Index Top 第4話 目が覚めたらキツネ |
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第3章 猫神の霧枝 |
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屋敷裏の木陰で、銀歌は丸くなっていた。 仔狐の身体にもだいぶ慣れている。 最初の頃感じていた、マガツカミの鉄剣の匂いは消えていた。白鋼がどこかに移動させたのか、単純に匂いが散ったのか、別に理由があるのか。それは銀歌の知るところではない。今はただの森だ。 「今日一日、じっとしているか」 屋敷の中にはいられない。正確には、葉月の近くにはいられない。なんとなく身の危険を感じる。何かされるような気がしていた。 銀歌はぼんやりと生い茂る青葉を眺める。 「また昼も食わされるんだろうか?」 十分間の睨み合いの後、銀歌が折れてドックフードを食べた。涼やかな笑顔のまま睨みつけるというのは、見かけによらず怖い。 ちなみに、カリカリしていて味の薄いビスケットのようである。不味くはない。 「しかし、暑いなー」 都会から離れたこの地域。森の中ということもあり、さほど暑くなることはないはずだ。森の中の気温は二十五度くらいだが、森の外の気温は三十度をこえている。二十年前はもう少し涼しかったような気もする。 「あれか。地球温暖化ってヤツか……」 銀歌はぼやいてみた。 「あ。キツネだ」 声に気づき、顔を上げる。 ぼんやりしていて気配に気づかなかった。 目の前に女の子が立っている。 今の銀歌よりも二回りほど小さな年頃の猫神。人間年齢で十歳くらい。身長は百四十センチ弱だろう。肩で切り揃えた黒髪と、黒い猫耳。薄い水色のワンピースを着て、サンダルを履いている。ふらふらと揺れる黒い尻尾。 「………」 銀歌は目を見開き、女の子を見つめた。 初めて見る―― ような気がするが、なぜか知っているような気もする。 ぐるぐると思考を巡らせてから、銀歌は女の子が誰かを悟った。 「霧枝」 敬史郎と瑞樹の娘。 名前は聞いている。白鋼や葉月からも聞かされていた。しかし、実在するとは思わなかった。子供がいるのは当然だったが、本能が否定していたのである。 銀歌の前にしゃがみ込み、霧枝が訊いてきた。 「ねえ。こんな所で何してるの?」 「あー。うー」 銀歌は口をもごもごと動かして、見つめ返す。 幸いにして母親に似たのだろう。種族の違う者の間に生まれた子供は、どちらかの親の特性を受け継ぐ。例えば、猫神と狗神の間の子供は、両親の特性が混じることなく、猫神か狗神のどちらかとなる。狗神と猫神の兄弟も少ないながらも存在するのだ。性格や気質などは普通に遺伝する。 「………」 銀歌は無言で霧枝を見つめた。 言葉が出てこない。人の言葉が発音出来ないからではなく、言葉が思いつかない。固まったまま、じっと霧枝を見つめる。 「首輪してるってことは、野良じゃないよね。この辺りにキツネはいないから。白鋼さんが飼ってるのかな。それとも葉月さんかな」 霧枝はぼんやりと自問した。 赤い首輪。野生の狐が首輪をしていることはない。首輪をしているということは、白鋼か葉月が飼っていると考えるのが自然だろう。もっとも、白鋼は生き物を飼っている様子はない。少なくとも銀歌は見ていない。 「頭撫でていい?」 訊かれて、銀歌は我に返った。 かくんと頭を動かす。 動かしてから、霧枝が訊いたことを理解した。 「ありがとう。キツネさん」 「ちょっと待て……!」 言い返すも霧枝が理解出来るはずもない。 小さな手で、頭を思い切り撫でられる。小さな手と言っても、今の銀歌からすればかなり大きい。わしわしと頭の腕で手の平が動いていた。 「うわ。ふわふわ」 嬉しそうに笑う霧枝。 視界が激しく揺れる。 霧枝が手を離すと、銀歌はぺたりとへたり込んだ。四つ足を伸ばして、地面に腹をつける。頭がくらくらする。およそ気持ちのいいものではない。 「大丈夫?」 「あんまり大丈夫じゃない……」 銀歌は答えた。 のそのそと身体を起こしてから、霧枝を見上げる。 言葉が浮かばない。何を言っても通じないし、銀歌は元々子供が苦手だった。理由はよく分からないが、相性だろう。昔から子供には関わらないことにしている。 「だっこしていい?」 霧枝は照れたように微笑んだ。 銀歌は左右を見回すように視線を動かす。視線に釣られて、尻尾が戸惑うように揺れていた。どう反応していいか分からない。 「えと、えと……」 「駄目かな?」 つぶらな瞳で見つめてくる。ぴんと立った尻尾。 銀歌は、蛇に睨まれた蛙のように固まった。 見つめ合うことおよそ五秒。たった五秒ほどの時間だというのに、一時間近く睨み合っていたような気がする。言い過ぎではあるが、嘘でもなかった。 「分かった」 銀歌は一歩前へ進む。 それで意志は伝わったらしい。 霧枝はぱっと表情を輝かせた。銀歌を両手で抱え上げ、ぎゅっと抱きしめる。子供の力なので苦しくはないが、どうにも居心地が悪い。 「うわぁ。もこもこー」 嬉しそうに笑う霧枝。尻尾を振りながら銀歌の顔に頬擦りしている。 仔狐を抱いた感覚というものは銀歌自身も分からないが、仔犬を抱いたようなものだろう。ぬいぐるみのようなものかもしれない。 「うぐぅ………」 口を動かしながら、銀歌は視線を動かした。手足を振り回せば、さほど労することもなく逃げられるだろう。だが、実行する気にはなれない。 「キツネさん。何か食べる?」 抱きかかえたまま、霧枝が訊いてくる。 銀歌は霧枝の顔を見つめ返した。 「え?」 「葉月さんに何か作ってもらおうよ」 言うなり、銀歌を抱えたまま、とことこと歩き出した。 |