Index Top 第2話 白鋼、出掛ける |
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第1章 眠たい朝 |
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ピピピピピピピ。 耳に響く電子音で銀歌は目を覚ました。 重い目蓋を持ち上げながら手を伸ばし、枕元の目覚まし時計を掴む。ボタンを押して、音が止まった。朦朧とする意識で、時間を確認する。 朝七時。 銀歌は無言で目覚まし時計を放り投げ、布団をかぶった。 心地よい暖かさとともに、意識が遠くなっていく。 「銀歌、朝だよ! 起きて!」 布団を引っぺがされた。布団の温もりが消える。 銀歌は目を開けて、顔を上げた。 「はづき……?」 「起床は七時って言ったでしょ。早く起きなさい」 「やだ」 一言答えて、身体を丸める。尻尾を縮めて、耳も伏せる。 が、襟首を掴まれ、強引に身体を持ち上げられた。女とは思えない腕力に、なすすべなく立ち上がる。銀歌はしょぼついた目で、葉月を見つめた。 「あと二時間……」 「普通、後五分って言わない?」 呆れたように、つぶやく。 銀歌は力なく、葉月の手を振り払おうとしながら、 「ねかせろぉ。あたしは、ここ二十年、九時前に起きたことはないんだ」 「どういう生活してたの……」 ため息をついて、葉月は銀歌を抱え上げた。 米俵のように担がれたまま、部屋を出る。ゆらゆらとした振動が心地よい。銀歌は目を閉じて、再びまどろみの中に落ちて――いこうとして。 衝撃とともに、現実に引き戻された。 椅子に下ろされたらしい。 「むぅぅ」 テーブルには朝食が用意されている。白飯、味噌汁、卵焼き、鮭の切り身、漬物、油揚げの甘煮。ごく普通の朝食だった。出来立てらしく、湯気が上がっている。 「早くご飯食べてね。ここで寝たら無理矢理起こすから」 笑顔で脅迫してくる葉月。 銀歌は言い返すこともなく、箸を取った。頭の中に眠気が充満しているが、二度寝は出来ないだろう。ここで寝たら、葉月に叩き起こされる。従うのは癪だったが、抵抗する気力はなかった。 「いただきます」 茶碗を持ってご飯を食べながら、葉月を見る。 「……お前は、メシ食わないのか?」 「わたしはご飯食べないよ。身体が食べ物を消化出来るように作られてないから」 「なら、何食うんだ?」 食べ物を食べられないという妖怪は多い。食べ物の変わりに、水や油や岩を常食とする者もいるし、文字通り霧や霞を食っている者もいる。 葉月は流しの下から一升瓶を取り出した。 「わたしの燃料はこれ。アルコール」 「おー。酒かー」 銀歌は椅子から立ち上がり、葉月の傍に移動する。尻尾がぴんと立っていた。 昨日調べた時はなかったように思える。まあ、それはどうでもいい。どこかに隠していたのか、銀歌が去った後にしまったのか、どっちかだろう。 「一口飲ませろ」 一升瓶を奪い、蓋を開ける。起き抜けに一杯飲めば、眠気も醒めるかもしれない。ラッパ飲みするように、中身を口に流し込んだ。 「それ、お酒じゃ――」 「ぶほっ!」 強烈な衝撃に、液体を吹き出す。 一升瓶を放り捨て、銀歌は流しに走った。熱い。舌が、口が、喉が。焼けるように熱い。熱いというよりも、痛い。眠気も跡形もなく吹っ飛んでいる。涙を流しながら蛇口をひねり、出てきた水をコップも使わず、がぶ飲みしていく。 口の感覚が逝っているせいで、飲んでいる感覚がない。 一分ほど水を飲んでから、水道を止めた。 肩で息をしながら、葉月を睨みつける。まだ口や喉がひりひりしていた。 「何だ、それ……酒じゃないぞ」 葉月は一升瓶をテーブルに置いて、 「これ、お酒じゃないよ。純度百パーセントのエチルアルコール。C2H5OH。火を近づければ燃えるし、飲んだら喉が焼けるよ」 「思いっきり焼けたぞ!」 ばしばしと床を蹴り叩きながら叫ぶ。 「何で、酒瓶なんかに入れてあるんだよ! 間違えて飲んだら、死ぬだろ!」 「薬瓶に入れておくのも味気ないと思って。お酒みたいでしょ?」 葉月は椅子に座り、コップにアルコールを注いだ。 透明な液体。水や酒と変わらないように見えるものの、明らかに匂いが違う。つんと鼻を突く匂い。消毒液の匂いだ。好きな匂いではない。 「馬鹿だろ、お前……」 うめきながら銀歌は椅子に座る。耳も尻尾も力なく垂れていた。 口直しに、油揚げの甘煮を口に入れる。 「味、分からんし……」 仕方なく、他の食べ物を口に入れた。舌が痺れているせいで、味も何も分かったものではない。鼻にもアルコールの匂いが染み付いていて、風味も分からない。 葉月がアルコールを飲み干した。 「あー。おいしい」 「よく飲めるよな。そんな劇物」 半眼で見つめる銀歌。 葉月は酒瓶に蓋をして、流しの下にしまう。 「わたしはアルコールで動いてるんだよ。一日の活動に必要な量は、五百ミリリットル。御館様のおかげで、びっくりするほどの高燃費。昔は、一日動くだけでも、六リットルも必要だったんだから」 「いいけどさ」 味噌汁をすすりながら、ため息をついた。 「ああ。そういえば」 「なに?」 「白鋼って……あれ、人間だろ」 銀歌は言った。白鋼。自称科学者の変人。妖怪としての種族も不明で、いつ生まれたのかも知らない。銀歌が子供の頃から名前は知られていた。話によると、千年前には既に研究をしていたらしい。何者なのか。 葉月がぱちくりと瞬きする。 「何で、そう思うの?」 「匂い……っていうか、雰囲気が妖怪や神とは違うんだよな。やけに人間くさい。それに拳銃を使って妖力が落ちないのも、気になるし。なにより、破魔刀だ」 箸を動かしながら、銀歌は力説した。 「破魔刀は、人外を殺すために人間が作った刀だ。性質的に妖怪や神を拒絶するんだよ。ましてや、あんな代物……妖怪には触ることも出来ない。触っただけで、手が崩れる」 白鋼が使っていた破魔刀を思い出す。 長さ百二十センチほどで、刀身は分厚く身幅があり反りがない。折れた刀身に柄を取り付けた、単純な構造。刀身のいたる所に傷だらけで刃毀れも目立った。刃物としては使い物にならない。しかし、破壊力は想像を絶する。 かなり高位の妖怪でも、一太刀で命を落とすだろう。 それで、何度も切り刻まれて死ななかった自分もバケモノだと思うが。 バケモノの身体は白鋼が使っていて、自分は仔狐になっているが。 「人間が妖怪になるっていうのは、結構あるからな」 銀歌は言った。天狗や鬼の一部は人間が姿を変えたものである。白鋼はその類なのだろう。大昔に妖怪になって、何百年も生きている。 葉月は首を振って、 「わたしは知らないよ。御館様が何者かなんて考えたことなかったから。でも、人間だったら、どうするの? 御館様であることに変わりはないでしょ」 「元人間なら、人間としての弱点も残ってるかもしれないからな。そこを突けば倒せるかもしれん。倒しても、身体を奪い返せなきゃ意味はないんだけど……。なんらかの手札を持ってることに越したことはないだろ」 「それは、正論なんですけどねぇ」 突然の声に、銀歌は耳と尻尾を跳ねさせた。 |