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第14話 野良猫を拾った


「待ってたよ、ハル」
 そう笑顔で頷くのは、友人のトアキだった。
 身長は百七十センチほどで、やや跳ねた黒髪を背中に流している。身体は見ての通り、太い。本人曰く、デブではなくぽっちゃり系らしい。服装は高そうな緑色の上着に、安そうな青いズボンという格好。上着の胸の部分には、小さく『食』の文字が記されている。東地区大食い大会優勝者に配られるジャケットらしい。
「ええと、どこからツッコめばいいんだろうか?」
 俺は頭を捻った。状況がいまいち理解できない。
 トアキの家に着いたのがつい二分前。両親は揃って一週間の出張らしい。暖房の効いたダイニングと、きれいに掃除されたテーブル。椅子に座っているのは俺と、一緒に呼ばれた皐月。正面にはトアキ。オレンジジュースとケーキが置かれている。
 そして。
「にゃ」
 トアキの隣に座っている見慣れない女の子。
 年齢は十代半ばくらいだろうか。腰まで伸びた淡い茶色の髪の毛を、細長い赤リボンで飾っている。紫路の瞳には猫のような細い光彩。そこはかとなく脳天気そうな雰囲気。淡い菜の花色の長袖ワンピースと、膝上の黒いスパッツという格好である。
 頭にはネコミミがあり、長い尻尾が揺れていた。
 何と表現するべきか。猫少女である。
「トアキさん。年下の彼女作って家に連れ込むのはいいですけど、両親のいない間にコスプレさせて、あまつさえわたしたちを呼んで見せつけるって……新手の羞恥プレイですか? マニアックですね」
 皐月が窘めるようにトアキを見つめる。窘めるといっても、本心では煽っているようではあるけど、それは気づかないことにする。
 大体俺も似たようなことを考えた。
 しかし、トアキは首を左右に振ってみせる。困っているような表情だけど、あんまり困っているようには見えないのはいつものこと。
「いや、この子コスプレじゃないんだよ。あと彼女でもないし」
「あたし、ニャルルゥ。よろしく」
 快活な声で自己紹介をして、右手を挙げた。
 ニャルルゥ。見たままを言うなら、気合いの入ったコスプレ少女。猫耳と尻尾は本物っぽいけど、高性能コスプレセットなら本物っぽい動きも可能である。無論、性能に見合った相応の価格になるけど。
 俺はトアキと視線を合わせてから、尋ねた。
「……で? この子何者?」
「あたしは遣い魔の猫だよ。ちょっと前まで、とある魔術師の元で働いてたんだけど、マスターが事故死して、野良猫になってしまった。新しいマスターがいなくて困ってる。ちなみに、あたしの元マスターのことは秘密事項なので答えられないよ」
 電波さん?
 俺は真正直にそう思ったが、ぎりぎりで言葉を飲み込んだ。ついでに思い切り胡散臭げな顔をしそうになったものの、何とか表情を変えることも避けた。眉は寄せたけど、それほど問題ではないだろう。よし、俺、凄い、頑張った!
 トアキがオレンジジュースを空にして、頷く。
「ぼくも最初は変なこと言う女の子だと思ったんだけど」
 まあ、思うだろうな。俺は心中で同意する。
 トアキは目の前に置いてあったケーキを半分一口で口に入れた。ごく普通に食べているようにしか見えないが、どういう原理か常人の数倍の量を口に入れる。本人が言うには、コツがいるらしい。
 首を捻ってから、ため息をつく。
「話聞いていると、どうも本当みたいなんだ……」
「本物、って?」
 その発言に、俺は怪訝な眼差しでトアキとニャルルゥを交互に見つめた。自制するのはもう自重しない。もしかしたら、この二人で俺たちをからかっているのかもしれない。そっちも現実味ないけど、魔術師云々よりは現実味がある。
「君も疑っているんだね。それは仕方ない。いきなり信じろと言うのが無理な話なのは、あたしも分かってるよ。だから、証拠を見せよう」
 俺の反応にそう応えるなり、ニャルルゥが両手を前に出した。紫色の瞳が一瞬淡く光ったように見えた。……気がする。
 神妙な表情で目を閉じ、ぴんと猫耳を立てるニャルルゥ。一緒に尻尾も伸びた。
「―――、―――、―――……」
 よく分からない言葉を呟いている。多分呪文なのだろう。格好だけ見るならば、魔法を使おうとしている猫少女。そのままだが。
 ニャルルゥが目を開く。猫のように細い光彩が大きく開かれた。
「炎よ……!」
 ポッ、と音を立てて、両手の間に炎が生まれる。
 決して激しくはないが、静かに燃える赤い炎。可燃物や可燃ガスがあるようには見えないが、手の間で消えることなく燃え続けている。
 あれだけ、溜めを見せて炎を作るだけってのは、ちょっとショボいと思う。
 ニャルルゥが右手を差し出す。手の平の上で燃える炎。
「見ての通りの炎の魔術だ。遣い魔のあたしでもこれくらいはできる。ただ、契約しているマスターもいないし、魔力の供給を受けていないから、大きな魔術は使えないけどね」
「うん。本物の炎だね。でも、燃料を補給して言える形跡はないよ」
 皐月が炎を見つめたまま、肯定している。人間を遙かに上回る精度を持つ機械の瞳。それで仕掛けが分からないとなると、手品や奇術の類ではないらしい。かといって、その炎が魔術によるものとは信じがたい。
「その顔は、まだ信じていないな。ならこれでどうだ?」
 俺を見据えたままそう言うなり、ニャルルゥは自分の分のジュースとケーキを全部口に押し込み呑み込んだ。一度息を吐いてから、椅子の上へと飛び乗る。
 訝しげに俺が見つめる中、短い呪文を唱えると、
「変身!」
 白い煙がニャルルゥの身体を包んだ。
 その瞬間、人の輪郭が一気に崩れ、一抱えほどの小さな形へと縮小する。
 ぱた、と小さな音を立てて、テーブルに一匹の猫が着地した。薄い茶色の毛に覆われた普通の猫。尻尾をゆっくりと動かしながら、呆然とする俺を見上げていた。
「これでどう? 信じたか?」
「一応……」
 喋る猫に、俺は半信半疑で頷いた。人間の女の子が猫に変身するなど、創作物語の中でしか聞いたことがない。ついでに、喋る猫という話も。あくまでも大掛かりな奇術でもなければの話だが。ふと自分が夢を見ているのではないかという考えが浮かぶ。
 俺はジュースを一口飲んだ。甘酸っぱい味と水気が、喉の渇きを和らげる。
「でも、魔術師なんて実在するのか……」
「魔術師なら、実在するよ」
 応えたのは皐月だった。ごくあっさりと。
 にわかに信じられないその発言に、俺は思考を半分停止させて皐月を見る。
「特殊異能力者。大雑把に言うと魔術師だね。国から異能力者の認定受けてる人は、この街にも三千人くらい存在してる。質はピンキリだけど。ソラさんやヤマさんも、非公開政府認定特一級特殊異能力者だし」
「……マジ?」
「うん、マジ」
 驚愕する俺に、さらっと頷く皐月。
 あの爺さんたちって人間離れしてたけど、本当に人間じゃなかったんだなぁ。何となく納得した。まだ完全には信じ切れないけど。普通じゃない人間がいるってのいうのも納得した。うん、信じられないけど。
「やっぱり皐月さん呼んでよかったよー」
 皐月の話に、安心したようにトアキが頷いている。
 こいつも今の今まで、ニャルルゥを人外と本気で信じられなかったのだろう。しかし、皐月の話を聞いて、その存在を受け入れることができた。
 てか、こいつが用あったのは皐月で俺じゃないのか。……ま、俺がいても何も出来ないのは紛れもなく事実なんだけど、ちょっと寂しいぞ。
「まあ、それはそれとして」
 咳払いをして俺はニャルルゥを見つめた。
 猫から人型に戻って、椅子に座っている。ぴこぴこと猫耳が動いていた。遣い魔の猫という自分の存在を信じてもらって、満足そうな表情である。
 続けて、トアキに目を移した。根本的な問い。
「何でお前がこの子と一緒にいるんだ?」
「それなんだけど」
 トアキは頭を掻いている。
 代わりに、ニャルルゥが応えた。
「主を失ったあたしは野良猫として一ヶ月彷徨い、慣れない野良猫生活で空腹に倒れたかけていた。それで、四日前の夜にこの人に食事を貰った」
 と、トアキに視線を向ける。
 そういえば、トアキには腹を空かしたやつに食い物を渡すという癖があったな。人間や動植物は問わない。空腹の辛さをぼくは知っているから、らしい。元々の優しそうな雰囲気と相まって、子供や動物にはよく懐かれている。
 一緒に料理を食う場ではその限りではないが。
 ニャルルゥは腕組みをして、首を盾に動かす。
「それで、一昨日に恩返しに来たわけだ。そのまま今に至る」
「恩返しじゃなくて、押し掛け居候だろ、それ……」
 俺は冷静にツッコミを入れた。
 ニャルルゥの頬を流れる一筋の汗。自覚はあるのか。
 何にしろ、大体の経緯は呑み込めた。主人を亡くしたニャルルゥは、助けてくれたトアキの元に押し掛け住み着いてしまった。今は両親が仕事で出かけているので大丈夫だが、戻ってくる前に何とかしなければならない。
 俺の思考にはかまわず、ニャルルゥは苦い表情を見せている。
「あたしも分かってるよ。炊事洗濯掃除、家事全般はできるから、しばらくこの人の手伝いをして恩返ししようと思ったんだけど……」
 と、再びトアキを見やる。
「この人はあたしよりも家事の腕が上なんだよ」
 両肩を落とし、猫耳と尻尾を垂らすニャルルゥ。
 ま、そうだな。
 トアキの家事の腕は凄まじい。お前はTVに出てくるベテラン主婦か? そう思うくらい、掃除洗濯何でもこなす。特に料理の腕は、比喩も誇張もなくプロレベル。ニャルルゥは家事が出来ると言っても、あくまで『できる』という程度だろう。
「大丈夫ですよ、ニャルルゥさん」
 皐月が笑顔でニャルルゥに声をかけた。
 ああ、分かるぞ、俺には分かる。この笑顔は何かよからぬことを口にしようとしている時の笑顔だ。それなら、俺が責任を持って止めなければならない。
 俺はズボンのポケットに手を入れ、椅子から立ち上がった。
「そういう時は古来より――」
 スパァァンッ!
 軽快な炸裂音とともに、ハリセンが皐月の顔面を捕らえた。
 手加減抜きの全力振り抜き。椅子から倒れそうになるものの、皐月は踏み留まった。はたかれた顔を押さえながら、俺の右手に握られた特大ハリセンを見つめる。
「どこから取り出したの、それ……?」
「気にするな」
 そう告げてから、俺は右手を一振り。扇状に広がっていたハリセンが閉じられ、平たく白い板へと変わる。長さは百二十センチほど。その板の両端を持って押すと、ハリセンが握り部分に収納され、握り部分も縮みトランプケースほどまで小さくなる。
 俺はそれをズボンのポケットへと収めた。
「ハル……。いつの間にそんな変なもの手に入れたんだ?」
「にゃぁ……」
 トアキとニャルルゥが呆然と見つめてきた。
 ちなみに、今のは携帯型護身用ハリセン。材質はよく分からない特殊な布で、意外と重い。皐月相手には普通に振り回せるが、生身の人間に向けるものではない。扇状に広げると盾にもなり、ハリセンを閉じた状態で振り回せば、普通に骨くらい折れるらしい。
 制作者、ハカセ。先日貰った。
「まあ、それはそれとして、だ」
 俺は強引に話を本題に戻した。
「これから、どうしたいんだ?」
「うーん」
 トアキはジュースを一口飲む。先ほど空にしたはずだが、いつの間にかにコップ一杯まで注がれていた。冷蔵庫からジュースを取り出す姿は見ていない。トアキの秘術・いつの間にか増える飲食物。
「どうも、この子ぼくを新しいマスターにしたがってるみたいなんだよ」
「バレてる……」
 ニャルルゥが頬を引きつらせて、トアキを見つめる。いや、バレるだろ、普通。
 野良猫生活しているよりも、トアキの元で居候していた方が安全であるし安定しているだろう。見たところトアキに懐いているようなので、別れるのも嫌なのだろう。
 残りのケーキを一口で食べ、トアキは俺を見やった。
「それで、どうしようかと思って……。どうしよう?」
 トアキはそう呟いた。


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ニャルルゥ Nyaruru
年齢不明 153cm 45kg
猫の遣い魔。マスターの魔術師が事故で急逝してしまい、野良猫生活をしていた。野良猫生活一ヶ月後にトアキに食べ物を貰い、恩返しの名目でトアキの家に押し掛ける。
魔術を使うことができるが、契約が失われ、魔力の補給もないので、強い魔術を使うことはできない。前マスターの元では家の手伝いなどもしていたため、家事などもある程度こなせる。
人型と猫型、どちらが本来の姿というわけではないが、猫型の方が燃費がよい。

携帯式護身用ハリセン
ハルがヒサメから貰ったもの。
高収縮性衝撃硬化金属繊維布で作られており、重量は900gほど。相手を叩いた瞬間に硬化するため、意外と破壊力は大きい。広げると盾になり、折りたたんだ状態では棒剣としても扱え、さらにトランプ箱程度の大きさに縮めることも可能。
収納状態から一振りでハリセン状へと展開する。
見かけの割に、無駄に高スペックな一品。