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第31話 マヨイガの一日 - 午前中 -


 朝の五時五十分。
 目覚まし時計も使わず目を覚ました小萌は、いそいそと布団から起き出した。六畳の和室で、厚手の布団が敷いてある。ここが小萌の寝室だった。
「ふぁ……」
 小さく欠伸をして、右手で目を擦る。着ているのは、赤い水玉模様の入った白いパジャマだ。冬用のため生地は厚手で保温性は高い。十年単位で使い込まれているため、所々にツキハギが付いている。
 畳の上に立ち、大きく背伸びをした。
「おはようございます」
 挨拶は誰へとなく。自分がお世話になっているマヨイガへ向けたものかもしれない。
 冬至が近い時期のため、まだ外は夜の闇。しかも、気温はかなり低い。部屋の隅に置いてある電気暖房が暖かい空気を吐き出してはいるが、それでも寒かった。
「朝ご飯の支度を始めましょう」
 小萌は気にせず日課に取りかかった。


 電気の付いた台所で、お湯を沸かし、電子炊飯器のスイッチを入れる。電気ストーブによって空気は暖まっているが、それでも足元は冷たい。この海上都市タイガでは見られないような、古風な台所である。
 もっとも、気にするほどでもない。
 小萌は寝間着の上にエプロンを付け、朝食の準備をしていた。
 朝食は、ご飯と味噌汁、卵焼きと焼き魚の予定である。
 冷蔵庫のドアを開けて中身を確認。
「あとで卵とネギ買ってこないと……」
 小萌はそう心のメモ帳に書き込んだ。


「ごちそうさまでした」
 両手を合わせ、一礼する。
 朝七時半。小萌は朝食を食べ終わった。
 卓袱台の上には、空になった茶碗と皿が並んでいる。
 明るい朝の日差しが、部屋に流れ込んでくる。七時半だというのに、まだ日は低い。空気は冷たく澄んでいて、残った眠気を覚ましてくれるようだった。
「それでは……」
 重ねた食器を横にどかし、小萌は傍らのノートパソコンを卓袱台に置いた。ディスプレイを開くと、OSが起動する。設定通りメールソフトが立ち上がった。朝のメール確認。
『みこもこ : 雪が降りました』
『ルイズ : 1UPキノコ』
『ゆっくレイム : ゆっくりしていってね!!!!』
『マンジュウ : 新型パーツ到着』
 メールは四件だった。知人から三件と、行きつけの改造屋から一件。タイトルは相変わらずのものだが、内容は大体想像が付く。
 小萌は上から順番に、メールを開いていった。


 朝八時十分。
 小萌は寝間着から普段着へと着替えていた。ピンクの長袖トレーナーと、赤いチェックのスカート、黒い毛糸のタイツ。冬用の暖かい服装である。下ろしていた髪を、赤い髪飾りでツインテールに結んでいた。
「お掃除、頑張りましょう」
 そこにエプロンを付け、マヨイガの掃除。
 箒を使って部屋や廊下を掃いていく。素早く、かつ丁寧な身のこなしだった。
 かなり広い家だが、意外と掃除は手間がかからない。滅多に人が来ないので汚れることもないからだ。人はいなくとも埃は溜まるので、軽く埃を払う必要はある。
 三十分ほどで、室内の掃除は終わった。
「次は外ですね」
 箒を片付け、小萌は外に目を向ける。


 外の掃除は室内に比べて大変だ。
 この時期だと、庭には枯葉などが落ちている。もっとも、落葉の季節である秋よりも格段に楽だ。マヨイガに生えている木の枯葉だけではなく、どこからか飛んできた枯葉やゴミも含まれる。それらもきちっと掃除しなければならない。
「ふぅ、やっぱり身体動かすと暖まりますね」
 竹箒片手に、小萌は空を見上げた。いくつか千切れ雲が浮かぶだけの澄み渡った空。この時期は晴れている事が多い。気温は低く、冷たい風が吹いている。
 微かな足音を耳にして、そちらに目を移す。
「やあ、小萌」
 見知った少女が、右手を挙げて挨拶してきた。
 年齢は十代半ばくらいの、猫耳と尻尾のの生えた女の子。腰まである淡い茶色の髪を、赤いリボンで飾っている。紫路の瞳には猫のような細い光彩。そこはかとなく脳天気そうな雰囲気。菜の花色の長袖ワンピースと、黒いズボンという格好だった。
「ニャルルゥさん、お久しぶりです。行方不明との噂も聞いていましたが、無事でなによりです。何かあったのですか?」
 友人のニャルルゥ。しばらく前に、主が交通事故で亡くなってから行方不明になったと聞いている。しかし、無事にその姿を見せてくれた。
「ま、色々あってね……」
 人差し指で頬をかきながら言葉を濁す。
 気を切り替えるように手を振ってから、ニャルルゥは気楽に笑った。
「今は新しいマスターのところで暮らしてるよ。飼い猫としてってのが不満だけど、そこは仕方ないさ。魔術師じゃないから無理はできないけど、一緒にいると安心する、そんな人だ。ようやく、飼い猫生活も慣れたしな」
 左手を腰に当て、右手をぱたぱたと振ってみせる。左右に揺れている尻尾。その口振りからすると元気にしているようだった。
「それは良かったですね」
 箒を持ったまま、小萌は頷く。
 動かして手を止めてから、ニャルルゥは両腕を広げた。
「で、落ち着いたところで生存報告がてら挨拶に来たってわけさ。マヨイガに寄ったついでだし、何か遊んでいこうかなーと思ってるんだけど」
 猫耳を動かしながら、紫色の眼を屋敷へと向ける。
 マヨイガにはその街の情報が詰まっている。訪れた者の思考に反応して、それを実体化させる仕組みだ。何か遊ぶものを求めれば、相当に突飛なものでない限りそれが現れる。暇を潰すには、もってこいだろう。
「では、庭掃除手伝ってください」
 小萌の言葉に。
 ニャルルゥは素早く身体の前後を入れ替えた。右手を持ち上げて、
「邪魔したなー」
 ガシッ。
「……にゃ!」
 優しく、だがしっかりと尻尾を掴まれ、ニャルルゥは動きを止めた。使い魔の安全装置なのか、ニャルルゥは尻尾を掴まれると満足に動けなくなる。単純に尻尾が弱いのかもしれない。
「知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない」
「小萌はいつから大魔王になったんだ!」
 静かに放たれた小萌の台詞に、ニャルルゥはきっぱりと叫んだ。



 二人で掃除をしたため、予定より早く終わった。
 将棋盤を挟んで、小萌とニャルルゥが対局している。午後十一時。対局を始めて、四十分ほど経っていた。正座をしている小萌と、緩くあぐらをかいているニャルルゥ。
「こっちは変わりなしか?」
 香車を動かし、桂馬を取ってから、ニャルルゥはそんな質問を口にした。猫耳を動かしながら、将棋盤から桂馬を取って、自分の持ち駒に加える。
 小萌は銀を一枚、盤に乗せた。
「そうですね……。ここは変わりませんよ。百年くらい前からほとんど変わっていませんから。ここは時の流れから外れた場所です」
「相変わらず詩的だな、小萌は」
 脳天気に笑いながら、ニャルルゥが飛車を動かし銀を取る。
 そこへ、小萌は桂馬を進めた。
「はい。王手飛車取り」
「待った……!」
 勢いよく右手を突き出すニャルルゥ。顔を伏せ、尻尾を立てている。
 小萌はツインテールの一房を指で弄りながら、横目でニャルルゥを見やった。
「また待ったですか? 八度目、いえ九度目ですよ、ニャルルゥさん」
 ニャルルゥは右手を引っ込め、両手の人差し指をいじいじと回している。猫耳と尻尾を伏せながら、目を逸らして口を動かした。言い訳するように。
「いや、なー。小萌の飛車角落ちなのに、気がつけばなんでこうも一方的に押されてるんだろうと、あたしはとっても疑問だ。前に打った時よりも強くなってないか?」
「わたしの腕は百年モノですから」
 小萌は言い切った。
「むー」
 右手で猫耳の先を弄るニャルルゥ。腕組みをして頭を捻る。
「一度でいいから、小萌をゲームでぎゃふんと言わせてみたい。でも、どう頑張っても策を巡らせても、ぎゃふんと言わされるのはあたしだ。納得いかない」
 ジト眼でそう言ってくるが、小萌は胸を張って答えた。
「年期が違います」
「にゃー……」
 肩を落とすニャルルゥ。
 リン。
 鈴が鳴った。玄関の呼び鈴である。マヨイガに誰かが入り込むと鳴る仕組みだった。鈴の音はマヨイガのどこにいても聞こえる仕組みである。ニャルルゥのように小萌目当ての客には反応しない。
「誰か来たみたいだ」
「ですね」
 ニャルルゥの言葉に、小萌は頷いた。


「うー……」
 玄関前にいたのは十代前半くらいの女の子だった。赤味がかった黄色い髪に、茜色のブレザーと膝上丈の白いプリーツスカート、黒いオーバーニーソックス、胸元に黄色いネクタイという恰好である。頭に狐耳、腰の後ろからは尻尾が生えていた。
 そして、文字の書かれたスケッチブックを胸の前に掲げている。
『すみません。ここはどこでしょうか? 迷ってしまいました』
「キツネ……?」
 一緒に迎えに出たニャルルゥが首を傾げる。
 小萌はキツネの女の子を観察し、
「キツネ耳と尻尾を付けたアンドロイドのようですね」
 そう結論付けた。

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