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第29話 ミニ皐月のとっておき


「あれ……?」
 鞄を見ても、レポートがない。
 中に入っている教科書やノート、筆記用具その他を机の上に全部出してみても、肝心のレポート用紙は入っていなかった。午後の講義で提出する予定のレポート。
「どうかしたの、ハル? 何か忘れ物でもした?」
 隣の席に座ったトアキが不思議そうに見てくる。緑色のジャケットとジーンズで、小太りな身体を包んでいた。寒さには強いらしく、この時期でも周りと比べると薄着だ。
「レポート家に忘れてきた……」
「午後のアレか。提出しないと単位貰えないんじゃないか?」
 続いてトアキの隣のナツギが指摘してくる。白い上着と黒いズボンという格好。こいつが白黒以外の服を着ることは滅多にない。自動販売機で買ったパックジュースをストローで吸いながら、他人事のような態度だ。相変わらず冷たいな、このヤロー!
「マズいな」
 俺は親指を噛む。非常にマズい。必修科目だから今期にちゃんと単位取らないと、また来期同じ講義を受けることになってしまう。それは避けたい。
「次の講義は総合テストだから、サボって取りに行ってくるってのは無理だし。どうするつもり? 教授に頭下げて提出期限伸ばしてもらう?」
「皐月ちゃんに頼めばいいんじゃないか? 昼間でも家にいるだろ」
 それぞれ解決法を口にするトアキとナツギ。どちらも一長一短で、すぐに頷くことは出来ない。でも、早めに解決法を決めないといかん。次の講義はあと五分くらいで始まってしまう。トアキの言う通り、講義休んで取りに行くのは絶対不可。今週は第三期最終週で、すっぽかせない講義がほとんどである。
 腕組みをしながら、俺は天井を見上げた。
「皐月は今メンテ中でちっこくなってるから、出歩かせるのは無理。これは素直に教授に頭下げるしかないかな……? 減点はされるだろうけど、単位貰えないよりはマシだ」
 ピッ。
 携帯電話が着信を知らせる。
 ポケットから取り出して画面を見ると、メールが一通届いていた。
『レポート忘れてたから届けに行く。昼休み、北棟の屋上 from 皐月』
 これは……。まるで謀ったようなタイミング。盗聴でもしてたのか?
「おめでとう」
「助かったみたいだな」
 携帯の画面を覗き込みつつ、トアキとナツギが笑顔を見せる。
 でも、何でだろう? 素直に喜べないのは。


 言われた通り、昼休みに屋上に行く。面白そうという理由で後を付いてきたナツギとトアキ。冷たい風の吹く屋上に、人の姿はなかった。快晴の空と冷たい空気。一段と冷え込むこの天気で外に出る物好きはいない。
 天気予報じゃ来週に雪降るとか言ってるし。
「はい。お待たせ」
 俺に向って笑顔でレポートファイルを持ち上げる皐月。
 ここにいるのが当然とばかりに、屋上の机に腰掛けている。ミニサイズでの外出服は持っていないので、外でも紺色のワンピースドレスと白いエプロンというメイド姿だった。頭にはカチューシャを付け、首の後ろを赤いリボンで縛っている。
「本当にいたよ……」
 皐月の姿に戦く俺。居なかったら困ったけど、いても困るぞコレ。
 座っていた木のテーブルから飛び降り、皐月が俺の目の前まで歩いてくる。茶色の髪の毛と赤いリボンが揺れていた。俺の前で脚を止め、手に持ったファイルを得意げに差し出してくる。二十枚のレポートを綴じた水色のファイル。
「もう。大事なレポート忘れちゃ駄目だぞ?」
 左手を腰に当て、身体を少し斜めに構え、ウインク。口調もお姉さんっぽい。遊び心なのか、皐月は時折こういう反応に困るボケをかましてくれる。
 俺が黙ってレポートを受け取っていると、トアキがじっと皐月を見つめていた。
「本当に小さくなってるよ。皐月さん、可愛いなぁ」
「いや〜。それほどでもあるけどね〜♪」
 右手を頭の後ろに回し、左手を腰に当て、左足を後ろに持ち上げながら、皐月が満面の笑みで肯定している。見ている方がちょっと恥ずかしい、アニメちっくなポーズだ。
「これがミニアンドロイドってのか。就職して金できたら買ってみるかな?」
 眼鏡を動かし皐月を見つめ、ナツギが感心している。
 ミニアンドロイドは十万クレジットくらいなので、そう苦労せずに買えるだろう。ただ、部屋の掃除などのお手伝いレベルのことしかできず、料理はまず不可能だ。自分は特別とは皐月の言葉であるが。
 さておき、俺は根本的疑問を口にした。
「お前、どうやってここに来た……?」
 下宿先から大学まで、自転車十分、電車三十分、徒歩五分の合計四十五分。このミニボディで来られるもんじゃない。ミニアンドロイドは所有者同伴でないと電車に乗れないのだ。普通に考えるなら、下宿先から大学まで走ってきたんだろうけど。
「普通忘れ物を届けて貰ったらお礼を言うのが人間としての礼儀作法でしょ?」
 びしっと俺を指差し、皐月は眉毛を内側に傾ける。
 数秒の沈黙から。
「あ、ああ。ありがとう。助かったよ」
 一応礼を言ってから、改めて俺は尋ねた。
「で、どうやってここまで来たんだ? まさか飛んできたとか言わないよな」
「うん。そのまさか」
 おい……。
 あっさり肯定しやがったよ、こいつは。ある意味予想を裏切る――だが、予想通りの回答だ。文字通りの意味で"飛んで"来たんだろう。あ、待てよ……。こないだサン通りに出掛けた俺の所にいきなり現れたのも同じ仕掛けか? 他に考えられないし。
「あのハカセのことだ。飛行機能くらいノリで組み込むな」
 ナツギが右手で額を押さえている。ナツギもトアキも、ここにいないけどフユノもハカセの事は子供の頃から知っていた。直接の面識は少ない。でも、両親がハカセの親友である俺経由で、常識人の皮を被った非常識人の様子をしっかり見ている。
 トアキが乾いた笑みを見せていた。
「アンドロイド安全管理法で、アンドロイドへの飛行機能搭載は科学技術省の許可が必要だったと思ったけど。あと、許可持ってても、市街区画で飛ぶのは駄目だったような」
「うん、駄目だね」
 頷く皐月。悪びれる様子もない。
 詳しい事は知らないけど、市街地での飛行物使用は禁止されている。理由は単純で、落ちたら危ないから。空飛ぶ車を作れる技術があるのに、どこの自動車会社も飛行自動車を作ろうとしないのはそのためだ。車が落ちたら大惨事になる。軽くて小さなミニアンドロイドとはいえ、飛行中に故障とかで落っこちたら大変なことになるだろう。
 しかし、皐月はきっぱりと言い切った。
「でも、細かい事気にすると大物になれないよ」
 すまん。どこから反論していいか分からない。
 ナツギもトアキも固まっている。堂々と違法行為を告白されて、しかも開き直っているのだ。何かあったらどうする気だ? どうにかしちゃうんだろうな、ハカセが。
 皐月はマイペースに俺たちから離れた。どこから取り出したのか、ゴーグルのようなものを掛けてから、左手を持ち上げる。パイロットっぽい雰囲気。
「じゃ、忘れ物も届けたし。わたしは帰るから」
「飛んでか?」
 冷たく澄み切った青空を指差す俺に、皐月はあっさりと首を縦に振った。
「もちろん」
 シャッ。
 微かな金属音を響かせ、肩の辺りから金属の翼が左右に広がる。細長い銀色の薄板を数十枚、翼状に組み上げたものだった。銀色の天使の翼と表現すれば、大体正しいだろう。普段は細かく折り畳まれて身体に収納されているらしい。
 皐月が床を蹴って飛び上がった。
 両肩と両脚部側面が開き、噴射口が現れる。そこから勢いよく吹き出される圧縮空気。突風のような空気の流れが、床の砂埃を舞上げる。
「無茶苦茶な……!」
 押し寄せる空気からファイルで顔をかばいつつ、俺は皐月を見やった。
 渦巻く風の中で、皐月は両翼を広げたまま、床から五十センチほどの高さに浮かんでいる。銀色の翼はいつの間にか薄い白光を帯びていた。重力に干渉する機構が翼に組み込まれて、それが動いた影響だろう。正直、白く輝く翼は美しかった。
「飛び上がる時スカート捲れるから大変なんだよねー」
 左手でスカートを押さえながら、皐月は暢気に笑っている。
「素直にズボン穿け!」
「メイド服はわたしの正装ッ!」
 俺のツッコミに、皐月は力一杯言い切った。
 それから、右足で空中を軽く蹴るような仕草。翼を包む白光が一段強くなり、空気の噴射が一気に加速する。
 そして、皐月が真上に飛び上がった。小さな破裂音を響かせ、ロケットのような勢いで床から十数メートルもの高さまで飛び上がる。それから鳥のように空中で身を翻し、曲線を描いて下降してきた。メイド服の裾や茶色の髪が激しく翻っている。
「それじゃねー」
 右手を振りながら、皐月は目の前を横切って行った。
 噴射口から吹き出す空気に煽られ、俺たちの髪の毛や服が激しくなびく。空飛ぶミニ皐月。清々しいくらいに現実離れした光景だった。何かの夢かと疑うくらいに。
「………」
 もはや、口に出す言葉もない。
 振り向きもせず、皐月は屋上から飛び出した。落下防止用のフェンスをあっさり飛び越え、鳥のように空中へと身を躍らせる。飛行しながら両腕を広げて身体を回転させているのが見えた。かなりの自在に姿勢制御できるらしい。
 白く輝く翼を広げたまま、皐月は街の空高く飛んでいく。
「きっと、元のボディにも搭載されるよね、この飛行機能」
「だなぁ」
 トアキの呟きに、ナツギが頷いている。
「どこへ行くんだ、お前は……」
 レポートファイルを持ったまま、俺は空の点になった皐月を眺めていた。

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飛行機構
両肩から金属の翼を展開し、飛行するシステム。翼は通常時は身体に収納されていて、必要な時に肩から展開する仕組み。翼に組み込まれた重力中和機構と、肩と脚部の噴射口からの圧縮空気を用いて飛行する。重力中和機構が動く時は、翼が白く輝く。
通常時の飛行速度は30km/h程度だが、最大約300km/hまで加速可能。空中ではかなり自由に姿勢を変えられる。