Index Top 第6話 銀歌、街に行く

第7章 風歌な理由


 背筋が痛む。
 ぼんやりと霞んだ視界。意識も朦朧としているが、数秒で大体覚醒した。一応生きてはいるらしい。五体も無事だろう。何となくそれは理解する。
 殺風景などこかの部屋。白い壁と天井。
 自分は床に転がされていた。両腕と両足は鋼の鎖で拘束され、封術の式までかけてある。厳重な拘束だった。破れないこともないが、手間は掛かるだろう。服装はそのままで、首輪を隠した術は外されていない。
「起きたかい、銀歌」
 そんな声が聞こえてきた。
 聞き覚えのない――ような、あるような女の声。若くはないが、中年というのはやや早い。そんな声。
 銀歌は無言のまま、器用に身体を起こした。
 外見年齢二十代後半くらいの蛇妖の女。身長は百七十センチ近い。膝後ろまである長い銀髪、気性の強そうな金色の瞳と妖しげな微笑みを浮かべた口元。服装は丈夫そうな黒い上着と黒いズボンだった。服の上からでも分かる、肉感的な体付き。
「あー……」
 見覚えのある女。少なくとも顔は知っている。どこかで会ったことはある。知っているはず……なのに思い出せない、喉に引っ掛かるような焦れったさ。右手で頭を掻こうとしてみるが、拘束されていて動かせない。代わりに首を左右に振る。狐色の髪が揺れた。
 舌なめずりをしてから余裕たっぷりに微笑む女。
「あたしのこと覚えててくれたかい?」
「顔は覚えてるけど、名前が思い出せない。本当に」
 女の言葉に、銀歌は心の底からきっぱりと言い返した。狐耳と尻尾がぴんと立つ。冗談でも挑発でもなく、掛け値なしの本音だった。本当に思い出せない。
「由羅だ、ユラ……。あたしは蛇妖の由羅だ。思い出したか?」
「……由羅」
 そんな名前の蛇妖がいたような記憶はある。顔も目の前の女と一致していた。しかし、由羅に関する記憶が出てこない。眉根を寄せて、狐耳を伏せる。
 頭の中身を十回ほど空回りさせてから、
「誰だっけ?」
 瞬間、由羅の右手が銀歌の胸ぐらを掴み上げていた。額に浮かんだ青筋、全身から放たれる殺気。威嚇するように口元の牙を剥き、金色の瞳を見開く。
「雷光の白蛇・由羅。昔あんたと一緒に仕事してた女盗賊さ、思い出したかい? これ以上ボケたこと言うなら、丸呑みにしてあげるよ?」
「姐さん落ち着け……」
 その言葉に、由羅が手を放す。
 床に落ちて、銀歌は尻餅をついた。こっそりと安堵の息を漏らす。うっかり挑発しすぎてしまった。止められなかったら危なかっただろう。
(あいつか、ようやく思い出した。いたなぁ、そんなの)
 放浪中に一時期組んで盗賊をしていた蛇妖。組んだと言っても一ヶ月程度で、大きな仕事もしていなかったので、本当に忘れていた。ついでに、盗賊としてもあまり有能ではなかったような気もする。
「誰だか知らんけどありがとな」
 部屋の壁に寄りかかった妖狗の男。こちらは外見年齢二十歳ほどだろう。よく手入れされた黒髪と、整った顔立ち。筋肉質の引き締まった長身で、絵に描いたような美男子である。服装は由羅と同じ黒い上着とズボン。見掛けはよいものの、どこか気が弱そうな雰囲気を持っていた。
 狗型の式妖を使役していたのはこの男だろう。
「俺はキツツキ。偽名だ」
「ありがと」
 一応礼を言ってから、銀歌は由羅に視線を戻した。 
「お前ら何であたしを攫ったんだ? 由羅があたしを『銀歌』って呼んでたから、あたしに用があるんだろ? あたしも暇じゃないんだから、用件は手短に頼む」
「そりゃ奇遇だネ。あたしらも急いでるんでね。あたしからの質問はひとつ、雷獣の右腕はどこに隠してある? あんたが手に入れたって話は聞いている」
 舌先を空中に這わせ、由羅が金色の目を見開く。
 約六百年前、強大な雷の力を宿した怪物が現れ、日暈家と空渡家によって討伐、封印された。その際、右腕を封印しそこない、裏社会へと流れてしまった。それは、雷獣の右腕と呼ばれる凶悪な雷の武器となって現存している。
「なるほど、雷系の術が得意なお前にはお宝だな」
 銀歌は七年前に雷獣の右腕を手に入れた。放浪中に手に入れたものの中で、五指に入るほどの価値のあるものである。ただ、使ってみると術力の相性が非常に悪いことに気づき、しまい込んだままほとんど使わなかった。
 銀歌は一度頷いてから、
「あれなら大禅寺の奥にある封妖石に隠してあるぞ」
「え?」
 虚を突かれた由羅の表情。長い銀髪が揺れる。
 ここまで簡単に白状するとは考えていなかったのだろう。ついでに、嘘だと否定しなかったことを考えると、ある程度見当は付けていたらしい。
「どうした? 何かおかしなことでもあったか?」
 口元を持ち上げ、銀歌は尋ねた。思わず笑いがこみ上げてくる。
 由羅はキツツキに目配せし、数秒ほど視線で会話していた。
 以前の自分だったら、絶対に喋らなかっただろう。由羅も容易に口を割らないことを想定していたようである。だが、隠す気配すら見せずに答えてしまった。
 銀歌に向き直り、予想通りのことを言ってくる。
「……あんた、本当に銀歌かい?」
 今更ながら疑問に思ったようだった。今の今まで銀歌が『銀歌』であることを疑ってもいなかったのだろう。しかし、由羅の記憶にある『銀歌』とは何か違う。
「あたしは風歌。銀歌だけど、銀歌じゃないよ。半分本物、半分偽物」
 尻尾を左右に動かし、銀歌は笑った。
 ぽかんと呆気に取られた由羅の表情。見ていて面白いが、気長に鑑賞するようなものでもない。キツツキの方は我関せずといった表情で天井を眺めていた。
「あたしは白鋼の作った銀歌の写し身。本物じゃない。自我は銀歌なんだけど。おおまかな記憶と経験を、別の存在に写し取る秘術らしい。それがあたしだ」
 そう説明する。
 案の定困惑の表情を見せる由羅。
「何だ、それは……?」
 白鋼が自分に風歌という偽名を使わせようとした理由。自分を銀歌に似せて作られた偽物と思わせるためのものだ。事実の混じった嘘は、非常に効果的である。
「噂は聞いたことあるよ。奥義級の術だとか」
 尻尾を動かしながら、キツツキが呟いた。言葉通り、噂で聞いたことがある程度だろう。魂写しの秘術というのは、法術の奥義として存在している。効果も銀歌が口にしたのと同じもの。同じ記憶、経験を持った別人を作り出す技法。
(このこと思いついた時は、あたしが本当にあたしかって不安になったんだけどな)
 口には出さずに思い出す。
 自分は偽物かもしれない。そんな不安を覚えたこともあった。白鋼に訊くことはできなかった。正直なところ、肯定されるのが怖かったのである。
 だが、銀一が来た時に自分は本物という確信を得ることができた。銀一は自分を銀歌として扱っていた。偽物相手にそう接することはない。頭のネジが壊れた兄であるが……まあ、一応――それなりの信用は置いている。
「一応言っておくと。雷獣の腕は白鋼が回収してるだろ」
 銀歌は苦笑混じりに告げた。白鋼は抜け目ない。銀歌の隠し財産などは残らず接収しているだろう。隠してあるものも含めて。見逃しているとは思えなかった。
 由羅とキツツキは銀歌を見つめてから、
「どうしようか、この子。姐さん、これからどうする気だい? どうも葉月を呼んでるみたいだし。長居すると見つかるよ?」
 銀歌を指差し、キツツキがぶつぶつと呟く。さきほどから、言動にやる気が感じられない。この一件には深く関わる気がないのだろう。
 由羅は右手を顎に触れさせた。
「あたしはあの鋼鉄スライム娘とやり合って勝てる自信はない。幸い居場所はまだバレてないし、ここで待機が妥当かしらね? そのうち連中が引き取りに来るし」
 ぶつぶつと呟いている。その内容が銀歌に知れるのは、気にしていない。
 この二人の上に黒幕が居る。隠す気もないらしい。ただ、黒幕に心当たりはない。銀歌を捕まえ誰かに差し出す。由羅の仕事はこの程度だろう。なぜ、すぐに捕まえなかったのか、晴彦を捕まえようとしていたのか疑問は残っている。
 由羅は腰に両手を当てて、横に二歩進んだ。銀髪が緩くなびく。
「雷獣の腕が白鋼に盗られてるのは予想してたよ。手に入ったら幸運程度にしか考えてないしね。あたしには金銭報酬もあるし、それ以上面倒なことする気はないさ」
「ところで」
 銀歌は口を開いた。
 二人がふと顔を向けてくる。
「――今日は新月だな」
 それが言霊となった。

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