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第5章 賑やかなお茶会


 屋敷に作られたオープンテラス。
 白いタイルの敷かれた床に、二人用のティーテーブル。さながらオシャレな喫茶店みたいな雰囲気だけど、アタシはどうもこういうのは苦手だ。そのテーブルに向かい合って座っているアタシと、ヴィー。
 ヴィーは下着姿から普段着に着替えていた。黄緑シャツと黄色いジャケット、デニムのハーフパンツという格好。普段着っぽいけど、何か違うような気もする。
 紅茶を一口飲みつつ、アタシは口を開いた。
「それにしてもお前ら何でここに住んでるんだ?」
 テーブルの上には紅茶とクッキーが置かれている。少し離れた所では、アートゥラが控えていた。妙に楽しそうにアタシらを眺めているのは……とりあえず気にしない。
 きれいに手入れのされた庭木と花壇が見える。
「そうね、観光かしら?」
 一口大のクッキーを口に放り込み、ヴィーはそう答えた。
「観光?」
 眉を寄せて訊き返し――アタシは意味を理解する。そういうことか。
 アタシは何でこんな屋敷に住んでるのかと訊いたんだけど、こいつは日本に住んでる理由を訊かれたと思ったらしい。ま、訂正するのも面倒だ。
 ヴィーは右手を持ち上げ、人差し指をくるりと回す。
「黄金の国ジパングって昔読んだ本書いてあったから、一度来てみたいと思ってたの。色々あって二百五十年くらい遅れてしまったけど」
 黄金の国ジパングっていうと、マルコ・ポーロの東方見聞録だったかな? 当時の中国で聞いた日本の話。とはいえ、二百五十年って遅れすぎだろ。何あったんだ?
「歴史の本呼んだら、金は明治時代くらいまでに掘り尽くされてしまったようですしー。今ある金山も人件費の関係でほとんど採掘されてないみたいですけどねー」
 アートゥラが続けて説明する。
 資源は大量にあるのに掘れない。資源大国なのに資源が無いという矛盾。どっかの本に書いてあったな。そういう難しい話はあんまり好きじゃないんだけど。
「でも、娯楽と食事には事欠かない国ね。二十年くらい住んでるけど、退屈しないわ」
 右手でティーカップを持ち上げ、紅茶を口に入れるヴィー。何気ない動作だってのに、妙な優雅さを感じる。育ちはいいんだな、こいつ。言動がいまいち伴ってないけど。
 アタシは左手を伸ばしてクッキーをみっつ掴み、口へと放り込んだ。
 ポリポリと適度な歯応えとほのかな甘み。はっきり言ってかなり美味い。蜘蛛執事が作ったらしいが、料理の腕はなかなかのものだ。紅茶を一口飲んで、口の中のクッキーを胃へと流し込む。
「やはりあなた……その神経は凄いわ」
 カップを持ったまま、ヴィーがアタシを見つめる。感情のいまいち分かりにくい、青みを帯びた灰色の瞳。褒めてるのか貶してるのか分からないけど、多分呆れてるんだろ。あんまり行儀よくない自覚はある。
「それにしても、リリル様って日本語お上手ですよねー。こちらに来てからそれほど時間は経ってないように見えますけどー? どちらでお勉強したんです?」
 アートゥラが興味深げに訊いてくる。
 アタシはそっちに顔を向けて、ぱたぱたと手を振りながら笑ってみせた。
「ああ、アタシは翻訳の魔法使ってるから、いちいち覚える必要は無いんだよ」
 ピクリ、とヴィーの眉毛が跳ねた。ティーカップを置いてから、
「翻訳の魔法……?」
 静かに、そう訊いてくる。
 初めて聞くんだろうな。翻訳の魔法ってはアタシら魔族の中でも存在知ってるヤツは多くないし、特殊なツテが無いと覚えられない珍しい魔法だ。
「名前の通り、違う言語を翻訳する高度な魔法だよ。言葉が通じない相手でも普通に会話できる。お前らの言葉もアタシには、故郷の言葉に聞こえるし、アタシの言葉もお前らには日本語に聞こえるだろ?」
 別に秘密にしろとは言われてないので、喋っても問題はない。
 二人がアタシの言葉が日本語に聞こえるのは、二人がアタシが日本語を喋ってると思ってるからだ。ついでに、日本で日本語分かる者相手だと、国籍に関係なくほぼ日本語翻訳されるという特性もある。色々便利な翻訳魔法。
「文字まで翻訳できる高性能な翻訳魔法もあるけど、アタシは使えないなぁ。アタシは言葉を翻訳するのがせいぜいだ。ある程度日本語も勉強してるけどな」
 そう笑いかけたアタシに。
「ふん!」
 ヴィーの投げたティースプーンが命中した。
 乾いた金属音を立てて、床に落ちるスプーン。
「何すんだ!」
 スプーンのぶつかった額を押さえながら、アタシは叫んだ。刃物でも錘でもないただのスプーン。当っても少し痛い程度だが、だからと言って笑って許す気にはなれない。
 だが、怒りのオーラを纏いながら、ヴィーがアタシを睨んでる。
「聞き捨てならないわ。なに、翻訳の魔法って――。何でそんな便利なチート魔法使ってるのよ、あなたは……。あちこちの国移動するたびに、その国の言葉勉強している、あたしたちのあの血の滲むよーな努力は何なのよッ!」
 テーブルを叩いて立ち上がり、アタシに人差し指を向ける。
「ンなこと知るかァ!」
 アタシも椅子から立ち上がって、ヴィーの額に指を突きつけ、思ったことをそのまま叫び返した。ただの八つ当たりだろーが、ソレは! お前が言葉勉強するのと、アタシの魔法は全く関係無いだろ……。
「ヴィー様に血はありませんけどねー♪」
 楽しそうに口を挟む蜘蛛執事。アタシは指を下ろして、半眼でそっちを見やった。空気読まないというか、お前は話の腰を折るのが好きなのか?
 アタシの視線を無視して……多分。蜘蛛執事はマイペースに続けた。
「わたしたちの生まれ故郷とは、大陸を隔てた反対側の言語ですからねー。日本語って。喋るだけならそんなに難しくないのですけど、書いたり読んだりするは大変ですから。覚えるのに苦労しましたよー」
 喋る分にはそれほど難しくないけど、使いこなすのは非常に難しい言語。表意文字と表音文字の混合文章、日本人でも使いこなすのが難しい敬語系。類似言語というのも多くはない。アルファベット圏生まれの二人が習得するのは苦労しただろう。
 そう考えると、翻訳の魔法の手軽さに怒るのも、理解できる。
「翻訳の魔術ってのもあったような気がするけど……」
 赤い前髪を撫でながら、アタシはふとそんな呟きを漏らした。
 ヴィーとアートゥラが顔を見合わせる。
「アートゥラ。今度探すわよ、翻訳魔術」
「分かりましたー」
 真剣な表情のヴィーと、気楽に答えるアートゥラ。翻訳魔術は存在すると聞いたことはあるけど、実物は見たことがない。でも、それは言わないでおく。
 アタシはクッキーを再び口に入れてから、
「そういや、お前……アンデットだけど、随分高性能なんだな」
「ノービリティかつリッチなノーライフ『ロリータ』キングよ」
 やたら自慢げにヴィーが断言する。何故かロリータという部分に気合い入れて。
 高貴で金持ちな不死者の王、ね……。どこからツッコミ入れていいか分からないから、とりあえず聞き流そう。うん、時には諦めも肝心だ。
 アタシは紅茶を一気に飲み干し、カップをソーサーに置いた。
「自分で望んでなったわけじゃなさそうだけど、何あったんだ? いや、答えたくないってんなら、別に答えなくてもいいけど」
 尻尾を動かしながら、猫耳帽子越しに頭を掻く。あんまりこういう事は訊くもんじゃないな。さすがのアタシでも失礼ってのは分かる。
 しかし。
「時は中世ヨーロッパ――」
 アートゥラがおもむろに口を開いた。今までの間延びした口調とは違う、朗々と何かを読み上げるような口調で。場の空気ががらりと変わるのが分かった。
「?」
 瞬きをするアタシ。文句を言うつもりじゃなさそうだが、何する気だ?
 戸惑うアタシに構わず、アートゥラは言葉を続ける。
「そのとある街のとあるお屋敷に、一人の可憐な少女が住んでおりました。その名はヴァルカリッチ=ヴェイアス=ヴィー=ヴォルガランス――」
 ベベン!
 と、バチで弦を弾く独特の音。アートゥラが両手で三味線を抱えている。お前、三味線弾けたんだ。――じゃなくて、それどこから取り出した?
 さらにどこからともなく現れた黒子が、素早く書割を組み立てる。中世ヨーロッパ風の街並みを、日本画風に描いたもの。よく見ると、三味線を持っていないアートゥラの四本の手から、極細の糸が伸びて黒子を動かしている。傀儡系の魔術か?
 てか、何コレ……?
 アタシが思考停止している間に、ヴィーが椅子から立ち上がり、後ろへと跳躍する。空中で一回転しつつ、着ている服を脱ぎ捨て――古風な水色のドレス姿へと姿を変えた。一瞬の早着替えっぽいけど……それ、どうやった? 本当に、どうやった?
 書割の前に着地するヴィー。芝居のように大袈裟な身振りで、右手を空へと伸ばす。
「ああ、今日も素敵な朝ね。青い空と白い雲がわたしを祝福しているわ」
 瞳をきらきらさせながら、やはり芝居のような声音で、台詞を口にしてみせた。
 多分、これはアタシの質問に対する答えなんだろうけど……。何で和洋折衷な演劇見せられなきゃならないんんだろう? 物凄く不思議、不可解。
「しかし、平穏な日常を過ごす彼女に、その事件は突如訪れたのです!」
 ベベベン!
 軽快に三味線を鳴らすアートゥラ。
 ならば、アタシのやることは、ただひとつ。
「Ground Explosion!」
 許容量一杯まで引き出した魔力が、正面へと扇状にタイルを走り抜ける。効果は一瞬で完結した。エネルギーに変換された魔力が、床を爆裂させる。タイルが砕け飛び、真下から吹き上がる爆風に書割が砕け散り、黒子が中身の人形ごと壊れ、ヴィーとアートゥラを高々と吹っ飛ばし、さらにティーテーブルや椅子まで粉砕する。
 万全の状態なら屋敷半分を消し飛ばせただろうが、この姿じゃコレが限度だろう。
 タイルの破片や砕けた木片が、ぱらぱらと辺りに降り注ぐ。ぽてりと砕けた地面に落ちるヴィーと、三味線を抱えたままきれいに着地するアートゥラ。そんなに余裕あるなら、お前の主も助けてやれよ……。
 唯一無事な椅子に座ったまま、アタシは冷めた口調で告げた。
「ツッコミ所はひとつにしろ」
「うむむ……。さすがに魔法で全部破壊してくるのは想定外だったわね。でも、今のはさすがにあたしたちも悪ノリが過ぎた気もするわ」
 その場に起き上がりながら、ヴィーがドレスの埃を叩いている。
 反省しているようなので、ヨシ。ここで苦情言われたら、即座に魔法で飛んで逃げるつもりだったけどな。とはいえ、どうするか、これ?
 タイルを剥ぎ取られて壊れたオープンテラス。魔法で修復するなら、三十分ほどだろうか。それくらいならやっていくつもりだったが。
 ベン、と三味線の弦を弾き、アートゥラが笑顔で言ってくる。
「片付けはこちらでしておきますー。リリル様のお手を煩わせることはありませんのでご安心下さい。とはいえ――これではお茶会できませんねー」
「じゃ、アタシはこれで帰るわ。元々そんなに長居する気もなかったし」
 ぱたぱたと手を動かしつつ、アタシはため息とともに椅子から立ち上がった。なんかもー色々と疲れたな。この二人のノリには付いていけない。
「そう、帰るのね。アートゥラ、お土産を」
「はいー」
 ヴィーの言葉に、アートゥラが近づいてくる。
 どこからともなく取り出したのは、きれいにラッピングされた白い紙袋だった。ほんのりと漂う甘い香り。どうやら、さっきのクッキーらしい。
「ありがと」
 手短に礼を言って、アタシは土産を受け取った。意外と重い。結構な量が入っているようだった。このクッキーはかなり美味いから、量が多いに越したことはない。
 三味線をどこへとなく片付け、アートゥラが一礼する。
「それではお気を付けてお帰り下さいー」
「気が向いたらまた来なさい。歓迎するわ」
 緩く腕組みをしながら、ヴィーが偉そうに見つめてきた。あんまり歓迎するようには見えないけど、一応また来いとは言っているらしい。
「気が向いたらな」
 それだけ言って、アタシは二人に背を向けた。
 久しぶりに意味不明な連中に会ったような気がする。ま、魔族とかそういう精霊類にはこいつら以上に変な連中もいるけど。
 とにかく、今日は帰ったらさっさと寝るか。
 そう心に決め、アタシは正門の方へと向かって歩き出し――


 アタシは跳ね起きた。
 ぱさりとタオルケットが床に落ちる。
「えっと……」
 混乱する思考を落ち着けつつ、辺りを眺めた。本棚やテレビの置かれた見慣れた部屋。コースケの家のリビングだった。ぼんやりと思い出す。予定が空いていて、やることも無かった平日の午後。ソファに寝転がったまま、昼寝をしていた。
「変な夢見たな……」
 左手で頭を掻きつつ、呻く。
 アンデット娘のヴィーと、蜘蛛執事のアートゥラ。何だか分からないが、そういう意味不明な夢を見ることもあるだろう。
 大きな欠伸をしながら、アタシはふと右手を持ち上げた。
 その手に握られた白い紙袋。水色のリボンできれいにラッピングされている。ほんのりと漂うクッキーの匂いと、確かに感じる中身の重さがあった。それは、夢の中でアートゥラに渡された土産のクッキーである。
 中を覗いてみると、夢の中で食べたクッキーが大量に入っていた。
 そのひとつを指で摘んで目の前まで持ち上げる。
「夢じゃないオチ……?」
 アタシはそう呟き、クッキーを口に放り込んだ。

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