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第1章 蟲の襲撃 |
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「ネル、アン、ツァ、ドラ、フィア、フン、ゼク、ズィーブ、アハトン、ノウィ、ツェン」 慎一は口に出しながら、ノートに文字を書いてく。 妖精の言葉で、0から10。 アルファベットに似た文字であるが、細かい部分が違った。線が一本多い。点がある。逆に線が一本少ない。点がない。書きにくい。 魔法の言語はまた別にあり、こちらは理解不能だ。 「発音が少し違いますけど、そんなところです」 ノートを眺めながら、カルミアが頷いた。及第点といったところらしい。 杖を動かしながら、書かれた文字を眺めている。 「これ『e』になってます。点が足りません」 「あ。はいはい」 慎一は文字に点を書き足した。 「これでよしと。何か、ドイツ語に似てるな」 「そうですか?」 「ドイツ語取ってるわけじゃないけど」 第二外国語は取っていないので、ドイツ語は知らない。しかし、何度か本で読んだことがあった。あくまで、数字や基本的な単語がなんとなく分かる程度である。 「それにしても、妖精の言葉って難しいよなぁ」 「妖精の本を読むって言ったのは、シンイチさんじゃないですか。頑張ってください。わたしがついています!」 ぐっと拳を握ってカルミアが励ましてくる。 妖精の本を読んでみたいと口を滑らせたら、カルミアが妖精の言葉を教えると言ってきた。適当に言葉を濁していたのだが、カルミアがやる気になって教えると張り切りだし、断れずに講義を受けている。 「まあ、何だな」 背伸びをしてから、慎一はノートを閉じた。櫻井兄妹が来るまで書取をするつもりだったのだが、そうもいかないらしい。 カルミアをそっと掴み上げ、椅子から立ち上がる。 「何です?」 「カルミアって誰かから恨みを買った記憶ある?」 「?」 ほうけた顔を見せてから。 カルミアは不満そうに言い返してきた。 「何言ってるんですか。わたしは品行方正に生きてますよ」 「じゃあ、やっぱり僕が原因か。品行方正に生きてるつもりだったけど、あちこちでトラブル起こしてるからな。沼護家に恨まれる心当たりはないけど」 言って、机の上に飛び上がる。 「なに……言ってるんですか?」 わけが分からないといった面持ちのカルミア。 慎一は周囲を指差した。 教室に黒い砂が落ちている。ふるいを使って満遍なく砂を撒いたように、教室全体がうっすらと黒く染まっていた。床にも椅子や机の上、慎一の周りを覗いて全て。教室に入った時はなかったと断言出来る。 「何です……これ?」 カルミアが怯えたように身を縮めた。 「黒鬼蟲。蟲使い沼護一族が使役する式鬼蟲のひとつだ。砂粒くらいの、肢も目も口もない蟲が無数にいて、全体で一個の生命体として振舞う。霊力を食うと分裂して増えて、霊力を放出するとくっついて減る。蟲たちは使役者の霊力を餌として貰い、対価として命令に従う。NAR○TO油女○ノを想像してもらうと分かりやすい」 蟲が動き出す。音はない。無数の蟲が蠢くさまは、異様なものだ。見ていて気持ちのいいものではない。気の弱い人間なら、吐いているかもしれない。 カルミアが慎一の手にしがみつく。 あくまで冷静に、慎一は続けた。 「蟲によって効果は違うけど、黒鬼蟲の主な効果は侵食かな。物理的な攻撃力は皆無だけど、霊力や魔力、妖力、気、生命力そのものを猛烈な勢いで喰らう。喰われても痛みは感じないらしい。下手な妖怪だったら一分くらいで消えるとか」 「えええ!」 カルミアが驚きの声を上げる。 妖精の大きさならば、十秒もたたずに跡形もないだろう。ましてや、妖精は戦うことには向いていないのだ。襲われたら、ひとたまりもない。 慎一はしっかりとカルミアを掴んだ。 「突破する」 蟲が一斉に飛び上がる。黒い竜巻のように、襲い掛かってきた。 「発!」 掌を突き出し、慎一は剣気を放つ。目に見えない衝撃波が蟲を吹き飛ばした。蟲の壁に人一人通れるほどの穴が開く。 霊力と気を合成し、爆発力の高い剣気を生み出す合成術。日暈家の人間のみが使える血継術。火薬のような力と表現され、火力は通常の霊力を数段上回る。 慎一は机を蹴った。 文字通り瞬間移動するほどの速度で、教室の扉の前まで移動する。瞬身の術。霊力を使って行動速度を高める術だ。慎一は術に剣気を用いているため、霊力のみの場合よりも遙かに高速の動きができる。 振り返ると、蟲が煙のように集まって漂っていた。慎一が消えて戸惑っているようにも見える。逃げなければ、大変なことになっていた。 慎一は扉を開けて、廊下に出る。人がいないことを確認してから、手を開いた。 ふわりと浮き上がり、カルミアは胸を撫で下ろす。 「助かりました……」 「いや、まだ助かってないけど」 緊張感もなく言いながら、慎一は歩き出した。周囲に目を向け、 「どこかに、ちょうどいい長さの刃物落ちてないかな?」 「ありませんよ。ここ学校ですよ」 カルミアの言葉を聞きながら、階段を上っていく。 「それより、一体何なんです? ヌマモリ?」 「退魔師の一族だよ。蟲使いの沼護。体内に蟲を住まわせ、その蟲を使役する一族。日暈家みたいに戦闘に特化してるわけじゃないけど、強い」 慎一は手足を引っ張り、ストレッチをした。敵は屋上にいる。人数は一人だろう。見たわけではないが、なんとなく分かった。 「勝てるんですか?」 カルミアが不安げに手を握る。 「相手にもよる。宗家の人間だったら勝てない。分家の人間なら勝てると思う」 答えてから、慎一は眉根を寄せた。状況が理解出来ない。 自問するように独りごちる。 「でも、何で僕が沼護の人間に狙われるんだ? いくらなんでも心当たりがないぞ。日暈家と沼護家の間でトラブルがあったなんて聞かないし、退魔師一族同士は暗黙の不干渉条約みたいなものがあるのに……」 四階から屋上につづく階段。踊り場の隅に、木刀が立てかけられていた。 赤樫の木刀。九十センチほどの長さ。ごくありふれたものである。偶然そこに落ちていたわけではないだろう。あらかじめ用意したものだ。 慎一は木刀を掴んで、何度か振ってみた。仕掛けはないようである。 木刀を見ながら、カルミアが呟いた。 「わたしは、何をすればいいですか?」 「これといって手伝ってもらうことはないよ。カルミアは戦い方なんて知らないだろ? 危ないから、下がっていてくれ」 言いながら階段を登り、屋上へ続く扉を押し開ける。普段は鍵がかかっているのだが、問題なく開いた。鍵を外しておいたのだろう。 「遅かったわね」 |