Index Top 第7話 妖狐の都へ |
|
第3章 一ヶ月半ぶりの―― |
|
ドゴッ。 全体重を乗せた踵が、みぞおちに突き刺さった。剛力の術、破鉄の術、さらに重身の術を乗せた強烈に重い後回し蹴り。 「ぐっ」 鈍い呻き声。身体がくの字に折れ曲がったところで、顎に掌底。確実に脳震盪を起す位置と強さで、頭を跳ね上げる。身体が仰け反ったところに、さらに駄目押しの豪拳。狙いは心臓。拳が胸にめり込み、心拍が一瞬止まる。流れるような三連打。 「まだまだぁッ!」 だが、攻撃は止めない。 銀歌は床を蹴って飛び上がり、両手を伸ばした。手首で相手の喉を打ち、同時に頸椎を極める。空中で一回転しながら、床に落ちる勢いを利用し、背負い投げの容量で相手を窓の外へと投げ飛ばした。打つ、極め、締め、投げの複合技。我流体術・首狩落とし。 窓の外へと落ちていく、銀色の尻尾を見送り―― 即座に雨戸を閉めて鍵を掛ける。 「悪は去った」 「うむ、それは素晴らしいことだな、我が妹よ」 振り向くと、銀一が立っていた。 以前と変わらぬ矢羽根模様の着物と、紺色の馬乗袴姿。銀色の髪と銀色の尻尾が一本。突き抜けたまでの脳天気な笑顔を浮かべた男だった。 「分身の術か――」 「相変わらず元気そうだな、お前は……」 呆れたように呻く空魔。いつの間にか部屋の入り口へと移動している。逃げる準備は終わっているようだった。 「いえいえ、ボクも健康管理には気を遣っていますので。族長殿もお体に気をつけて下さい。何かあったら、ボクが治療しますよ?」 爽やかな空のような、というか底の抜けた桶のような笑顔で、銀一が話しかける。 銀歌の記憶が正しければ、空魔も銀一のノリを苦手としていた。もっとも、この男と一緒にいて平気という人間は数えるほどしかいない。 「その時は頼む。お前の医者としての腕は本物だからな。では、わしは仕事があるのでここで失礼する。せっかくの兄妹二人きりの時間だ。それを邪魔するほど無粋ではない。では、思う存分楽しめよ」 「ありがとうございます。族長殿」 銀一が丁寧に一礼していた。明らかに棒読みな空魔の言葉をどこまで信じているのかは不明だが、おそらく気にも留めていないだろう。いちいち気にするほど繊細な神経は持ち合わせていない。 空魔が部屋を出て行くのを見送ってから、銀一はくるりと向き直った。爽やかな笑顔で両腕を広げながら、 「ぎ――」 銀歌は無造作に両手を持ち上げる。 その手に握られた小型の拳銃二丁。手の中にも収まるような、本当に小さな拳銃だった。口径は五ミリで装填弾数は六発。殺傷力は低く、生身の人間に撃っても皮膚を貫くのが限度である。だが、毒薬などを詰めた弾頭により、高い致死力を持たせる。 つまりは暗殺用の拳銃だった。 銀歌は躊躇無く引き金を引く。法力炸薬の爆ぜる澄んだ音が響き、弾丸が銀一へと突き刺さった。十二発の弾頭に仕込まれた麻痺毒が、その動きを封じる。 前のめりに倒れる銀一。 「持っててよかった……。白鋼には感謝しておこう」 拳銃を袖口に戻しつつ、銀歌はしみじみと頷いた。ここに来るときに白鋼から渡されたものである。敬史郎が個人的に使用している護身用拳銃らしい。 「うぐぅ」 うつ伏せのまま痙攣している銀一に近づき、銀歌は半眼で見下ろす。飛びかかっても避けられる間合いまでしか近づかない。 「何しに来たんだ、お前……?」 銀一は既に狐神族であり、さらに銀歌とは違う意味で都を出奔した身。妖狐の都に来る理由はないはずだ。無いというよりは、普通なら呼ばれても来ないだろう。 「愛しの妹が里帰りすると聞いて……思わずやって来てしまった……。うぐ、松笠屋の羊羹も食べたかったし……白鋼さんに呼ばれたし、久しぶりに故郷を見たくなったし……。というか、いきなり麻酔銃は酷いよね?」 ぴくぴくと身体を震わせながら、銀一が答える。 理由は正直どうでもいいものだった。ひとつを除いては。 「白鋼に呼ばれた?」 「うん……」 銀歌の問いに、銀一が頷く。 おそらくそれが本命なのだろう。 銀歌は腕組みをしつつ、数歩下がった。 「あいつがお前を呼ぶ理由か。あたしを呼ぶのは何となく分かる。葉月を連れてくるのはいまち分からんけど、でもお前まで呼ぶってことは――」 視線を持ち上げ、窓辺まで行き、閉めた雨戸を開ける。 霞によって弱くなった薄い日の光が差し込んできた。暗かった部屋が明るくなる。しかし、銀歌の思考はあまり明るくはなっていない。逆に霞が増えていた。 「何を企んでやがる?」 ふっ、と。 気配を感じて銀歌は振り向いた。 両腕を広げ、銀一が満面の笑顔で飛びかかってくる。音は聞こえなかった。さきほど十二発も麻痺弾を打ち込んだというのに、解毒はほぼ完了している。服に開いた穴だけが、攻撃の跡を示していた。 「……回復早すぎるだろ!」 「ぎんかー♪」 銀一の両腕が銀歌を捕まえ。 微かな音を立てて、その身体が消えた。後には妖力の薄い煙だけが残る。 「これは、分身の術!」 慌てて振り向いてくる銀一。多少動きはぎこちないものの、麻痺は回復しているようだた。相変わらずであるが、並の回復速度ではない。 「あの麻痺弾は一発撃ち込めば十分効果が得られるものらしいんだが……。十二発も喰らったら、麻酔中毒で死んでるぞ? それを何で一分も立たずに元気に動けるまで治ってるんだよ、お前は。想定内だけど」 銀歌はおもむろに右手を持ち上げた。銀一が倒れた時に分身と入れ替わり、迷彩隠れの術を用いて待機。術式も組み上げてある。 「雷炎刃・蒼焔……」 五指を緩く開いた両手を蒼い光が包み込んでいた。高密度に圧縮された狐火と雷の術。細かな音を立てながら空気中に散る紫電。手から生まれる光の刃。 「今回は以前のようにはいかないぞ?」 両手の蒼焔を見せつけながら、銀歌は尻尾を動かした。 しかし、銀一は全く引かない。真紅の瞳に炎を灯し、銀色の眉を傾ける。 「甘いな妹よ。今ここにいるのはボクたち二人きり。邪魔は入らない。この兄を舐めないで貰いたいな。その程度の攻撃でボクを倒せると思ったら大間違いだ。思う存分なでなですりすりもふもふしてやる。覚悟しろ!」 言うが早いか床を蹴った。 開いていた間合いが消え。 ドッ。 鈍い音が響いた。弱い衝撃波が部屋を揺らす。 空中ではためく紺色のワンピースと白いエプロン。葉月の右足が、銀一の腹へとめり込んでいた。三百キロの重量から、バネの破裂力を以て繰り出される超重量の跳び回蹴り。さながら野球のフルスイングのように、的確の重心を捕らえている。 「え?」 銀一が呆気にとられたように葉月の足を見つめていた。 それも、ほんの一瞬の出来事。 爆音とともに、銀一の姿がかき消える。 右足を蹴り抜いた勢いのまま葉月は空中で一回転して、ふわりと畳の上に着地した。その重量を全身を使って受け流す。広がったスカートとエプロンが、音もなく落ちた。 「助かったぞ」 「どういたしまして」 術を解除しながら放った銀歌の言葉に、葉月が笑いながら応える。 吹っ飛んでいく銀一が窓の外に見えた。数百メートル以上も冗談のように空を飛んでから、重力に引かれて落下していく。 「大昔はあたしが術で吹っ飛ばしてたっけなぁ」 感慨じみたものを覚えてつつ、銀歌は腕組みをしながら呻いた。定期的に空を飛ぶ銀一は、都の名物になっていたような記憶がある。 銀一が都の端を流れる川に落ち、派手な水柱が上がった。飛び散った水が雨のように降り注ぐ。幸い周りに人や建物はない。 「飛んだねー。生きてるかな……?」 「飛んだなー。生きてない方が不思議だ」 窓辺に移動し、銀一の沈んだ川を眺めながら、葉月と銀歌はそんなことを呟いた。 |