Index Top 第8話 不可解な私闘 |
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第4章 追っ手 |
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上下に揺さぶられる感覚から、重力が元に戻る。 「おい!」 銀歌は短く声を吐いた。 だが、白鋼はいない。 銀歌が立っていたのは、中央通りだった。きれいな石畳の敷かれた広い通りで、道の左右には大きな店などが並んでいる。妖狐の都でも最も活気がある場所だ。しかし、人の気配はない。白鋼が連発している術のせいで、建物の多くは飛んできた瓦礫によって壊れかけている。 「どうやら、本当に一人でやる気らしいな」 視線を向けた先には、敬史郎と葉月がいた。 葉月は両手を合わせて、心配そうに西の方向を見ている。宿のあった方向。白鋼たちが何もしていなければ、今でも宿の前だった場所にいるはずだ。 「御館様、大丈夫でしょうか……」 「白鋼がやると言ったんだ。やるだろう」 ライフルを構えながら、敬史郎は他人事のように答えた。 その意識は葉月ではなく、全方向へと向いている。建物の隙間や屋根、空や地面など見える範囲全てに意識を向けていた。敵の出現を警戒してのことだろう。 両腕を下ろし、葉月が続けて尋ねる。 「それと、敬史郎さん。さっき御館様の力を盗むって言ってましたけど、どういうことなんですか? 御館様に危害加えるなら、わたしも黙っていませんよ」 微かな警戒心の含まれた声に、敬史郎は一瞥だけ葉月に注意を向けた。 しかし、すぐに辺りへと警戒を戻す。言葉だけを返した。 「難しいことではない。俺は理の力を求めて白鋼に近づいた。それだけだ。古代精霊に単身で挑めるほどのイカサマの力だ。欲しがる理由は分かるだろう? しかし、あいつは俺に理の力を見せる気はないらしい。予想はしていたが」 「前に理解したくないとか言ってた記憶があるけど……」 二人のやりとりを聞きながら、銀歌は呻く。 以前敬史郎と話した時に、白鋼の理の力を理解できないもので理解したくもないと言っていた。だが、嘘だったらしい。銀歌に言った言葉を思い返してみると、敬史郎なりの酸っぱいブドウの論理がつい口に出たのだろう。 「理の力って結局何なんだ?」 敬史郎に問いかける。今まで何度も聞かされ、実物も見ている。だが、それが具体的にどのような原理なのかは、いまだ見当が付かなかった。人智を越えた領域の、情報把握と現象出現。しかし、それを起こしている仕組みは想像が付かない。 だが、返ってきた答えは短かった。 「自分で考えろ」 「言うと思ったよ」 尻尾を一振りしてから、銀歌は肩をすくめる。 極限まで干渉力を高めた術のようなモノ。銀歌が今考えているのは、その辺りだった。もっとも、銀歌の切り札である言霊は、原理を理解して使っているわけではない。使えはするが、正確な仕組みは不明である。 「これからどうしましょう?」 葉月が西の方向を見ていた。 白鋼のいるはずの場所からは、何の変化も伝わってこない。爆発でも起これば、何かあったのだと分かるのだが、音ひとつ聞こえなかった。 夜空をゆっくりと流れている帯状の朧雲。その上空には動かない羽雲が見える。東の空に浮かぶ月の明かりを受け、二種類の雲は淡い白色に輝いていた。状況が状況でなければ、のんびりと眺めたい風景である。 「逃げる。幸い周囲に敵の気配はない……」 敬史郎が南に眼を向けた。 大通りにいるということは、大通りを南下して正面から出るのが一番障害物が少ない。逆に身を隠す遮蔽物もないが、相手の力を考えるにそういうことは気休めにもならないだろう。ならば、一番自由に動ける方向に向うのが無難だ。 身も蓋もない事を付け足す敬史郎。 「さっきも何も無い所からいきなり現れたが」 「あのなぁ……」 呆れ声で呻いてから、銀歌は首の後ろを掻く。その手に何かが触れた。 「ん?」 狐耳を動かし、襟首に貼り付いていたものを掴んだ。小さな四角形の何か。触った感触だと折り畳まれた紙である。目の前に持ってくると、実際折り畳まれた紙だった。諦観めいた感情に目蓋を下ろしつつ、紙を開く。 「そちらに刺客が向います。倒して下さい。白鋼……って」 書かれた短い文を読み上げてから、銀歌は足で紙を踏みつけた。草履と石畳の間で千切れていく紙。完全に踏み破ってから、西の夜空に向って叫ぶ。 「何を無意味に手の込んだ事してるんだよ、お前はァ!」 伝言ならもっと前に言うべきだろう。何かしら相手に気付かれないように手紙を渡すなら、他に方法があったはずだ。上衣の襟に仕込む意図が分からない。 敬史郎の唸り声が聞こえた。 「戦う事を決定事項としているか。厄介な……。古代精霊が口にしていた、実力を試すという台詞が引っかかる。普通に考えるのなら、白鋼の言う刺客とやらが実力試しの相手なんだろう。簡単にはいきそうもないな」 「刺客って……さっきみたいな怪物だと、どうしようもありませんよ。あんな非常識な火力作れるのって御館様くらいしかいませんよ」 不安げに眉を傾け、葉月が両手を広げている。 闇色の獣人。葉月の渾身の一撃が全く通じない防御力を持っていた。 「大火力で押し切るしか倒す方法が無い――」 奥歯を噛み、銀歌は白鋼の言葉を繰り返す。その通りならば、この面子では獣人を倒せない。火力不足。白鋼自身も生命力を削るような無茶からあの超火力を作っている。 微かに眉を動かし、敬史郎が眼を移した。 「銀一……何をしている?」 「え?」 銀一が地面に落ちていた大剣を持ち上げていた。白鋼が持っていた鉄板のような大剣。柄を両手で持ち、切先を下にしてその場に起こしている。 銀歌たちと一緒に転移させてしまったらしい。意図して一緒に飛ばしたのか、単純にうっかり巻き込んだのか。前者とも考えられるが、後者も十分ありうる。 「一緒に飛ばされてたのに気付いたんで、ちゃんと持って行こうと思いまして。さすがに放置しておくわけにはいきませんからね。大事なものみたいですし、この剣」 懐から取り出した包帯らしき布を巻き付け、銀一が大剣を背中に背負う。布に強化術を掛けて、千切れないようにしていた。白鋼は重心を無視して振り回していたが、普通は持ち上げることすらままならない重量である。 「うあ、予想以上に重い……」 重さに驚いている銀一だが、意外と姿勢はしっかりしている。剛力の術を上手く使っているようだ。銀一は術の出力は並だが、制御力が図抜けている。そのおかげだろう。 その状態で南の方向を示しながら、元気に口を開いた。 「じゃ、しゅっぱーつ!」 「これが刺客か……」 銀一を無視し、敬史郎が囁く。 その言葉に引かれるように、銀歌は振り返った。 「……?」 ほんの一秒ほどの時間が、急に緩慢になるのを感じる。 両足を左右に開き、ライフルを持ち上げた敬史郎の姿が最初に目に入った。ストックを肩で固定し、グリップを右手で握り、銃身を左手で支えている。狙撃銃と言うよりも突撃銃を構えるような体勢だった。 銀歌が目を移した時には、既にトリガーが引かれている。 ガラスが砕けるような独特の破裂音から発射される弾丸。 「いッ?」 目に入った光景に、声が引きつった。 完全に振り返った時には、銃弾が標的に命中している。通りに立っていた小さな人影の頭が砕けていた。首から上が爆ぜ散り、骨や肉片や色々と混じった赤い液体や、脳っぽいものまで派手に飛び散っている。黄色い髪の毛が火花のように広がった。 「うげ……」 人の頭が爆ぜる光景というのは、お世辞にも気持ちの良い物ではない。 銀歌が目にした時には頭が無くなってたため、誰かは分からなかった。 続けて胸に銃弾が撃ち込まれ、胴体の上半分が砕ける。大口径弾を至近距離から二発も浴び、胸から上がきれいに吹き飛んでいた。地面に落ちる左手の肘から先。皮膚一枚で右腕だけが繋がっている。腰の後ろから伸びている六本の黄色い尻尾。狐族らしい。 胸から上を失い、人影が後ろに倒れた。 「今のって――? 何で、こんな所にいるんですか……?」 両拳を握り、構えを取ったまま、葉月が戸惑い気配を見せている。銀歌と違い、相手の顔は最初から見ていた。知っている相手のようである。 「葛口草眞。うちの師団長だ。偽物だろうが」 敬史郎が三発目の銃弾を撃ち出す。 だが、銃弾は地面を吹き飛ばすだけだった。 胸から上を失い動けない身体が、横に跳ね起きている。それだけではない。両足でしっかりと立っていた。明らかに死んでいる状況だというのに。 そして、再生が始まる。見る間に新しい組織が作り出された。骨や肉から、頭部や髪の毛さえも。一、二秒のうちに完全に修復し、灰色の着物まで再生させてしまう。 敬史郎も無駄弾になると考えているのか、射撃はしなかった。 「敬史郎、ワシはお主が考えるほど偽物でもないぞ? 実力、性格、知識、経験、技術、その他諸々本人と寸分違わぬ分身体じゃな。ただ、わしはオリジナルと違いお主らを倒すことを主題としておる。理解したか?」 不敵に笑いながら、草眞が律儀に説明してくる。 「なるほど。俺たちの実力を試す者として相応しい」 敬史郎が緊張した声音を口にした。 道に佇む狐神の少女。外見年齢は銀歌と大差無いが、実年齢は九百歳ほどらしい。長い狐色の髪の毛と、性格の悪そうな顔。細い身体を灰色の着物で包んで、足には足袋と草履を履いている。腰の後ろからは六本の尻尾が伸びていた。 狐神族第三位。神界軍第十師団長。司法庁処刑主。神界最強の迫撃戦闘能力者。 「勝てない相手でもないけど……」 物騒な肩書きが銀歌の頭に浮かんでくる。日本に数多くいる"最強"の肩書きを持つ一人だった。数多いとはいえ、最強と言われる実力は本物である。 「銀一、銀歌を連れて逃げろ――」 敬史郎がトリガーを引いた。 |