Index Top 第7話 臨海合宿 |
|
第18章 眠りへの誘い |
|
慎一よりも早く部屋に戻り、変化の術を解く。 用意しておいた就寝用の下着に着替えてから、浩介は旅行用リュックから小箱を取り出した。草眞に貰った化粧箱である。化粧品類は入っていないが。 蓋を開けてから、髪の毛用ブラシを取り出した。 「お前も随分女らしくなったな……」 布団の上にあぐらをかいたまま、リリルがしたり顔で呻いている。足を広げているせいで、前がはだけて細い足とスパッツが見えているが、気にしていないようだった。 浩介は化粧箱の蓋に付いた鏡を見ながら、狐色の髪の毛にブラシをかけていく。 「身体は女だからな。女って色々面倒くさいよな、純粋に男だった時期が懐かしい」 「人生、あっさりしたコトで一変するものだよ」 悟った面持ちで、リリルが首を縦に動かす。実際、漫研のお遣いに行っていなければ、ありふれた男として生涯を終えることができただろう。リリルも子供になって遣い魔にもなっていないはずだ。 トントン、とドアがノックされる。続けて、慎一の声。 「入るぞ」 「おぅ」 浩介は一言答えた。リリルが両足を伸ばして、浴衣の裾を直しているのが見える。慎一にはあまりダレた姿を見られたくないらしい。いや、どちらかというと見られたくないのはカルミアだろう。 少し間を置いてドアが開き、慎一が部屋に入ってきた。その右肩には飛影が留まっていて、胸の辺りに持ち上げた右手の平ではカルミアが静かな寝息を立てている。 「戻りました」 「おかえり」 飛影の言葉に、リリルが無愛想に返事をする。 「カルミア、もう寝ちゃったのか?」 浩介は髪の毛用ブラシを化粧箱にしまい、尻尾用ブラシを取り出した。 慎一の手の上で静かに寝息を立てている妖精の少女。なぜか、引き込まれるような神秘性を感じる。無防備に眠る妖精は、滅多に見られないだろう。 「いつもは八時くらいに寝てるから、それに今日は色々あって疲れたんだよ」 左手でそっとカルミアを撫でながら、慎一は小さく微笑んだ。 浩介は一度頷いてから、尻尾を動かす。尻尾抜きの術で浴衣を透化している尻尾を右手で抱え、狐色の毛にブラシを走らせた。ブラシが毛を梳くたびに、芯から背筋へと微かなしびれが走っている。 「大変そうだな……」 同情するように眺めてくる慎一に、浩介はブラシを左右に振って見せた。 「色々と。でも、こうなってなかったら、俺は死んでたんだから仕方ないって。ところで、小森と部長の将棋はどうなった?」 「一樹さんが勝ちました。飛龍大回天って初めて見ましたよ。漫画の技なのに、実際に使えるんですね。対戦成績はこれで十勝十一敗だそうです」 浩介の問いに、飛影が答える。飛龍大回天とは、とある将棋漫画の主人公の必殺技で、二枚の飛車で一気に切り込む奇襲戦法だ。一樹はそれをある程度現実的にしたものを使う。以前、一樹と一局打った時、飛龍大回天で瞬く間に詰みに追い込まれた。 「あと、アルフレッドさんは大分回復してました」 飛影が続けるが、それはどうでもいい。 慎一が両手を持ち上げる。 「樫切」 「ん?」 視線を向けると、空いた左手で印を結んだ。左手で使ってはいるが、さきほどの口寄せの印と同じものらしい。広げた手の平の空気が歪み、次の瞬間虚空から木の箱が現れた。そこはかとなく漂う防虫剤の香り。中身は服だろう。 その木箱を浩介の前に差し出してくる。 「これ渡しておく。そのうち必要になるかもしれない。ただ、貸すだけだから終わったら返してくれ。……あと、これを選んだのは僕じゃないから、僕に文句言うなよ」 「何だ、その言い訳?」 渋い表情で視線を逸らす慎一を眺めながら、ブラシを片付け箱を受け取る。高級そうな桐の箱だった。二級式服緋雪と書かれた紙が貼られている。 嫌な予感を覚えつつ、浩介は箱を床に起き、蓋を開けた。中身を取り出してみる。 長袖の白衣と、緋色の馬乗袴。 「これって……」 浩介はジト目で式服を眺めてから、慎一を見やった。だが、思い切り視線を逸らし、口元を硬くしている。ノーコメントで、何か答える気は無いらしい。肩に留まった飛影は、そっぽを向いて無関係を装っていた。 「アハハハハハハ! 巫女装束かッ。キツネといったら巫女装束だよな、うん。それは絶対に似合うぞ、コースケ。いや、シンイチ、お前いいセンスしてるな。見直したよ!」 一方、リリルは両手を叩きながら大笑いしている。何かが完全にツボにはまったようだった。目から涙がこぼれるくらいに大受けである。 「見た目は巫女装束だけど、強度と防御力は本物だ。真剣くらいは普通に受け止められるから。あと、選んだのは僕じゃないから……重ねて言うけど」 「ま、まあ、デザインはさておくとして――」 浩介は式服を木箱にしまい、慎一を見上げる。 「何が起こるんだ?」 「分からん」 慎一は自分の寝る布団の元に歩いて行き、そこに腰を下ろした。肩に留まっていた飛影を掴み、近くの座布団に下ろす。枕元に置いてあった小さな布団を捲り、眠ったままのカルミアを寝かせてから、再び布団をかける。ドールセットのような布団だが、これで大丈夫らしい。 そっとカルミアの頭を撫でてから、慎一は浩介に意識を向けた。 「ただ、今夜鬼門寺さんが何かするらしい。僕の仕事はその調査」 「……部長?」 尻尾を動かしながら、浩介は狐耳の付け根を指でかいた。鬼門寺智也。漫研部長を務める万能型の天才である。ほとんどの事そつなくこなすその姿は確かに人間離れしているが、人間ではない者の気配は全く感じられない。 慎一はその場に腰を下ろし、再び口寄せ印を結んだ。空中に現れる二本の刀。やや大振りの打刀と五十センチほどの脇差。 「通称、死ななかった男。本来、鬼門寺さんは高校生の頃、交通事故で死んでたはずなんだ。死神が魂の回収に行ってる。でも、奇跡的に生き返った。どうも、その臨死体験の際に何か取り込んだらしい。それが、生き返った原因で、超人的能力の正体。僕はそれが何か確かめるためにこの合宿に付いてきた」 事実、智也は高校生の頃に交通事故に遭い、臨死体験を経て別人のようになってしまったらしい。それはあくまでも生死感の変化から来るものだと思っていた。 「何か話が飛躍しすぎてると思うんだ……」 現実逃避の意味も込めて、浩介はそう言い返してみた。自分が人間でなくなり、魔族のリリルと暮らし、死神の凉子という友人兼教育係がいて、本当に人間離れした退魔師である慎一や結奈を見ていても、やはり常識というものが働いてしまう。 「臨死体験から何かおかしなものを取り込むことは、稀にある。今までの調査の結果、夢の魔物ってことが判明してる。今まで実害も危険性も無かったから観察程度の調査するだけだったけど、今回踏み込んだ調査をすることになった。それが僕の仕事」 再び口寄せ術を使い、木の箱と使い込まれたウエストポーチを取り出す。木の箱の中身は式服だろう。ポーチには色々入っているようだった。 「何する気だ?」 「鬼門寺さんの力に直接踏み込む。つまり、『夢の世界』に行く。鬼門寺さんが眠った僕たちを引き込むって表現する方が正しいかな? そういう風に仕掛けた」 何を言っているのかは分からなかったが、何が言いたいのかは何となく分かった。浩介は息を吸い、確認するように問いかける。 「つまり――今夜寝たら、俺たちはその『夢の世界』に連れて行かれる可能性が高いんだな? あの部長はどう考えてるんだ?」 「歓迎するよ、だって。さっき言われた。バレてるのは想定内だったけど」 苦笑いとともに慎一は答えた。だが、浩介は見逃さなかった。疲れたような笑いに潜む、薄い刃物のような狂気の色を。明らかにこれから起こる事を歓迎している。 浩介は満面の笑顔で頷いた。 「分かった。俺は徹夜してる……って、え?」 不意に現れた眠気に、息を飲む。今までは何ともなかったのに、前触れも無く強烈な眠気が浮かんできた。意識に霞がかかっていくような朦朧感。 「鬼門寺さんが寝たな……。引かれてるんだよ。諦めて寝てくれ、樫切」 「待て、今から部長を捕まえて調査なりなんなりすればいいんじゃないか?」 浩介は智也たちがいる部屋の方を指差した。慎一ほどの力を持っていれば、智也を捕まえるのは造作も無いだろう。捕まえて尋問なりすればいい。 しかし、慎一は首を振って、 「鬼門寺さんの力は……起きてる間は出ない。本人が寝てから動き出すんだ。そこが厄介でね。夢の中って仮想世界で現れる力だよ。現実から干渉するのは難しい。だから、その力を使う場所と機会を作って、その力の中に直接進入する」 「つまり、コースケ。お前も含めて、この合宿に参加した連中は、全員囮だ」 なぜか楽しげなリリルの言葉に、浩介は思い切り顔を強張らせる。 智也の正体を調べるために、慎一はカルミアや飛影まで含めた合宿参加者をダシにしたのだ。上級の退魔師が時に危険とも言える戦法を取ることは知っている。だが、自分がその当事者になるのはぞっとしない。 「安心してくれ。こっちにも策はある。身の安全はおおむね保証するよ」 「おおむね、って……」 説得力のあるのか無いのか分からない台詞に、何か言い返そうとして。 何も言い返せぬまま、浩介の意識は眠りへと落ちた。 眠ってしまった浩介を布団に寝かせ、慎一は軽く背伸びをする。昼間からの疲れのせいもあるだろう。強い眠気が意識を霞ませていた。 「さて、僕たちも寝るか」 「リョーコやユイナは知ってる――んだろうな」 リリルは猫耳帽子を脱ぎ、布団へと入る。 智也は自分の力をアトラクションのようなものと考えているようだった。拘束隔離から調査という荒技も可能だが、そこまでするほどではない。智也が持つ力は、実のところそれほど強くないのだ。 「さっきの話、何割が嘘なんだ……? お前たちが何を企んでるかは知らないけど、アタシはほどほどにやらせてもらうよ」 そんな台詞とともに、リリルは目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてくる。 自分の布団にくるまって眠っているカルミア、座布団の上で丸くなっている飛影。 慎一は布団に潜り込み、枕に頭を乗せ、目を閉じた。 「おやすみ」 そして、数秒も経たずに眠りに落ちていく。 |