Index Top 不思議な屋敷のお呼出

第5章 クラスチェンジ


 きらりと目を輝かせるヴィーに。
 アタシはテーブルに頬杖を突いてみせた。例の少年を指差しながら、
「何かの用事でこっちに来る予定だった祓魔師が、先走った念を送ってドッペルゲンガーを作り上げてしまった。記憶が無くて日本語だけ喋れるドッペルゲンガーを」
「そんなところね」
 満足そうに、ヴィーが頷いた。
 どうやら合格らしい。ヴィーの推測も似たようなものだろう。
 もっとも、事故のようなものではなく、意図的に誰かがこの少年のドッペルゲンガーを送ったとも考えられなくもないが――その可能性は薄いだろう。やる意味がない。
 しかし、気になる事がひとつ。
「それが何でここにいるんだ……?」
 アタシは少年を軽く睨み付けた。
 日本に用事のあるイタリア系祓魔師が、先走りのドッペルゲンガーを送ってしまう。それはまあ納得できる。滅多にあることじゃないだろうけど。しかし、その送られた先がヴィータの屋敷。それが分からない。
 ヴィーは緩く頷いてから、少年を見た。
「彼の本体は、私たちの監視が目的かもね。本体というか、本体の上司とか師匠とかそういう立場のひとかしら。こう見えて、私たちも色々大変な身分なのよ」
 両腕を広げてため息。
 ノーライフキングとか言ってたな、このアンデット娘。詳しくは知らないけど、イレギュラーな方法によって不死者の王になった少女。脳天気に暮らしているけど、蓋を開けてみればそう気楽なものでもないってことか。やれやれ。
 アートゥラが右手の一本で少年の頭を撫でている。
「この子、どうしましょう? 放っておくわけにもいきませんし」
 少年は不安そうにアートゥラを見上げていた。
 ヴィーがぴっと人差し指を立てる。
「箱詰めにして日本カトリック中央協議会辺りに送りつけちゃうのが、一番楽なんでしょうけど。この子の管轄は、その辺りだと思うし。ドッペルゲンガーだからって悪いようにはされないはずよ」
 それを聞いて、少年の顔に安堵の色が見えた。この不思議な屋敷を離れられ、適切な対処を行ってくれる場所に送られる。それは少年にとって願ってもないことだろう。このタイプのドッペルゲンガーなら、本体に組み込み治されるってところかな?
「で、も――」
 少年の希望を、容赦なく打ち砕くヴィー。
 そっと少年の肩に腕を乗せる。
「帰る前に盗んだものの代金を払って貰えないかしら?」
 グレイブルーの眼差しが、少年を射貫いていた。視線そのもので相手を縛り付けるような威圧感。魔術や気迫などではない。"正論"という、問答無用の圧力だった。
「それって……」
 言わんとする事を察し、少年が狼狽える。
 ヴィーはぱんとテーブルを叩いた。決して大きな音ではないが、静まり帰ったダイニングには深く響き渡る。少年から離れ、緩く腕を組みながら、
「しばらくうちでただ働きしなさい。家のものを盗んだことは一時不問にすると言ったけど、事情話したら無罪放免にするとは言っていないわ。ただ食いしたら皿洗いするのは、世の道理ってものよ」
 と、少年に視線を向ける。
 どうやら、ヴィーはこの少年に雑用をやらせる気らしい。それは妥当な判断だ。金銭を持っていないドッペルゲンガーができる事と言えば、雑用くらいのものだろう。
 しかし、さすがに無視もできず、アタシは口を挟んだ。
「でも、いいのか。そいつはお前らを監視するのが目的かもしれないって」
 しかし、ヴィーは臆することなく微笑んだ。
「監視といっても、私が何もしない限り向こうも何もしないわ。昔からそうだったし、今後も変わらないでしょ。何かあったら、その時はその時よ」
「ヴィー様は危険人物ですけど、危険思想はありませんし、犯罪にも手を染めていませんからねー。あ、各国への密入国はやってますけど。その手の法律は生きている人間相手のものなので、特に問題は無いと思いますー。多分」
 少年の頭に右手の一本を置いたまま、アートゥラが左手人差し指を持ち上げる。小さな自慢話なのか、楽しそうに笑っていた。
 形式上の監視、ね。
 アタシはそう理解した。ヴィーは凄まじい力を持っているが、それで何をするわけでもなく。周囲の祓魔師や退魔師は、観察するだけで余計な手は出さない。奇妙なバランスの上に成り立った、条文のない不干渉協定だった。
 均衡が崩れたら崩れたらで、ヴィーが大暴れするだろう。
 おずおずと少年が手を挙げる。
「あの……。ぼくはつまり、どうなるんでしょうか?」
「これからしばらく我が家の雑用係よ。一応衣食住は保証するわ」
 と、ヴィー。
 アートゥラが三本の腕の指を組んで、紫色の瞳をキラキラと輝かせていた。
「前々から助手が欲しいと思ってたところです。何しろ広いお屋敷ですからー。わたし一人では手が回らなくて。これから一緒に頑張りましょうねー」
 と、少年の肩に腕を置く。
「はい……」
 多少引きつつも、少年は頷いた。
 アートゥラが組んでいた指を解いた。
「ではさっそくお仕事手伝ってくださいねー」
「え。いきなりですか?」
 目を丸くする少年。
 アートゥラは六本の腕で、アタシとヴィーを示した。
「リリルさんのお食事を用意しませんといけないですからねー。お屋敷にいる不審者を捜し出したら、何かお菓子を食べさせるという約束です。それに、ヴィー様も身体は小さいのに大食いですから」
「せめて健啖家と言いなさい」
 パンとテーブルを叩き、ヴィーが言い返している。
 健啖家。胃腸が丈夫で沢山食べる人。って大食いと大して変わらんだろ。そう思っても口には出さないアタシ。沈黙は金、口は災いの元、言わぬが華ってね。
「はぁ」
 気のない返事をする少年。
「というわけで、お料理です」
 アートゥラはマイペースにキッチンへと歩いていった。半分くらいしか状況を理解していないようだが、少年もアートゥラの後をついていく。
「まずは、これを」
「エプロンですか?」
「料理の基本ですよー?」
 アートゥラに渡されたエプロンを身に付ける少年。白地のシンプルなエプロン。胸の部分に、ひよこのマークが刺繍されている。なんか似合ってるし。
「さて、材料の用意ですねー」
 少年と一緒に冷蔵庫に向かうアトラ。



 椅子に座ったまま、アタシは少年を指差す。蜘蛛執事の助手として料理の準備をする姿は、これでもかというほど似合っていた。けど、今はそれはどうでもいい。
「処遇が決まったのはいいんだが、あいつの名前どうすんだ? いつまでも名無しってわけにもいかんだろ。自分の名前も覚えてないって言ってるし」
「そういえば、全然考えてなかったわね」
 ぽんと手を打つヴィー。
 少年。
 自分の名前も思い出せないらしい。身分証明になるものも持っていない。かといって、いつまでも"名無し"では不便だろう。誰かが適当な名前を考え無ければならない。
 アタシはイタリア風の名前をいくつか頭に浮かべて。
 不意に、ヴィーが口を開いた。
「あら、リリル。もう帰るの?」
「帰るって?」
 訳が分からず、ヴィーを見る。
 周囲の景色が霞んでいた。思わず目を擦るが、目の疲れではない。テーブルや椅子、キッチン、天井、窓の外の風景。それらが、溶けるように滲んでいる。
「あ――れ……?」
 身体から重さが消え、意識が後ろに引っ張られるような感覚。
 ヴィーはその場に頬杖を突いた。
「どうやらここまでのようね。あなたの分は私が責任持って食べておくわ。だから安心して帰っていいわよ。また機会があったら会いましょう」
「待て――!」
 慌てて右手を伸ばすが――



 リリルは天井に向かって右手を伸ばした。
 何も掴まぬまま、手を下ろし、上体を起こす。
 窓から差し込んでくる昼前の光。リリルは自分の部屋の自分のベッドに寝ていた。寝間着姿のまま、布団をかけている。ごく普通の目覚めだった。
「ったく、ただ働きかよ――」
 愚痴ってから、鼻をくすぐる甘い匂いに視線を移す。
 匂いの出所は、ベッドの横のテーブルだった。
「えー……」
 そこに、山盛りになったおはぎが置いてある。一抱えくらいある白い大皿に、見た目五十個以上のおはぎが山のように積まれていた。
「Reward for Lilir」
 そう記されたカードが添えられている。
「これは――」
 リリルはおはぎをひとつ手に取り、口に入れた。
 餅米の弾力と粘りと、粒あんの上品な味が口の中に広がってた。控えめながらもしっかりと存在感を持つ砂糖の甘さ。そして、もっちりとした歯応え。
 熱い緑茶の欲しくなる味。
「せっかくだし、浩介にも食わせてやるか……」
 リリルは苦笑してみせた。

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