に大学に着く。それが、朝の日課だった。 しかし、今日は土曜日で大学は休みである。 鈴音は顎に手を当ててて、視線を斜め上に向けた。 「そういえば、昨日の夜にそんなことを言っていたような気がするのです……」 覚えていないようである。昨日は夜の二時頃まで起きていて、鈴音には休み前だから夜更かししていると言っている。だが、聞き流していたらしい。動画サイトで枢愕者トリリオンのMADに熱中していたので、当然とも言えるだろう。 「休みだから、あと二時間くらい寝かせてくれない?」 寝ぼけ眼のまま、一樹は頼んだ。 しかし、鈴音は窓の外を指差した。朝日が差し込む明るい休日の朝。とはいえ、夜中まで起きていた身体にとっては目に痛いだけでしかない。 「ワタシは朝のお散歩に行きたいのです。連れて行ってほしいのです」 「いつも思うけど、朝から元気だよね。鈴音って」 眼鏡を外して定位置に戻しながら、一樹は少し捲れていた布団を直した。他人より痩せている分、朝の肌寒さは人並み以上に身に染みる。 「ワタシは福の神なのです」 自分の胸に右手を当てて、鈴音は得意げに背筋を逸らした。 福の神であることは関係ないと思うけど――そう思ったのだが、一樹は何も言わなかった。再びやって来た眠気に言う気力もない。 「でも、一樹サマは元気なさそうなのです」 「うん……、ぼくは人間だから」 自分でもよく分からない論理の返答をしつつ、一樹は口をもごもごと動かした。口の中が乾いていて気持ちが悪い。右手を伸ばし、近くに置いてあるストローの付いた水筒を掴む。マラソンなどで使われる、スポーツボトルと呼ばれる水筒だった。 一樹はストローから中身の水を吸い込み、口の渇きを潤す。 「そうなのですか」 腕組みをして神妙な面持ちで頷いている鈴音。納得したらしい。納得するようなことではないが、本人が納得しているのなら口を挟むべきではないだろう。 ぽんと手を打って訊いてくる。 「一樹サマ、問題なのです。235×23.4の答えなのです」 のろのろと水筒を定位置に戻してから、一樹は答えた。 「5499」 「早いのです……。即答なのです。ワタシには答えが正しいのか間違っているのかは分からないのです。でも、多分間違っていないのです……」 冷や汗を流しつつ、鈴音が腕組みをして頷いている。 小学生の頃にソロバン塾に通っていたため、暗算は得意だった。多少難しい程度の計算なら頭の中でソロバンを弾くことで答えを出せる。 「て、一樹サマ、やっぱり本当は起きているのではないのですか!」 こちらを指差し、鈴音が声を上げた。 「いや、眠いから」 しかし、一樹は寝返りを打って鈴音に背中を向ける。目を閉じると、自然と浮かんでくる眠気に身を任せつつ、そのまま眠りの中に落ちようとして。 ぽふ。 と布団の上に衝撃があった。 目を開けて視線を動かすと、布団の上に鈴音が飛び乗っている。 「起きるのです」 「んー……今日は図書館行く予定だからそれまで我慢してくれないか?」 半分意識を眠らせつつ、一樹は答えた。どのみち今日は大学の課題を仕上げる予定である。勉強をするために図書館に行くのは予定のうちだった。 「むぅ」 しかし、鈴音は不満そうである。 朝の散歩に行きたいのだろう。散歩といっても、鈴音はほとんど歩いていないのだが、本人は楽しいらしい。それはさておいて。 一樹は無造作に右手を伸ばして、鈴音の襟首を掴んだ。人形のように軽い身体があっさりと浮き上がる。左手で両足の草履を脱がせてから、布団の中へと引き込んだ。 そのまま、両腕でしっかりと抱きかかえる。ほんのり暖かく手頃な大きさ。鈴音の抱き心地は、癖になるほどよいものだった。 「一樹サマ?」 「さあ、ともに征こう二度寝の世界へ」 意識の覚醒率を三割ほどまで下げつつ、一樹はそんな決め台詞を口にする。ちなみに、トリリオンの主人公の決め台詞のパロディだった。 しかし、鈴音は呆れながら、 「いえ、ワタシはお散歩に行きたいのです」 「ところで……」 一樹は静かに口を開いた。 「ぼくのパソコンに、『ネットで集めたオカルト動画』っていうのがあるんだけど、鈴音はどう思う? 面白いと思うんだけど、今夜一緒に見ない?」 鈴音の身体が硬直するのがはっきりと分かった。 数秒の沈黙を挟んで、おずおずと答えてくる。 「お休みなさい、なのです」 「おやすみ……」 淡い勝利感を噛み締めながら、一樹の意識は眠りへと落ちていった。 |