Index Top 第7話 妖狐の都へ |
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第4章 制限時間は半日 |
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リン……。 澄んだ鈴の音とともに、扉の開く音が聞こえる。 続いて聞き慣れた足音。 「帰ってきたか……」 パキと煎餅を噛み折り、銀歌は顔を上げた。 窓辺で外を眺めていた葉月が立ち上がり、入り口の方へと早足で歩いていく。主を出迎えるのに窓辺に座ったままでは、メイドとして礼儀も何もないだろう。 それを待っていたかのように、部屋の入り口にある襖が開いた。 「戻りました」 微かな足音とともに現れたのは、銀狐の女である。人間でいうと二十代前半ほどの外見で、身長は百八十センチ近い。腰まである長い銀色の髪と、眼鏡の奥に見える真紅の瞳。服装はいつも通りの白衣と紺袴。足には白い足袋を穿いている。 「おかえりなさい、御館様」 両手を腰の前で合わせた姿勢から、葉月が笑顔で一礼した。 (ようやく戻ってきたか) 銀歌の元の身体を奪い取った白鋼。 両手で桐の衣装箱を抱えている。会議に着ていくための正装だろう。身体自体が変わってしまったため、以前の服が着られなくなってしまったと愚痴っていたのを思い出す。 葉月に桐の箱を渡してから、白鋼は床を見つめた。 「ところで、何があったのでしょうか?」 床の上に無造作に転がされている銀一。全身を銀色の輪で拘束されたまま、白鋼を見上げている。口にもがっちりと拘束がされていて、喋ることもできない。一見全く動けないように見えるが、これでも安心できないのが銀一だった。 「予想通りのことだ。答えるのもメンドい」 銀歌はお茶をすすりながら、そう言い捨てる。 白鋼は眉間に指を当て、乾いた笑みをこぼした。 「空飛んでましたね、銀一くん。僕も見てましたし、みんな見てましたよ。術も道具も無しに人が空を飛ぶのを見るのは、本当に久しぶりでした」 「普通見るものじゃないけどな」 他人事のように呻きながら、銀歌は右手で狐色の髪を梳く。大昔は割と日常的に見ていたような記憶があるが、それは無かったことにしたい。 「しかし、葉月に外へと殴り飛ばされたかか蹴り飛ばされたかしたのは想像できるのですけど、それが何故ここで拘束されているのでしょうか?」 「復活して飛んできた」 白鋼の問いに簡潔に返す。 銀一が川に落ちた直後、再び水柱を吹き上げ復活。旅館に向かって物凄まじい速度で疾走して来るのを葉月とともに戦きながら見ていた。旅館の庭から、飛翔の術を用いてこの部屋の窓まで飛び上がってきたのはさらに驚いた。 だが、そのまま葉月が殴り倒して拘束し、今に至る。 尻尾で畳を叩いてから、銀歌は白鋼を見上げた。 「お前こそ今までどこで油売ってたんだ?」 「油売ってたとは心外ですね。会議前の打ち合わせのようなことをしていました。あと、服屋に注文していたこの服を受け取りに行っていましたよ」 と、葉月の持っている桐箱を示す。 見るからに高級な箱。妖狐議会に出席するのだ。立場上、相応の服装をしていかないといけない。高位の妖狐にはひねくれ者も多いので、変な格好で来る者もいると聞いているが、白鋼はそういう面では比較的常識的だった。 「それでは僕は隣の部屋で着替えて来ますので。葉月、着替えの手伝いをお願いします。こういう服装は一人で着替えるの大変ですからね」 「分かりました」 頷く葉月。 ふと空気に弱い電気が走る。 銀歌、葉月、白鋼の視線が床に転がされたままの銀一に向かった。 「―――ッ!」 途端、銀色の拘束に薄い傷が入る。何をしたのかは分からない。だが、全身を拘束していた金属の輪がことごとく千切れ、銀一が自由になった。 畳に手を突いて、銀一はその場に立ち上がる。足元に落ちている金属の切れ端。切断面は鏡のようにきれいな平面だった。恐ろしく鋭利な刃物で斬ったような跡。 「法力を極限まで薄くしたのですか、刃先が分子数個分の厚さになるまで。法力のメスと言ったところですね。硬い、と言われる法力とはいえ、メスで葉月の拘束を斬るとは……その精度、感心しますよ」 白鋼が斬られた金属輪を見ながら、呆れたように笑う。法力を極限まで薄くし、鋭利な刃物とする。しかも、刃先が分子数個分。時折手術に使われるガラスの破片を模したのだろう。さらっと口にしているが、並の技術でできるものではない。 息を止め、無言のまま銀一を見つめる銀歌。 そして、銀一は白鋼の前に右手を差し出し、真顔で言った。 「白鋼さん。着替えはボクが手伝います」 「確保」 答えはそれだけである。部屋の入り口に向けて一言。 白鋼の一言に反応したように、襖が開いた。 「何だ?」 状況が理解できずにいる中、五人の男が入ってくる。 濃紺色の馬乗袴と上着という格好の妖狐族。警衛特七班と記された腕章を付け、あちこちに携帯式の武器を持っていた。制服姿の妖狐警衛隊である。三人は普通の狐で一人は白狐、班長らしき男は銀狐だった。鼻筋を横切るように古傷がある。 「あれ?」 間の抜けた声で呟く銀一を、一瞬で四人が取り囲み縛り上げた。頑強そうなワイヤーロープと、恐ろしく手慣れた動き。何度も同じような捕縛訓練をしているのだろう。 「あれ……?」 「撤収」 リーダーの言葉とともに。 「あれー……」 四人は銀一を担ぎ上げ、音もなく部屋を出て行った。 その間五秒程度。 状況から置いて行かれた銀歌と葉月に、白鋼が説明する。 「こうなることは想定内だったので、準備しておきました。出来ればあの班は呼びたくなかったのですが……。彼にはしばらく拘置所で大人しくしていてもらいます。下手に騒がれると僕の仕事が増えますし。警衛隊の方には後日お茶菓子でも送っておきましょう」 「あいつが牢屋くらいでどうにかなるとも思えんのだけど」 お茶をすすりながら、銀歌は半眼で指摘した。 並外れた頭の回転の速さ、極めて精度の高い術の制御技術。それが銀一の強みであり、無茶苦茶な行動の仕掛けだった。それで説明の付かない謎の行動も多いのだが、そこまでは考えないことにしておく。 「脱獄は想定内です。彼の場合、一級重犯罪者用の牢獄に放り込んでおいても、いつの間にか脱走しそうですし……。何ですかね、彼……」 白鋼は狐耳の縁を撫でながら、 「でも、今晩くらいまで捕まえておければ、それで大丈夫ですよ」 「何があるんだ……?」 銀歌は尋ねた。 妖狐の都。白鋼がここに来た目的は、妖狐族会議への出席ではないだろう。会議への出席も目的のひとつではあるが、本命は別にある。それには、銀歌と葉月、銀一も関わっている。さらに非常に厄介なことという確信がった。 「そうですねぇ。今のうちに言っておいた方がいいですね」 いつもの掴み所のない笑顔のまま、白鋼は首を傾げた。 「銀歌くんの首輪」 と指差してくる。 銀歌は自分の首を撫でた。首に嵌められた赤い首輪。もはや、付けているという実感すらないほど馴染んでいる。ありふれた革製のもので、葉月の込めた封動の呪いが掛けてあった。そして、その首輪を銀歌の首に嵌めているのは、白鋼の持つ理の力。普通の手段では外せない。 「それ、日付が変わるまでに自力で外して下さい」 「急だな……」 時計を見ると午前十一時半。日付が変わるまでには、十二時間半。この首輪は、銀歌の切り札である言霊を用いても外せなかった。それを半日以内に外せと言うのだ、いきなり。無茶な難題をふっかけてくる。 会議は午後二時かららしい。 不服げに歯を噛む銀歌に、白鋼はこともなげに断言した。 「でないと君は死にます」 |