Index Top 第4話 目が覚めたらキツネ

第6章 銀歌の思索


 銀歌はドックフードを口に入れた。
 ぽりぽりと咀嚼して、呑み込む。
「美味しい?」
 ぱたぱたと耳を動かし、訊いてくる霧枝。興味津々といった様子だ。ドッグフードなど食べたこともないのだろう。普通は食べない。
 銀歌は口を動かしながら霧枝を見上げた。
「まあまぁだなぁ」
 曖昧に頷いておく。
 味覚に変化はないようであるが、味はよく分からない。例えるならば、甘味の薄いクッキーといった感じである。美味しいというほどでもないが、不味くもない。
「よかった」
 霧枝は嬉しそうに笑う。
 それで安心したのだろう。立ち上がって、鍋の方へと歩いて行った。
 食べるのを止めて逃げだそうとも考えたが、無理だろう。鍋を眺めている葉月の意識はきっちりと銀歌に向けられている。逃げ出したら、即座に捕まえられる。今の身体では、絶対に抗えない。
 銀歌はドックフードを食べながら、ちらりと霧枝を見やった。
「………」
 口を止める。
 頭に浮かびかけた思考。それが認識される前に、頭を左右に振って無理矢理打ち消す。自分が今の状況を甘受しているのは、自分の無力さが原因だ。葉月に抗う力を持っていれば、逃げているだろう。
「うん、そうだな。……うん」
 何度か頷きながら、ドックフードを食べる。
 ちょっと泣きたくなったが、涙は流さない。泣いたら負けのような気がした。
「そういえば」
 思い出したように霧枝が呟く。
「白鋼さん見ないけど、どこにいるの?」
「ん?」
 銀歌はふとそちらを見やった。
 朝から白鋼を見ていない。朝食の後は裏手の森に隠れて、じっとしていた。
 一日中研究室に籠もっていたり、ふらりとどこかに出掛けたり、縁側でスイカ囓っていたり、和室で寝転がっていたり、行動に一貫性のないヤツである。だが、好奇心の強さは異常だ。何か面白いことがあれば、無視できない。
 霧枝が来ているならば、ここに来るはずだろう。
「敬史郎さんと一緒に出掛けたみたい」
 鍋の蓋を開けて、葉月が答えた。
 おそらく瑞樹もどこかに出掛けているのだろう。それで、現在葉月が霧枝を預かって面倒を見ている。それは簡単に想像がついた。
 だが、気になることがひとつ。
 銀歌はぼんやりと考える。
「白鋼と敬史郎が――一緒に出かけた……?」
「お仕事って言ってたけど、何してるんだろ?」
 訪ねる霧枝に、笑顔で答える葉月。
「何してるのかな? 何でも屋?」
 いつも通りの葉月を眺めながら、銀歌は横を向いた。
「さらっと言うなよ……」
 とぼけたような言動が目立つが、恐ろしく社会的地位が高い二人。
 白鋼――
 のほほんとしているが、人外の裏社会を取り仕切る一種の黒幕。フィクサーなどと呼ばれる仕事を行っている。もしくは、その地位に限りなく近い存在。信憑性は不明であるものの、現在調べられる資料から総合すると、そう結論づけられる。
 敬史郎――
 真顔の変態に見えるが、肩書きは神界軍第十師団副師団長、参謀長兼長距離砲撃主。特殊な砲撃ライフルと超高度な術式から繰り出される、最大射程百キロの超精密砲撃を得意とする。次元衛星砲などと呼ばれているらしい。
 以前は名前くらいしか知らなかった二人。しかし、屋敷にある資料を調べたらこのような事実が判明した。未だに信じられない。
「こんな物騒な連中が揃って出掛けるなんて、何かトンデモなく大事だろうが……。どこかで戦争とか暗殺や諜報活動してても、あたしは驚かないぞ」
 銀歌は誰へとなく呻く。
 昔も裏情報への接点は持っていた。だが、若いこともあり、深部までは入れなかった。それでも問題はなかったし、正直あまり気にしてもいなかった。
 しかし、実際は違う。
「お湯沸いたよ」
「茹で時間は三分二十二秒。誤差五秒……!」
 素早く時計を用意し、鍋の蓋を開け、真剣な表情で蕎麦を入れる葉月。それを楽しそうに眺めている霧枝。姉妹の如くのんびり会話する二人。
 それを眺めながら、銀歌はドックフードを囓った。
「ここは、何なんだ?」
 自問する。
 この屋敷には、極秘級の資料がごろごろ転がっていた。
 書庫に平然と置いてある秘伝書。時々テーブルに無造作に置かれている、極秘級の裏帳簿など。明らかに禁術の写本と思われるモノも一度見たことがある。内容までは分からなかったが、おそらく本物だろう。
 どう考えても異様である。
 だが、銀歌自身もその事に、ほとんど違和感を覚えていない。現在進行形で。ここにいると、あらゆる感覚が狂ってしまう。
「……白鋼」
 改めて考えてみる。
 銀歌を倒した男。元は青い服を纏った灰髪の青年だった。銀歌との戦いで身体が死に、現在は銀歌の元の身体を奪い、自分の身体として使っている。非常識と思えるほどの知識、技術、戦闘能力、術力、謀略、政治力、運を持っていた。
 そして、平然と嘘を言い放つ。
 しかも、その嘘に事実を混ぜるから、さらにたちが悪い。
「禁術のせいで、身体が壊れた? 本当に?」
 腐毒の術。あらゆるモノを腐らせ、劣化させ、崩し、壊す、禁術。銀歌が使ったものは写本の禁術。生物にしか効果がない。相手が生きているならば、たとえ不死の力を持つ相手でも滅ぼすことが出来る。
 白鋼は一度腐毒の術を防いだ。
 だが、禁術を防ぎ切ることが出来ず、戦いが終わった直後に身体が崩壊を始めたらしい。そこで、銀歌の身体に転生した。そう言っている。現実として、銀歌は今の仔狐となり、白鋼は銀歌の身体を使っていた。
 しかし、転生の術など使えるのか? 憑依の術とは明らかに違う。
「理の力?」
 この世の原理、仕組み。
 白鋼はそれを理解し、自由に世界を描き換える。意志の力だけで、無限の干渉力を作り出す能力――いや、能力ですらない。指を曲げることや呼吸することを能力と呼ぶ者はいない。現実世界においてほぼ全能の力を示す。嘘ではない。
 もっとも、理の力は目的の結果を導く手段だろう。
「あいつの目的は、あたしを手に入れること……。助手にする? 理の力を教える? 機械を怖がらない? ようするに、何がしたいんだよ……」
 銀歌はずっと考えていた。
 白鋼の行動は一貫性がないように見える。だが、何も考えていないわけではない。全てが綿密な計算の上の行動。目的を見極めなければならない。
「とりあえず」
 首輪を前足で撫でる。
 赤い首輪。時々付けていること自体を忘れるほどに、身体に馴染んでいる。付けているという実感すらないほどに。葉月が作ったと言っていたが、白鋼が手を加えている。絶対に外れないように。
「これを外せるようなるのが、第一歩か」
 どのような術を使っても外れないだろう。禁術を使っても外れないかも知れない。この首輪は理の力で嵌めてある。理の力でないと外せない。
「風歌、全部食べたんだ。お代わりする」
「ああ」
 葉月の声に、反射的に頷いて。
「あ……」
 銀歌は目の前の皿に再び盛られたドックフードを、凝視した。

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