Index Top 第3話 銀歌の一日 |
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第3章 白鋼の世界 |
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扉を開けて白鋼の部屋に入る。 裏の屋敷の西側。外見とは対象的に、中は近代的な雰囲気だった。白い壁に、リノリウム貼りの床。薄く漂う薬品の匂い。扉を開けると短い廊下になっている。左側に階段があるが、正面に扉はない。 「どうやって向こうに行くんだ?」 廊下を通ってから、階段を上っていく。一段一段足を動かしながら、銀歌は違和感を覚えていた。両側の白い壁。天井に見える蛍光灯。何かがおかしい。 二階に上がると、廊下。左側は窓、右側に扉がふたつ、奥に扉がひとつ。 手前のドアを開けて、部屋に入る。 十畳ほどの板張りの部屋。部屋の中央に、大きな机があり、ビーカーやフラスコ、試験管、その他の実験道具が並んでいた。やけに整然とした部屋。右の壁際には、薬品の並んだ棚が三つ。正面には、扉。左手には開いた扉。 「何だ……?」 銀歌は開いた扉の前に移動して、足を止める。 白鋼がいた。銀歌には後姿しか見えない。ただし、一糸纏わぬ姿。着物も袴も、おそらく下着も身につけていない。その状態で姿見を眺めている。 「何してんだああああ! このヘンタイがあああ!」 気づいた時には、銀歌は突進していた。 破魔刀を鞘から抜き放ち、白鋼の背中めがけて力任せに振り下ろす。 だが、そこに白鋼はいない。突進した勢いのまま、銀歌は姿身に破魔刀を叩きつけていた。澄んだ音とともに砕ける鏡。飛び散るガラスの破片。 破魔刀を握ったまま、勘に任せて振り返る。 「ずいぶんと早かったですね」 しゃあしゃあと答える白鋼。大きなタオルを右手で持ち、身体を隠している。だが、何も着ていないのは、容易に見て取れた。着物も袴も下着すらつけていない。 「そこに直れ! このドスケベがあああ!」 銀歌は絶叫とともに、斬りかかった。瞬身の術と破鉄の術を使い、破魔刀を振り回す。しかし、白鋼はひょいひょいと飛び跳ねながら、刃を躱していった。当たらないのは分かっている。理性が吹っ飛び、止まる気にはなれない。 丸椅子が曲がり、小さな本棚が倒れ、机が切断され、カーテンが斬り裂かれ、畳まれた服が斬られ、ベッドが切断され、金属の棚がひしゃげ、薬の入った瓶が割れ、よく分からない機械が壊れ―― 「落ち着いてください」 みぞおちに白鋼の右拳が触れた。 痛みはない。衝撃もない。だが、足腰が砕ける。銀歌は数歩後ろによろけて、壁によりかかった。崩れるように腰を落とす。立ていられない。 「くそッ……」 「派手に壊しましたねー」 タオルで身体を隠したまま、白鋼は面白そうに部屋を見回す。元は診察室だったのだろう。しかし、無事なものは残っていない。 「安心してください。裸を眺めていたわけではありませんよ」 「なら、何してたんだ……!」 震える足を右手で叩きながら、銀歌は声を上げた。 「治療ですよ。今終わったところです。自分の目で見れば、分かるでしょう」 白鋼は身体を隠していたタオルをどける。 銀歌は息を止めた。 何本もの、生々しい創傷。幅二センチほどの生傷。 右肩から右胸。左肩から右胸の下。右胸から両乳房の上を通り左胸へ。鎖骨の中央からへその上。右胸の下からみぞおち。右の脇腹からへその下。左の腰から右胸の下。右足の付け根から右胸の下。左上腕を斜めに二本。左太股を縦に一本。横に二本。加えて、直径三センチほどの丸い傷跡。銃創。右肩に二箇所、心臓付近に二箇所、みぞおち付近に二箇所、右胸の下に一箇所、臍の近く三箇所、下腹に二箇所。左足の付け根に一箇所。左太股に二箇所。創傷と重なっている傷も多い。右肩から左足まで銃創が斜めに走っている。 創傷十三本に、銃創十五箇所。 銀歌は唾を呑み込んだ。全身が粟立ち、喉が渇く。 「なんだ……それ」 「銀歌くんとの戦いで、僕がつけた傷です。マガツカミを宿した鉄剣と、ペイロードライフル25ミリ呪錬徹甲弾。これでも、よくなったんですよ? 右腕と右足は生体義肢に交換してあるので傷はありませんけど、前は酷い有様でした」 のんびりと笑ってみせた。 戦いの最後で、銀歌は無茶苦茶に斬り刻まれた。記憶にはそうある。だが、これほどの重傷だとは思わなかった。生きていること自体奇跡だろう。 白鋼はテープを取り出した。白いガムテープのようなもの。 「これは創傷用の湿布です。抗生物質や薬剤を生体接着剤に混ぜて、テープ状に丸めてあります。使い方は傷口に貼るだけ。医学の進歩は素晴らしいです」 解説しながら、手馴れた動きで身体にテープを貼っていく。ほどなくして、傷が見えなくなった。奇抜な形の白い水着を着ているように見えなくもない。大事な部分は隠れていないので水着とは呼べない。 近くに落ちていた、穴のないバームクーヘンのような包帯を掴み、テープの上から身体に巻きつけていく。身体の半分以上が包帯に覆われた。端をテープで留める。 「完治するのは、来年でしょうね」 白鋼は下着を手に取った。 胸全体を包むスポーツブラと、腰全体を包むスポーツショーツ。色は濃い灰色。それらを身に着けてから、斬れた着物と袴を眺める。 眉を動かしてから、服を置いて、 「銀歌くん。僕が君を助手にしようと思いついたのは理由があります」 「は?」 「僕の助手は、誰にでも勤まるわけではありません。誰でも出来るなら、とっくに誰か優秀な人を雇っています。しかし、僕の助手を務めるには、一種の素質が不可欠なのですよ。君にはその素質があると僕は判断しました」 人差し指を回しながら、白鋼は言葉を連ねた。 「それに、君は生真面目で潔癖ですからね。僕が教えたことも覚えてくれるはずです」 「あたしが……キマジメでケッペキ?」 言い返してから、銀歌は失笑する。 昔から勉強はいつもサボっていた。気が向くと酒を飲んでいた。暴飲暴食は当然。生活態度も無茶苦茶。二十年近く朝九時前に起きたこともなかった。犯罪は、窃盗から殺しまで。生真面目、潔癖、これほど自分に似つかわしくない言葉もないだろう。 「お前……人を見る目ないだろ?」 「そうでもないですよ」 妖しげに笑い、白鋼はお腹に右手を置く。 そのまま、ゆっくりと下に動かしていった。へそを通り、下腹部を通り、止まることもなくショーツの縁に触れる。躊躇なくショーツの中に指を差し入れると、さらにその下へと指を動かしていった。止める気は微塵も感じられない。 到達したら、何をする気だ? そんな疑問が頭に弾け、 「死ねええええッ!」 咆哮とともに飛び跳ね、銀歌は右手を振り上げていた。 雷の術と狐火を織り交ぜ、手の中に雷炎を作り出す。紫色の稲妻と蒼い炎。瞬身の術で加速して、怒りに任せて右手を突き出した。一直線に心臓を狙う。 白鋼はひらりと身を翻し、銀歌の右手を掴んだ。 足を払われ、背中から床に転倒する。雷炎は消えていた。 「つまり、こういうことです。詳しく説明する気はないですけど、そうですね……例えば、君は一度も男に身体を許したことありませんね?」 「……なんで知ってるんだよ」 険悪に訊くと、白鋼は人差し指を立てて、 「匂いで分かります」 「あたしの眼鏡に適う男がいなかっただけだ。そんな信用出来ない奴に身体を触らせる気になれないね。七尾の妖狐っていうのは、色々と敵が多いからな。気を抜いた隙に寝首かかれました、じゃお話にもならない」 「真面目な人ほど、真面目に不真面目になるんですよ。君に自覚はないでしょうし、認める気にもないでしょうね。でも、そのうち分かりますよ」 涼しげに微笑み、白鋼は手を放す。 銀歌が立ち上がるのを眺めながら、着物を手に取った。 「それにさっき、簡単な試験も行いました。合格です」 「試験?」 「内容はあとで。これから君には理を理解してもらいます」 着物に袖を通しながら、言ってくる。 「理とは、つまり……こういうことです」 視線で部屋を示した。 |