Index Top 第7話 妖狐の都へ

第12章 漢たちの挽歌……


 一時間ほどで酔いは醒めた。
 さすがは酔醒しの薬。意識を失うほどに酔い潰れていたのに、もう完全に酒が抜けている。その間強烈な二日酔いのような感覚に悶絶していたが、それはそれ。
「オレの調べじゃあ、この時間であってるんだがね」
 迷彩模様の服を着たまま、霞丸は音もなく森の中を進んでいた。傾斜のある獣道。その手の訓練は積んでいないので、足音を完全に消すことはできないが、多少足音がしてもそれを気にする者はいない。
「さって、どうしたものかァ?」
 目を細めつつ、獣道の先を見つめる。
 遠くに見える紅葉屋の灯り。新しく作られた西向きの浴場は、この正面方向にある。位置的にはここからまっすぐ前に向かえばいいだろう。ただ、下手に近づけば見つかるのは確実だった。
「何をしている、振られ屋?」
 不意に掛けられた一言に、霞丸は身構える。白い尻尾がぴんと立った。
 いつの間にか、近くに狐神の男が立っている。白い矢羽根模様の着物と、紺色の袴という格好の銀狐。銀歌の双子の兄の銀一だった。
「シスコン兄貴……。何しに来た?」
「妹の成長を見に来た」
 臆することもなく言い切る。真紅の瞳がきらりと光ったように見えた。本気の輝き。全く負い目のない威風堂々とした態度である。薄い敗北感すら覚えるほどの。
 夜の森の生暖かくも涼しい空気が流れていった。
「お前は何をしに来ている?」
「美人と美少女が一緒に風呂入ってるってのに、それをおめおめと見逃したんじゃァ、この大滝霞丸の名が廃るってんだ」
 右拳を力一杯握り締め、霞丸も断言した。
 光も無い夜の森の中。虫の鳴き声が騒がしいほど響いている。霞丸と銀一、お互いに無言のまま睨み合うこと数秒――そして、同時に頷いた。
 銀一はすっと左腕を持ち上げ、紅葉屋を指差す。
「正面突破は無理だな。左方向から行こう」
「そうだな」
 静かに頷き、霞丸と銀一は歩き出した。
 細い獣道。足元で草の音が微かに聞こえる。夜の山には魔が潜んでいると人間は言うが、あいにく妖怪と神にはさほど興味の無いことだった。
 ガチャリ。
 森の中には不自然な金属音が響く。
 霞丸と銀一は足を止め、音の方へと目を向けた。
 不意に浮かぶ、法術の光明。その白い光に照らされて、一人の男が立っていた。
 がっしりした男。後ろで縛った癖のある黒髪と、額に巻かれた鉢巻きのような白い布。無表情のまま、感情の映らない黒い瞳を向けてきている。神界軍第十師団副師団長、朝里敬史郎。神界でも有名な狙撃手だった。
「銀一、そして霞丸殿。これ以上進むというなら、身の安全は保証しない」
「敬史郎さん。あなたも覗きですか?」
 銀一が問いかける。その台詞が本気なのか冗談なのかは分からない。
 両手で構えた対物狙撃銃を霞丸に向けたまま、敬史郎は静かに答えた。
「白鋼に厄介者二人を撃てと言われている。地形的にあの風呂を覗くのは、この辺りしかないから、先に来ていた。一応言っておくと、ゴム弾頭の弱装弾だ。撃たれても死ぬほど痛いだけで死にはしない」
「強行突破ッ!」
 言うが早いか、銀一が走り出した。
「抜け駆けすんな、シスコンが!」
 霞丸は慌てて叫ぶが、銀一は止まらない。止まる理由もない。追いかけようにも銃口を向けられ動けないのだ。そして、狙撃銃の銃口が銀一を追うこともない。
 どのみち、銀一相手にゴム弾頭は通じないだろう。持ち前の異様な頑丈さと、不条理なまでの回復能力を以てすれば、たとえ実弾で撃たれたところでどうということもない。だが、普通の妖狐である自分はそうではない。
「霞丸さん、あなたの犠牲は忘れません! というわけで、ボクは妹たちの成長具合を確認しに行きますッ! お達者で!」
「裏切り者がァ!」
「七百ポンド――」
 唐突に、凄まじい風斬り音が走った。
「ロケット砲!」
 重い衝突音とともに、銀一が戻ってくる。吹っ飛んで。
 紺色のワンピースと白いエプロン、頭にカチューシャを付けた――メイド服姿の女の子が、銀一の腹に刺さっていた。正確には、女の子の放ったドロップキックが銀一を蹴り戻していた。文字通り砲弾のような勢いで。
 地面と平行に空中を飛び、銀一は背中から木の幹に激突する。
 衝撃音とともに木が激しく揺れた。普通なら内蔵が滅茶苦茶になっているだろうが、銀一に限ってそんな脆いことはない。ぱらぱらと昆虫やら枯れ枝やらが落ちてくる。女の子が銀一の腹を蹴って離れた。
 ふらりと前によろめく銀一。だが、踏み出した右足はしっかりと大地を踏みしめた。真紅の瞳に、不敵な炎が灯る。
「甘いですよ、葉月さん。防御に回ったボクをこの程度で――」
 葉月と呼ばれた女の子が、軽く跳び上がり、右足を真上に振り上げた。紺色のワンピースがめくれて、ドロワーズが丸見えになっているが、気にしていない。振り上げた右足が勢いよく真上に――おそらく数十メートルは伸び、一瞬で縮む。
 ガゴン!
 鉄骨で殴ったような轟音。踵落としを喰らった銀一の頭が地面に激突した。余波が周囲の土を吹き飛ばし、小さなクレーターを作っている。まともに喰らえば頭が爆ぜているだろう。さすがの銀一も意識を失い、両手両足を伸ばして動かなくなった。
 足を振り抜いた勢いで縦に一回転し、葉月は地面に着地する。
「葉月、良くやった」
 敬史郎が声を掛けた。
 気絶した銀一を左手で担ぎ上げつつ、葉月は笑顔で親指を立てる。
「必殺パイルドライバー成功です!」
「可愛い顔して容赦しないねェ、お嬢さん。もし、オレが強行突破計ってたら、その攻撃喰らってたのオレだった?」
 乾いた笑みとともに、霞丸は問いかけてみた。今の攻撃を自分が喰らっていたら、よくて入院だろう。場合によっては死んでいるかもしれない。気絶だけで済んでいるのは、桁違いに頑丈な銀一だからだ。
「いえ、銀一さんだからこんな過剰攻撃しただけで、霞丸さんだったら普通に殴るだけですよ。それに、逃げようとしたら敬史郎さんに撃たれてますし」
 葉月が指差したのは、自分に向けられた銃口。さきほどから一切、霞丸から注意を外していない。逃げる素振りを見せたら、敬史郎は迷わず撃つだろう。弱装ゴム弾頭とはいえ、この至近距離と口径。痛いだけでは済まない。
 それはそれとして、霞丸は改めて葉月に声をかけた。
「ところで、お嬢さん。妖狐族会議が終わったら、一緒にお茶でもどうですかィ? お菓子の美味しいお店知ってますよ」
「わたし、人工の金属妖怪ですから。燃料の無水アルコール以外飲めないんですよ」
「ああ、残念」
 ぺしと自分の額を叩いて見せる。
 不意に、敬史郎が銃口を動かした。
「!」
 思わず身構えるが、狙いは霞丸ではない。
 敬史郎は迷わず銀一の頭に狙いを定め、トリガーを引く。澄んだ破裂音とともに放たれたゴム弾頭が、銀一の頭にめり込んだ。鈍く重い異音。ゴム弾頭が地面に落ちる。
 頭が跳ね、だらりと銀一の両手が落ちた。霞丸には見えなかったが、葉月に何かしようとしていたらしい。それを敬史郎が察して止めたようだった。
「葉月、そいつの腕を拘束しておけ。お前の構造は既に見切られてるらしい。いつもながら油断も隙もならない男だ。今ももう少し遅かったらやられていた」
「前にも一回気絶させられましたし。さすがは銀一さん」
 薄い緊張を含んだ声で呟き、葉月が右腕で銀一の両手首を払う。葉月の腕が銀一の手首をすり抜け、鈍色の鉄板のような手枷が銀一の両手を拘束していた。どうやら、身体をかなり自在に変形できるらしい。
(面白い子だな)
 心中で霞丸は呟く。
 狙撃銃を下ろし、敬史郎が口を開いた。
「さて、霞丸殿。雷伯殿と松葉殿がお呼びです」
「あ。お説教っすかァ……。雷伯さんはともかく、お松婆さんまで。うわァ……」
 思わず顔が引きつる。
 妖狐族三位の松葉。六尾の狐。お松婆さんと呼ばれる通りの老婆だ。生き字引と言われるほどの物知りで、歳を感じさせないほどに頭の回転も速い。そして、子供の頃から何度も叱られている霞丸にとっては、正直今でも苦手な者の一人である。
「自業自得です、諦めて下さい」
 敬史郎の言葉は冷たかった。

Back Top Next