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第2章 蜘蛛の執事 |
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「お前が次の糸を出すより、アタシがお前の顔面を焼く方が早いぞ? こいつの火炎食らえば、火傷程度じゃ済まないけどな。試してみるか?」 翼の浮遊魔法で空中に留まったまま、アタシ告げる。 女は音もなく息を飲み込み、自分の顔に突きつけられた魔剣を見つめていた。赤熱した剣身からは高熱が放たれている。既に魔力の充填は完了。命令ひとつで爆炎を撃ち出す状態だ。この女にそれを防ぐ力はないだろう。 「あらら、これは困りましたねー。わたしの負けですかー……。ところで、あなたはどちら様ですか〜? 始めてお目に掛かる方ですけど」 眉間――と呼ぶべきか? 人間で言う眉間に小さくシワを寄せながら、気の抜けた口調で訊いてくる。自分の敗北が目の前にあるってのに、危機感がない……。 ま、一応自分が負けたことは理解したらしい。 そう判断しアタシは魔剣を引き、魔法によって影の中へとしまった。左手に出していた魔力の剣も消してから、後ろに飛びつつ地面に降りる。翼を消してから、女を見つめる。いきなり飛びかかってくるってことはないだろ。 アタシは右手に持っていた手提げ袋を見せながら、 「ここに住んでるヤツに荷物届けにきただけだよ。いきなり捕まえようとするか?」 裏側がずたずたに切れたサンダル。魔法強化によって鋼鉄並の強度となったはずだが、半ばまで斬り込まれている。力が分散したため半分で済んだが、糸が一本だったら足まで達していただろう。 「あら〜、それは失礼しました〜♪」 女は一礼して謝罪してくる。おっとりとした口調で、 「今月は警備強化月間ですからー。正面玄関以外から入ってきた者は、とりあえず不審者として捕獲するようにしていましたので。まさか裏の林の方からお客人が来るとは思ってもいませんでしたよ〜。すみませんでしたー」 さすがに、林の方から入ってくるとは思わないだろう。正面以外から入ってくるのは、大抵不審者である。一方的にこの女を責めることもできない。普通ならば。 「なんか――カワイイ子発見、とか言ってた気がするんだが……」 ジト目でアタシは指摘した。本人は小声で言ったつもりなんだろうが、アタシは聞き逃していない。五感にはかなり自信あるからな。 女は人差し指を頬に当てて、明後日の方向を見つめる。 「気のせいですよー」 言い切ったか、このアマ……。 ギシリと奥歯を噛みしめた。だが、アタシは力を抜いてため息をつく。追求してもいいけど、結果は得られないだろう。いや、追求する気力がないってのが本音だ。 「まあ、いいや。お前、何者だ?」 左手で赤い前髪を掻き上げてから、改めて女を見上げた。間近でみると、背の高さがイヤというほど分かる。身長百四十台半ばのアタシよりもよりも六、七十センチは背が高いだろう。ついでに、胸も大きい。Iカップくらいあるかもな。 女はすっと背筋を伸ばしてから、友達にでも話しかけるよに口を動かした。 「わたしはこのお屋敷で執事をしております、ラートロデクトゥス・ルビル・アートゥラと言います〜。アートゥラって呼んで下さいね〜♪」 そう名乗ってから一礼する。 他人のことは言えた義理でもないが、長ったらしい名前だな。 「……アタシはシェシェノ・ナナイ・リリル。見ての通りの魔族だよ」 左手を動かしながら、アタシは適当に自己紹介をした。安易に自分の名前を出すのは賢いとはいえないが、今はそれほど警戒するような状況でもないだろう。 改めて持っていた手提げを見せながら、 「こいつをここの家の主だかに渡したいんだが、いいか?」 「それは構いませんが、その手提げの中身は何でしょうか? 危ないものですと、さすがに困りますね〜。燃えたり爆発したり、腐ってたりしたら大変ですし」 アートゥラは右手の一本で手提げを指差す。 アタシも釣られるように手提げを見つめた。白い布製の手提げ袋。中には包装紙にくるまれた箱が入っている。ただ、その中身までは知らない。興味もないけど。確かに危険物を疑うのは自然な反応だろう。 「さあ? アタシは知らないよ。こいつをここの主に届けろとしか言われていないし。さすがに危険物とかじゃないと思うけど。それより、お前の方がよっぽど危険だと思うけどな、可愛いからとかいう理由で人捕まえようとしたり」 手提げを揺らしながら、アタシはそう言い切った。無論皮肉である。 「面白いことを言いますねぇ、リリル様はー。えぇ! 可愛いものは大好きです〜、リリル様は可愛いのでー、もう『華即ハグ』ですよ〜♪」 しかし、アートゥラは気楽に笑うだけで反省している気配は欠片もなかった。開き直りやがったよ……。あ、もしかして、この女――いわゆる天然ってタイプ? しかも華即ハグって何で外来なのにそんなネタ知ってるんだよ。 ネタが分かるアタシも外来なんだけどさ……。 目元に浮かびかけた涙を、強引に飲み込む。 「どうでもいいけど、ここって他に人いないのか?」 話題を変えるように、アタシは屋敷を見回した。ここには人の気配がない。誰かが住んでいれば、人の気配がする。だが、この屋敷からはそのような生活の匂いがほとんど感じられない。無人の館と言っても過言ではないっだろう。 「ここに住んでいるのはわたしと主のヴィー様だけですからー」 「ヴィー?」 それが、主の名前らしい。 「わたしの主人にして、この館の主――ヴァルカリッチ=ヴェイアス=ヴィー=ヴォルガランス様です。気さくなお方ですよー」 「ふーん」 生返事を返すアタシ。アートゥラよりも長ったらしい名前ってのは大変そうだな。ま、名前の長い連中なんて探せば山ほどいるし、正直そこら辺に興味はない。 「そいつに会いたいんだが、いいか?」 「分かりましたー。と、その前に――」 ゆったりと頷いてから、アートゥラは下二対の腕を組んで、上の右手を顎に当てた。思索するように視線を虚空に彷徨わせる。腕が六本もあると手が絡まりそうだが、案外平気なのだろう。そう便利とも思えないけど。 しばらくして考えがまとまったのか、アートゥラは一度頷いてから視線をアタシに向ける。口元に淡い微笑を浮かべながら、 「リリル様」 「何だ?」 嫌な予感を覚えながら、アタシは訊き返す。実のところ何を言うかは予想が付いてるんだけどな。すぐに後ろに跳べるように重心移動。 「親愛の印にちょっとハグなど如何ですか〜? ついでに思い切り頬ずりマサチューセッチュなどしてから、できることなら二人でお昼寝などご一緒に。さらに一緒にお風呂で洗いっことかできたら幸せですねー♪」 至って真顔で、アートゥラはそんなことを言ってきた。瞳をきらきらと輝かせ、アタシを見つめている。自分が世間一般で言うカワイイという容姿である自覚はある……。だが、こういう目付きで見られるのははっきり言って気に入らない! アタシは冷たく告げた。 「却下。会ったばかりの奴に何でそんな事せにゃならんのだ……」 「では、頭撫でるだけでもー」 両手――というか、六本の手を伸ばしながら、やはり真剣な表情で言ってくる。右手の一本を頭を撫でるように動かしながら。この蜘蛛女はァ……。 「断る。あんまり変なこと言うと、今度は本気で燃やすからな」 突き出した左手に再び緋色の魔剣を召喚し、アタシはアートゥラを睨み付けた。額に浮かぶ怒りのマーク。こいつは結構強いが、本気でやり合えばまず勝てるだろう。 威嚇が通じたのか、アートゥラは腕を引っ込めた。 「うー、残念です。本当に残念です……。カワイイ幼女が目の前にいるのに、抱きしめることはおろか、撫でることも触れることすらできないなんて〜」 「待て……幼女って何だ。アタシは幼女じゃねぇ!」 さすがに聞き逃すわけにも行かず、アタシは声を荒げた。銀色の眉が内側へと傾く。確かに子供の身体って自覚はあるけど、幼女と言われるほど小さくはない。それとも、性格が子供っぽいって意味か? 「えー? こんなに小さいのにー?」 そう言いながら、さりげなく頭を撫でようと手を伸ばしてくる。 アタシは素早く後退して、手の届く範囲外に離脱した。ついでに、牽制するように魔剣を突き出す。近づいたら燃やすという意思表示。たく、油断も隙も無い……。 アートゥラが残念そうに自分の手を動かしている。 「アタシが小さいんじゃなくて、お前がでかすぎるんだよ。アタシは子供の身体だけど、サイズは普通だ。幼女とか言われるほど小さくはない」 「そうですかー」 アタシの台詞に、肩を落とし人差し指を咥えるアートゥラ。うるうると瞳を滲ませながら、未練がましくアタシを見ている。表情からするに本気で残念がっているようだった。同情で撫でさせたりする気は微塵も無いけどな。 「はいはい、分かったから」 ぞんざいな返事とともに、アタシは左手を振って魔剣を消す。いちいち真面目に相手するだけ体力と気力の無駄だ。疲れるし。要点だけちゃっちゃと伝えさせてもらおう。 「じゃ、さっそくそのヴィーってヤツに会わせてくれ」 「承知しましたー」 今までの態度はどこへやら、アートゥラは背筋を伸ばし静かに頷いた。 変わり身速い……。 「それでは、ヴィー様の所まで案内致しますので、付いてきて下さい」 近くに置いてあったふたつの洗濯カゴを拾い上げ、アートゥラはマイペースに歩き出す。背が高い分、足も長く歩幅も大きい。 何なんだよ、こいつは……? 小走りに足を進めながら、アタシは呆れたように呻いた。心の中で。 |