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第34話 大雪警報 |
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近所のスーパーからアパートまでの道を歩いていく。 周囲にはまばらな人影。 俺は左手にビニール袋を提げたまま、空を見上げた。灰色の空から、白く小さな雪の結晶が静かに落ちてきている。雪の降り始めだった。傘差すほどじゃないけど、これからかなり強くなるらしい。 「さみぃ……。本当にさみぃ」 コートとマフラー、手袋、使い捨てカイロ十枚の防寒装備である。だってのに、あちこちが冷たい。雪が降るのは分かってたけど、これは想定以上の寒さだ……。 「ホント、寒いねー♪」 嬉しそうに隣を歩く皐月。白いジャケットと紺色のジーンズ姿である。首には赤いマフラーを巻いていた。アンドロイドは寒暖をほぼ無視できるけど、季節に会った服を着るのが外出時のマナーとされる。 「現在の空気温度は2.5℃。さすが雪の日だね。今年度の最低気温更新中だって。気象庁の予報によると、これから明日の夜にかけて、右肩下がりに寒くなるみたい」 と、空を指差す。何故か妙に楽しそうに。 天気予報によると、この寒さ雪とは明後日まで続く。それまで街の機能はほぼ止まるので、俺と皐月で食料の買い溜めだった。皐月も左手に買い物袋を提げている。 海上都市タイガ。嵐には強いが、雪には弱い……。 「この寒さで序の口ってのかよ……」 これ以上気温下がると、凍死しそう。でも、皐月は全然寒そうにしていない。当たり前だ。機械だから基本的に外の温度は関係ないらしい。寒い、暑いなどは感じるようだけど、それが人間のように"苦痛"に感じることはない。 とにかく、これからもっと寒くなる。雪も降る。 「ちくしょう……。てか、雪はもう降ってるよな」 口から白い息を吐き出し、俺はちらちらと舞う雪を眺めた。天気予報では、今日の夜から明日の昼にかけて大雪になるらしい。普通の若者なら雪が降ればテンション上がるだろうけど、あいにくこう寒くては上がるものも上がらん。俺は、寒いの苦手だし……。 「降ってるね。まだ勢いは弱いけど」 皐月が右手を持ち上げた。その手の平に雪が落ちる。 その雪が音もなく溶けた。 何を思ったのか、皐月は両腕を左右に大きく広げて、 「こなあああ――!」 ベシッ。 俺が取り出した携帯式ハリセンが皐月の頭をぶっ叩いた。伸縮性に富み、打撃と同時に一時的に硬化する布で作られた、対皐月用ハリセン。ハカセ制作のオモチャだ。 叩かれた頭をさすりながら、恨みがましく見てくる。 「痛いじゃない。何すんのォ!」 「いきなり歌うな……。てか、無意味に人の注目集めるな。周りに人がいると、目立つ行動するのは習性なのか? そういうプログラムなのか……?」 ジト眼で尋ねる俺。 今日は寒いからあんまり人いないけど、周りからは奇異の視線が飛んでくる。でも、こいつは衆人観衆の中で注目を集めるのを何とも思っていないようだ。というか、人が多いといきなり注目集める行動を取るというか――ようするに目立ちたがり屋? 「うーん?」 人差し指を顎に当て、視線を持ち上げてから。 「ここ最近出てなかったから」 何のこっちゃ? 俺の疑問をよそに、皐月はぐっと右手を握り締めた。思うことがあるのか、茶色い瞳に熱い光を灯している。何度か自得するように頷いてから、 「だってさ、だってさ。わたしが出てない時間って、もう四ヶ月越えてるんだよ。四ヶ月。一年の三分の一だよね。ほら、みんな忘れちゃってるかもしれないから。きっちと主張しておかなないとね」 いきなりポーズを取り、凛々しい表情でカメラ目線を送る。 「つまり――この"メイドの居る日常"の主役は、この皐月ですッ!」 決然と宣言しながら、その台詞を証明するように勢いよく右腕を振り上げた。 全身から放たれる雪を溶かすような熱いオーラに、周囲の人たちが感心したように皐月を見つめている。 しかし。 「……うぁー、寒いなぁ」 独り言言いつつ、すたすたと早足に歩き出す俺。 秘技、他人の振り。 さすがに無視は堪えたのか、皐月が追い掛けてきた。 「ねぇ。晩ご飯何にする」 何事も無かったように問いかけてくる。 俺も何事も無かったように答えた。ああ、慣れたんだなぁ。 「そうだなぁ。鍋とかラーメンとか。カレーでもいいかな? とりあえず、寒いから身体が温かくなるものがいいな。香辛料効いたのって寒さに効くかな?」 寒い日には暖かいものを食べて身体の中から暖かくなる。これは基本だ。皐月の料理の腕はプロ以上。何を作るかは分からないけど、ちゃんと要望出せば応えてくれる。 無論、釘刺しは忘れてはいけない。 「皿に雪盛ってシロップ掛けたかき氷とか作るなよ」 「ちッ」 横を向いて露骨に舌打ちする皐月。 本気でやろうとしてたな……。 「あー。暖房付いてるのに、冷えるわ。さみぃ」 風呂から上がり、キッチンに出る。暖房付けてるのに寒い。外の気温は既にマイナスになってるって天気予報で話していたし、風も強くなって吹雪いてるみたいだ。十年に一度の大雪らしい。明日は二十センチくらい積もるんだろうか。 しかし、寒い。底冷えする。 「なんか、こっちから冷気が……」 寒さの方に目を向けると、俺の部屋のドアが少し開いていた。 なんか、イヤな予感。開けちゃダメな気がするけど、開けないわけにもいかないよな。寝るには部屋入らないといけないし。仕方ない。俺も男だ、腹括るか。 そんな覚悟を決めつつ、俺はドアを開けた。 部屋の冷気が、暖まった身体から一気に温度を奪っていく。 「はーっはっはっはっはぁ! 咆えろ風、舞えよ雪、刺されよ冷気! この街の全てを呑み込み、純白に染め上げよ!」 全開にされた窓辺で、皐月が元気に叫んでいた。窓から吹き込んでくる冷たい風と白い雪を、全身に浴びながら、両腕を大きく左右に広げて。紺色のスカートと白いエプロンが激しく揺れ、茶色の髪がなびき、赤いリボンがはためいている。 怒る気力も無く、俺は冷静に尋ねた。 「何してるんだ?」 「冬将軍」 目を輝かせながら、真顔で即答してくる。 「意味わからん」 こちらも正直に即答。 皐月は窓の外を指差しながら、子供のように声を弾ませた。 「だって、雪だよ、雪。It's SNOW! この時期じゃないと見られない珍しい気象現象じゃない。今回は最終的に三十センチ以上積もるって話だし、楽しまないと損だよ。明日の朝には二十センチ以上積もるから、雪合戦して鎌倉作って、雪兎も作ろう!」 胸元でぐっと両手を握り締める。 あぁ、若いっていいのぉ……。 元気にはしゃぐ皐月の姿を見ていると、孫を見る爺ちゃんのような気分になってくる。いや、まだ俺二十歳だけどさ。俺が老けているわけではなく、これは皐月が子供っぽいのが原因だ。相対的に俺の精神が老け込んでしまうのである。 そんなことよりも。 「それより窓締めろ、寒いんだよ。息白いし、身体震えてるぞ、おい」 つかつかと窓に向かっていく俺。寒さで手足が震えていた。室内履きの裏からも床の冷たさが分かる。窓全開のせいで、凍えるくらいに寒い。マヂで外気温と大差ない。 しかし、皐月は肩を竦めて両手を左右に広げた。 「軟弱ねぇ。わたしはまったくもって平気だけど」 「そりゃそうだろ。お前は機械だろうが。-150℃でも正常機能維持できるとか性能自慢してただろ! でもな、俺は人間なんだよ。寒いと身体機能低下するんだよ! 風邪だって引くんだよ、最悪凍死するぞ!」 俺の声の隙を掴むように、皐月が呟いた。 「でもさ。キレイだよ」 ふっと窓の外に指を向ける。 その指に引かれるように、俺も窓の外に目を向けた。 いつも見ている街の景色。それが全て雪に埋まっていた。三角形の屋根。四角いアパート。小さな公園。川を横切る橋。普段飽きるほど見ている景色が、雪に覆われ全く違うものになっていた。形は変わらないが、全てが白く冷たく染め上げられている。雪明かりのせいか、不思議といつもよりも明るく見えた。雪の白。夜の闇。街の灯り。 それは、モノクロの異界。 「………」 声も出ない。 窓から吹き込んでくる冷たい風が、意識を鋭く研ぎ澄ませていく。 奇妙な感覚だった。手足の感覚が薄くなり、反対に目と耳が冴えてくる。寒いのに、寒くない。風の流れが音となって聞こえ、無数の雪が無限の闇に奥行きを与えていた。俺の意識は、既に現実から引き剥がされ、モノクロの異界へと連れ去られていた。 口から漏れた息が、空気を白く染め消える。 「これは……」 全てが断ち切られたかと思うほどの無音。呼吸の音さえも、騒音のように聞こえた。心臓の鼓動が、耳まで届いている。ちりちりと手足の先が痺れていた。 「こういう雪に包まれた街ってのも風情あるでしょ?」 皐月が俺を見て、片目を閉じてみせた。 ふっと我に返り、俺は左手で顔を押さえた。 「そうだな」 苦笑を浮かべながら言い返す。一瞬、本当に一瞬だった。自覚する暇すらなく、現実から幻想の世界へと連れて行かれてしまった。これが雪の魔力ってヤツか……。 確かに、皐月がはしゃぐのも分かるわ。 「というわけで」 皐月が窓辺を蹴って跳び上がった。 どういう論理展開を行ったのか、ベランダの手摺に飛び乗る。人間なら相当訓練しないと無理な芸当だけど、精密平衡機器を内蔵している皐月には造作もないこと。細く冷たい手摺の上で踊るように身を翻しながら、吹き抜ける寒風に右手を突き出す。 「荒れ狂えエターナルフォースブザァァァァドッ! 相手は死ぬゥゥゥ!」 「どうしてそうなる!」 思わずツッコむ俺。 その瞬間だった。 ゴウッ。 ひときわ強い風が吹いた。 不可視の空気に煽られ、紺色ワンピースの裾と白いエプロンが大きく翻り、茶色い髪の毛と赤いリボンが跳ねる。皐月がバランスを崩した。……普段ならば、その人間を越えた機械的平衡感覚で、体勢を立て直せただろう。 しかし、今日は雪が降っていた。手摺の上にも積もっていた。 「あ」 雪で足を滑らせ、皐月が手摺から落下する。 ベランダ側ではなく、外側へ。 「あぁぁぁ――」 ボスッ。 皐月の声と、遅れて聞こえた気の抜けた音。 ベランダに出て真下を見ると、皐月が雪の中に大の字に倒れていた。雪のせいで下に何があるかは分からなくなってるけど、そこは植え込みだったような……。人間なら即救急車呼ぶけど、こいつは呆れるほど頑丈だし、大丈夫だろ。 何事も無かったように雪まみれの皐月が跳ね起きる。 そして、空に向かって大きく叫んだ。 「雪なんて大ッ嫌いだー!」 ま、無事で何より。 俺はそそくさと部屋に戻り、窓を閉め、鍵を締め、カーテンを閉め、近くにあったエアコンのリモコンを手に取った。口から吐き出す息が白い。 「暖房効くまで、何分かかるかな?」 自問しつつも、俺は室温計を見る勇気は無かった。 |
11/1/19 |