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第4章 緊急退避!


 ヴィーが左手に持った鯛焼きの箱。
「ごちそうさま。甘くて美味しかったわ」
 鯛焼きが十個入っていた紙箱だが、中身はきれいに無くなっていた。最後の尻尾を呑み込んでから、ヴィーは満足げに頷いている。
「さらに濃いグリーンティーとかあったらパーフェクトね」
 空は高く、青い。白い羊雲が風に吹かれてゆっくりと流れていた。人通りの多い歩行者道路。煉瓦敷きの道の左右には、色々な店が並んでいる。銀歌を含めて五人は、行く当てもなく足を進めていた。
 ヴィーの足元には変わらずに猫が二匹。
 美咲が腕組みをしている。
「私でも鯛焼きを一度に食べるのは五個が限度だというのに」
「ヴィーちゃん、そんなに食べて大丈夫? お腹壊したりしない?」
 ヴィーの平らなお腹を眺めながら、莉央が心配している。
 有言実行と言うべきか、ヴィーは宣言した通り鯛焼き十個を完食していた。途中で食べる速度が遅くなることもなく、全部食べている。
 ぱたぱたと紙箱を折り畳み、グレイブルーの瞳を空に向けた。
「平気よ。ま、アレね。私ザル……というか底なしだし」
「違うんじゃないか、それは?」
 額を押え、銀歌は呻いた。
 ヴィーの折り畳んだ箱をどこへとなく片付け、アートゥラが楽しそうに笑う。
「こう見えてもヴィー様は大食いですからね」
「せめて健啖家と言って?」
 口を曲げて、ヴィーが反論している。大食いと言われるのは気が進まないらしい。表現が直接的なためだろうか。健啖家もあまり変わらないと、銀歌は考えるが。
 右手の指を折りながら、アートゥラは気にせず続けた。
「バケツプリンとか、タライ羊羹とか、果糖とバケツ水とか、ボウルかき氷とか、トレイで生チョコとか、すり鉢うどんとか、牛丼超特盛りギョクとか。とにかく何でも好き嫌いなく沢山食べますから、作り甲斐ありますよー」
「三番目はないと思うわ」
 はしゃぐアートゥラに、ヴィーは右手を持ち上げ釘を刺す。
「それ、どれも一人で食べるものじゃないと思うよ……。ヴィーちゃんはまだ小さいんだから、暴飲暴食とかはしちゃ駄目だよ」
 ヴィーの肩に手を置き、消極的に莉央が諫めていた。
 人間がヴィーと同じような食事をすれば、身体に悪い。しかし人間でなければ、それが適正量という事もありうる。銀歌の身近にもそういうイレギュラーが一人いる。
「心配してくれてありがと。健康には人一倍注意してるから、大丈夫よ」
 安心させるように、ヴィーが莉央に声を掛ける。
 ふと、漂ってくるラーメンの匂い。ヴィーはラーメン屋の看板を眺めながら、
「いつか満漢全席とか食べてみたいわね……」
「うー」
 莉央が肩を落としている。
「外国人って日本人とは胃の構造が違うんだな」
 目蓋を下ろし、美咲が首を傾げていた。
 銀歌はさりげなくヴィーの隣に移動する。足元を歩いていた猫が、銀歌の反対側に移動していた。猫の割に気が利くようである。
 他の三人に――正確には美咲と莉央に気付かれないよう、小声で問いかけた。
「具体的にどうなってるんだ、お前の身体の中は? アンデッドって本来なら食事はしないらしいけど。胃袋無いし、あっても機能はしてないだろうし」
 死んでいるけど生きている者たち。仕組みは色々あるが、いわゆるアンデッドと呼ばれるものは、食事を必要としない。
 ヴィーは自分のお腹を撫でながら、
「私に胃袋というか内蔵自体皆無ね。食べたものは、体内の瘴気で全部分解されて、身体の一部になってしまうわ。だから、どんなものでもいくらでも食べられるの」
「食べる意味あるのか……?」
 肩を落とす銀歌に、ヴィーは額の上辺りを眺めてから、
「魔力で作り出した擬似感覚で味覚を楽しんでいるのよ」
「………。大変なんだな、お前も」
 ヴィーから目を離し、銀歌は小声で呻いた。極めて特殊な生きた死者。術の知識を持っている身であるため、ヴィーが相当な苦労をしてきたことが理解できてしまう。
「そうでもないわよ。意外と便利よ、コレ」
 ふっ。
 と小さく息を吐き出してみせる。
 その吐息に、銀歌は眉を寄せた。鼻の奥へと抜ける、微かな刺激がある。瘴気。そう呼ばれるものは世の中に多々あるが、独特の危険なものが感じられた。
「便利って――」
 頷きかけたところで、鼻の奥が引きつる。
「へくしゅ!」
 銀歌はくしゃみをした。全身を跳ねさせ、肺の空気を吐き出す。ヴィーの吐き出した微量の瘴気が、胡椒のように鼻腔を刺激していた。
「はくしゅン! ――くしゃん!」
 何度かくしゃみを繰り返してから。
 銀歌は鼻を撫でた。目元に少し涙が滲んでいる。鼻から喉に抜けるような痛み。連続でくしゃみをするのは、あまり気持ちのいいものではない。
 ふと足を止めた。
「………」
 身体に突き刺さる視線に目を移す。美咲と莉央が両目を見開いて立ち止まっていた。信じられないものでも見つけたかのような表情で。
「あら」
 逆方向に目を移すと、ヴィーがきょとんと瞬きをしている。
 アートゥラが両手の指を組み、紫色の目を輝かせていた。
「何だ?」
 訳が分からず、銀歌は他の四人を見つめる。辺りに漂う何とも言えない間。銀歌だけが一歩踏み外してしまったような違和感が漂っていた。
 空は青く雲は白く、道路では変わらず人が行き交っている。
 静寂を破ったのは、莉央だった。
「どうしたの、ふうちゃん。そのコスプレ」
 人差し指を銀歌に向け、気の抜けた声を出す。
「コス……プ?」
 両手を頭に触れさせると、三角形の狐耳があった。後ろを振り向くと、腰の後ろから尻尾が出ている。術で焦げ茶に誤魔化した髪の毛も、赤味を帯びた黄色に戻っていた。本来の妖狐に近い姿へと。
 変化の術が解けている。
「何でだよ!」
 理由は考える間でもなかった。両手で掴み掛かるが、ヴィーはふらりと後退して銀歌の手を躱した。両腕を広げながら小首を傾げる。
「私の瘴気に触れたせいかしら。そういう事もあるかもないかも?」
「無責任すぎるぞ、それ!」
 地面に足を叩き付け、泣きたい気分で叫ぶ。
 ヴィーの瘴気に触れたせいなのはは間違いない。問題は場所だった。人通りの多い街中。しかも友達の目の前で、変化の術が解かれた。美咲たちには、いきなり銀歌が変身したように見えただろう。まさにコスプレである。
 ヴィーの後ろに避難する猫二匹。
「そんな事言われても、私に責任なんてあるわけ無いじゃない。不幸な事故……いえ、こっちにはある意味幸福な事故かしら?」
 どこか楽しそうに言いながら、銀歌の背後に指を向ける。
「風歌ぁ――?」
 掛けられた声に、銀歌は振り向いた。
 美咲がじっと見ている。その瞳には殺気のような黒い炎が燃え盛っていた。口元を笑みの形にしながら、わきわきと両手の指を蠢かせている。
「そんな恰好している理由はどうでもいいが、とりあえず思い切りモフらせてもらうぞ。狐耳と尻尾の質感が素晴らしい。実に素晴らしい」
「うふふふ――ふうちゃん、鼻血が出るほど可愛いよ。このままお家にお持ち帰りして、気が済むまで愛でていたいなー」
 両手を組み、目に星を輝かせている莉央。その身体から放たれる黒とピンクのオーラが見えたような気がした。思わず尻尾を縮込ませるほどに。
 無言のまま、銀歌は半歩足を引く。
 どちらも目付きが危ない。今にも襲いかかってきそうな殺気を纏っていた。殺気と呼べるかは自身が無いものの、他の表現のしようがない。以前この姿を見せた時はすぐさま飛び掛かってきている。
 呼吸を合わせるように、数を数えながら。
「っァッ!」
 思考よりも早く、銀歌は横に跳んでいた。
 たった数瞬前にいた場所を、六本の腕が抱きしめる。アートゥラだった。気配を消して、死角から抱き付こうとしたようだった。
「あらー。もうちょっとでハグできましたのに。風歌さん、素早いですねー」
 残念そうに自分の手を見ながら、アートゥラ。
 右手を持ち上げ、背後の美咲と莉央を牽制しつつ、銀歌はアートゥラを睨む。
「何でお前までそっち側にいるんだよ」
「それは愚問というものです」
 眼鏡を動かし、背筋を伸ばすアートゥラ。
 ザッ。
 美咲、莉央、アートゥラの三人が同時に動いた。両足を肩幅に広げ、胸を張り、腕を組む。口元に不敵な微笑を浮かべ、目を輝かせた。一陣の風が吹き抜ける。
『かわいいは正義!』
 同時に言い切った。
 意味が分からず、銀歌はヴィーを見る。助けを求めるように。
 しかし、ヴィーは他人事のようにペットボトルのお茶を飲んでいた。
「頑張れ」
「味方は無しか――」
 三方向からにじり寄ってくる捕食者。
 意識を削るような威圧に、銀歌は歯を噛み締めた。どうすればこの状況を脱することができるのか。生身の人間がいる以上、術を用いての強行突破は避けたい。
 しかし、このままではかなり悲惨な結果が待っているだろう。
 銀歌は勢いよくヴィーを指差した。
「あ! 猫三号!」
「え?」
 三人が同時にヴィーの足元を見る。
 そこに居たのは白黒猫と三毛猫の二匹だった。三毛猫が後足で首元を掻いている。新たな猫は現れていない。
 銀歌は煉瓦敷きを蹴り、その場から逃げ出した。


「人気者は辛いわね」
 逃げて行った銀歌の背を眺め、嬉しそうに呟く。
 ヴィーは足音もなく歩き出した。

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11/6/18