Index Top 第5話 X - Chenge

第3章 初めての運転


 ふと思い出して、結奈は告げた。
「飛影。追跡する時は、少なくとも三百メートルは離れてね」
「え? 三百メートルも……。そんなに離れてると追跡難しくない?」
 狼狽えたように言い返してくる。空から追跡するとはいえ、三百メートルも離れては見失う可能性もあるだろう。
 結奈はぽんぽんと飛影の頭を叩きながら、
「慎一の術射程は大体五十メートル。哨界の術はそこまでしか広げられないけど、そこに向けられた意志は拾うわ、あいつなら。日暈のカンのよさは異常だからね。穏行の術なしじゃ一キロ離れて追跡しても見つかりそうだし」
 鈍そうに見えて、異様に鋭い。生まれ付いての集中力に加えて、日暈の奥義である数瞬先の未来予知。その結果だろう。慎一は奥義は使えないものの、時々未来予知のようなことをしている。
「あたしの経験からするに、穏行の術使って見つからないぎりぎりが三百メートル……。あと、眼はあたしがやるわ。妖精って凄く視力いいみたいだし」
 結奈は周囲に視線を巡らせた。元々近眼ではあったが、それを差し引いても恐ろしくよく見える。五百メートルほど離れた家のカレンダーすら読めるほどに。
「というわけで、出発」
「了解……」
 結奈の合図に、飛影は翼を広げて飛び上がった。


「これが、車ですか」
 カルミアは道に駐車された軽自動車を興味深げに眺めていた。セカンドカーを借りて来たものらしい。車は今まで何度も見ている。しかし、人間として見るのは初めてだし、運転するのも初めてである。
 カルミアはポケットから取り出した鍵で運転席のドアを開けた。
 慎一は改めて尋ねる。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫です。ちゃんと運転方法も分かります。アクセルで加速、ハンドルで方向転換、ブレーキで減速、停止。バックミラーとサイドミラーを見て、後方確認。シートベルトを締めて出発。歩行者や自転車に注意」
 結奈の知識を引き出しているのだろう。すらすらと答える。言っていることに間違いはない。だが、信用出来るかといえば、否だ。
 胡乱な顔の慎一に、カルミアは笑顔で告げる。
「大丈夫ですよ。乗って下さい」
「………」
 言われるままに、慎一は助手席へ乗り込んだ。シートベルトを締める。
 カルミアが運転席に乗り込んだ。慣れた動きでシートベルトを締め、ブレーキを踏んだままエンジンを掛ける。基本的に動きに問題はない。
「さあ、出発です!」
 子供のような好奇心に溢れた表情。サイドブレーキを外す。
「先に言っておくけど」
 アクセルを踏む前に、慎一は口を開いた。
 顔を向けてくるカルミア。
「何ですか?」
「絶対に六十キロ以上出すなよ。僕は時速百六十キロでコンクリートにぶつかっても死なないし、結奈の身体も死ぬことはない。でも、普通の人間は撥られたら死ぬぞ」
 眼鏡越しに焦茶色の瞳を見つめ、慎一は告げた。自分たちは術で防御することが出来るが、一般人はそうもいかない。四十キロでも充分致命傷となる。
「はい」
 真面目な顔で頷くカルミア。
「法定速度を守って安全運転です」
 真剣な口調で断言し、アクセルを踏み込んだ。
 急に発進するということもなく、普通に走り出す。きっと睨むように正面を見つめるカルミア。道を少し進み、十字路で停止。左右と後方を確認してから左へと曲がる。
 幸いにして運転は普通だ。
「でも念のため」
 慎一は一度眼を瞑り、意識を集中させる。眼を開いた。
 知覚の網が一瞬で周囲の空間を埋め尽くした。哨界の術。半径五十メート以内で起こることを知覚する。ただし、精度は低め。精度を上げ過ぎると、大量の情報を処理出来ずに、脳が混乱してしまう。一度に複数の会話を理解できないように。
 周囲五十メートルに加え、そこに気配の届くおよそ半径三百メートルの車や人間、自転車などの動きを大雑把に把握する。いざとなれば、車を破壊する覚悟も決めた。
「運転って面白いですね」
 信号で止まり、カルミアが笑顔を向けてくる。本当に楽しそうな表情。妖精が車の運転をするなど、聞いたことがない。カルミアが始めてだろう。
「そうかもな」
 慎一は頷き、周囲に目を向ける。百メートル前方と、百二十メートル後方に車。横道から飛び出してくる危険性はなし。
 トントン。
 という音に視線を移す。
 カルミアが指でハンドルを叩いていた。
「ん?」
 慎一は眉を動かす。
 人差し指と中指でリズムを取るように。
「何だ?」
 眺めているうちに、だんだんと乗ってくる。
「立ち上がれ、気高く舞え! 定めを受けた戦士よ! 千の覚悟身に纒い――」
「待てえええッ!」
 叫びながら、拳を振り上げ。
 いつもの癖で殴りつけそうになり、思い留まる。
「え?」
 カルミアは車を道の脇に停めた。その動きは慣れたものである。運転自体に問題はないらしい。不思議そうに訊いてきた。
「何ですか、シンイチさん? どうかしました?」
「今、思い切り歌ってたぞ。結奈の歌いそうな歌を」
 顔を引きつらせ、慎一は告げる。
「わたし、歌ってました?」
 きょとんと自分を指差すカルミア。
 自覚はなかったらしい。ごく自然にリズムを取り、ごく自然に歌っていた。しかも自分で歌っているという認識はない。
「なるほど、そういうことか……」
 慎一は頭を押さえた。認めたくはないが、認める。
「結奈は車に乗るといつも歌ってたんだろうな。五感と動きはカルミアでも、身体は結奈なんだ。どうしても身体の癖が出る」
 言いながら、爪を噛んだ。
「何となく歌いたくなりますね」
 カルミアは無邪気に言っている。問題はそこではなかった。どうやら、状況を理解していないらしい。大事ではないが、無視して平気なものでもない。
「車の運転中に歌うのはまだいいとして」
 慎一はポケットから取りだした中継板を眺めた。
「極端な話、カルミアの振りをした結奈なんだ。カルミアとして動いていても、無意識に結奈として動く。身体が記憶している性格や癖や反応は変えられない。あの人騒がせな行動を無意識に取る可能性が高いんだ……。遊びは中止にするべきか?」
「何言ってるんですか!」
 カルミアが慎一の腕を掴む。
「こんな機会滅多にないんですよ。もっと人間として色々して楽しんでみたいです。わたしも気をつけますから、大丈夫です。それにもしもの時は、シンイチさんがユイナさんを止める時みたいに殴っちゃってください」
 よく分からない決意に満ちた台詞。それがカルミアのものであるのか、結奈のものであるのかは分からない。どちらも時々このような態度を見せる。
「分かった」
 慎一は頷いた。

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