Index Top 第4話 目が覚めたらキツネ

第1章 不条理な目覚め


 目が覚めると違和感を覚えた。
 部屋が大きくなっている。
 そんなわけがない。頭の中で否定しつつも、改めて部屋を見る。明らかに大きくなっていた。見上げるほどに高い天井、広間ほどある床。
「白鋼のヤツ、また何かしたのか?」
 そう呟いたつもりだった。
 だが、喉から出たのはコンコンという鳴き声だった。
「!」
 ぎょっとして手を見つめる。
 狐色の毛に覆われた丸い手――というか、足。短い指と肉球。力を入れるともこもこと動く。自分のものらしい。納得する。
 布団から身体を引っ張り出した。
 二本足で立てない。四つ足で畳の上に立っている。立とうとしても、前足を動かすだけである。着ていた寝間着は脱げていた。
 枕元に置いてある鏡を見る。
「うわぁ」
 そこに映ったのは、仔狐だった。正真正銘のアカギツネの子供。首には赤い首輪。体長は四十センチで、尻尾は三十センチ弱。
 前足を動かしたり、首を動かしたり、鼻を動かしたり、その場でくるくる回ってみたり。仔狐と自分の感覚は一致していた。
 鏡に映る仔狐が自分であると、痛感させられる。
「どうなってるんだよ……」
 鏡を撫でながら、銀歌は呻いた。
 出てきた声は、言葉ではなくコンコンという狐の鳴き声だった。仔狐になった以外、身体に害ははないように思える。思考や知力が低下している様子はない。少なくとも自覚出来るほどには。
 ふと気づいた。
「外れるか?」
 赤い首輪を前足で撫でる。下着と寝間着は脱げているのだが、首輪は頑固に嵌ったままだ。身体の大きさに合わせて縮んでいる。
 長い指がないので掴むことは出来ないが、爪を立てて引っ張ってた。
「この、この……!」
 簡単に外れそうなのだが、外れない。前足と後ろ足を使って外そうと試みるが、外れなかった。必ずどこかが引っかかってしまう。
「外れないよな。どうなってんだ?」
 術で嵌めてあるので、外すのには相応の妖力がいるのだろう。
 とはいえ。
「どうしろってんだよ」
 子供になって驚いた経験があるので、さほど驚きはしない。だが、このまま生活するわけにもいかない。妖力も作り出せず、術も使えない。
「銀歌、起きてー。朝だよー」
 襖が開き、葉月が入ってくる。最近は起床を葉月に頼んでいた。目覚ましの電子音はどうにも不快で、寝起きが悪いのである。
 銀歌は葉月を見つめた。目が合い――
 ぱっと表情を輝かせる。
「わー、かわいいー♪」
 銀歌が逃げる暇もなく、葉月に抱え上げられていた。床から足が離れ、一気に上へと引き上げられる。身体が小さくなっているせいで、何メートルもの高さに持ち上げられたような感じを覚えた。
「放せ!」
 じたばたと足を振り回してみるが、力の差が歴然でふりほどくことも出来ない。
「銀歌だよね? 何で仔狐になってるの?」
「あたしに訊くな!」
 言い返す。
 だが、葉月は眉を寄せただけだった。
「何言ってるか分からないよ……」
 言葉が違っているわけではなく、単純に声帯が違うだけである。狐では、ひとの言葉を発音出来ない。どのみち、意思疎通は出来ない。
「御館様なら分かるかな?」
「白鋼ねぇ……」
 いくら白鋼でも分からないだろう。
 考えているうちに、葉月は銀歌の部屋を出ていた。がっしりと銀歌を胸に抱えたまま、廊下を歩き、台所に入る。葉月の身体は金属製だというのに、金属特有の冷たさは感じない。硬くもない。普通の生き物のようである。
 台所では、白鋼が朝食を食べようとしてた。普段通りの白い着物に紺色の袴。
 トーストにバター、ハムエッグ、サラダ、コーヒー。洋風な朝食で、油揚げの甘煮が浮いている。箸とフォークが用意してあった。朝は和食と洋食を交互に食べている。葉月は大抵の料理は作れると豪語していた。何でも作れるのだろう。
「おはようございます。銀歌くん」
 仔狐になった銀歌を見やり、白鋼は挨拶をした。
「やっぱり銀歌なんだ」
 嬉しそうに笑う葉月。
 銀歌は白鋼を見やり、鼻を動かす。
「あたしだって分かるんだな」
「ええ。分かりますよ」
 答える白鋼に。
 しばしの沈黙。
「……何で分かるんだよ!」
 口から出る声は、キャンキャンという狐の鳴き声。言葉を話しているつもりであるが、言葉になっていない。だが、白鋼は銀歌の言葉を理解している。
 白鋼はコーヒーを一口すすり、キツネ耳を動かした。
「銀歌くんの場合は、狐の言葉を喋っているわけではなく、人の言葉を狐の声帯を通して喋っているだけなので、音程と音調である程度推測出来ます」
「そういうものか?」
「そういうものです」
 したり顔で頷く。
「御館様と銀歌だけで会話してずるい」
 羨ましそうに、銀歌と白鋼を見つめた。
 読唇術とも違う。どうにも腑に落ちない技術。
「葉月も頑張れば出来るようになりますよ」
「普通に無理だと思います」
 葉月は冷静に答えた。
 このようなあり得ない技能を持っている者を、銀歌は白鋼以外に知らない。習得しようとする動機が不明な上、習得しようとして習得出来るものでもない。
 銀歌は鼻を動かし、尋ねた。
「で、何であたしはこんな姿になってるんだ? 何かしたのか?」
「今日は新月です」
 白鋼は答える。
「そして、銀歌くんは半妖です」
「………」
 一見つながりのない言葉に、銀歌は頭を捻った。
 だが、記憶を辿り理解する。話には聞いたことがあったが、忘れかけていた。言われてみれば、昔教えられた記憶がある。
 銀歌は答えた。
「半妖は周期的に妖力が弱まる。人間と妖怪の合いの子なら、人間になるだけだけど、あたしの半分はアカギツネだから、こんな姿になるのか……」
「ご名答」
 白鋼がにっこりと笑う。

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