Index Top メイドの居る日常

第12話 おもてなし


 畳の香りが漂う、高級そうな十畳の和室。床の間に置かれた掛け軸と大振りな黒鞘の刀。掛け軸に書いてある文字は、えっと信……何タラ? 読めん。
 俺たちは重厚な檜の机に向き合って、座布団に正座していた。俺の知っている街の風景とは全く違う異世界。昔話か小説の世界にでも迷い込んだような……。
 うーん。居心地悪い。
 俺の正面ではナツギが落ち着き無く正座している。横に置かれた布包み。左隣には普通の顔で皐月が正座していた。こいつは平気そうだなぁ。
 左前にはシャルが座っている。傍らには刀が置かれいた。即座に居合いが打てる体勢。この子だけ周囲の風景から妙に浮いている。
 やることもなく外を見つめるナツギと俺。正面を向いたまま、ぼんやりしている皐月。膝の上に両手を乗せたまま静かに待っている絆奈。
「………」
 会話がなくて、本当に居心地悪いです。
 音もなく。
「失礼します」
 膝をついたまま絆奈が襖を開けた。
 先にお茶の乗ったお盆を部屋に入れる。湯飲み四つと茶菓子の置かれたお盆。絆奈は膝をついて滑るように部屋に入り、襖を閉めた。
 音もなく畳の上を歩いてきて、ナツギの横に移動する。
「どうぞ」
 ナツギの左前にお茶菓子、右前にお茶を置き、続けて俺の前にお茶とお茶菓子を置く。最後にシャルの前に置き、最後に自分の席の前に置いた。
 皐月の前には何も置かない。機械なので飲食はできないからだ。
 空いていた座布団へと座る絆奈。
「お召し上がり下さい」
「はい……」
 短く頷いて、ナツギがお茶を啜っていた。
 俺も一緒にお茶を啜る。素人でも分かるくらい高級なお茶っぽいけど、味分からん。絆奈とシャルもお茶を飲んでいた。
 一息ついてから湯飲みを置く。
「絆奈さんのお爺さんってどこに出かけてるんです?」
 口を開いたのは皐月だった。
 絆奈が皐月に眼を向ける。蒼みを帯びた黒い瞳。
「そうですね。仕事の書類整理と言っておりましたので、事務所だと思います。先日、カナタ中将から軍の裏切り者を暗――」
「お嬢様」
 シャルが囁くように声を発した。鋭い目付きで絆奈を見つめていた。といっても、あんまり目付き変わってないんだけど。
「さらっと機密事項を口に出さないで下さい」
「あら、すみません」
 絆奈が口元に手を当てて謝っている。
 反省している気配ゼロです、お嬢さん……。今ごく普通に無茶なこと言おうとしましたよね。軍事機密を一般人が不用意に知ると、場合によっては拘束されるそうですよ。
 頬を引きつらせて顔を合わせる俺とナツギ。多分同じこと考えてるな。
「それって海賊と内通してるって言われてた、ケ――」
「おらァッ!」
 俺の裏拳が皐月の顔面を捕らえた。
 メコッ、という堅柔らかい手応えとともに後ろにひっくり返る皐月。広がる栗色の髪。普通は女の顔面殴ることはしないけど――いや人間殴ることもしないけど、こいつは頑丈だから大丈夫。
 じんじんと痛む手を押さえる俺。
「痛ったいなぁ、何すんのー! 女の子の顔殴るなんて、お嫁にいけなくなったらどうするの。あなたが責任取ってくれるわけじゃないでしょ!」
「お前も会話に加わるなあッ!」
 寝言は無視して俺は声を張り上げた。
 皐月はハカセの持っているデータベースから色々な情報を引き出すことができるらしい。その中には機密情報なども含まれている。だが、こいつは時々気にせず口に出そうとする。せめて発言ロックかけて下さい、ハカセ。
 俺の反応に、皐月がにっこり笑った。
「冗談だって。ちょっとしたお茶目じゃない」
「……お茶目じゃない!」
 眼前に指を突きつけ、唸る。
 しかし反省する素振りも見せず口を尖らせる皐月。
「ケチー」
「お二人とも仲がいいんですね」
 そう言ったのはシャルだった。淡泊な眼差しで俺と皐月を眺めている。
 別に仲がいいというわけでもないんだけど、端から見ると仲がいいように見えるのかもしれない。そういえば、ソラ爺さんが似たようなこと言ってたな……。
「すみません」
 とりあえず謝ってから、俺は自分の席に戻った。座布団の上に正座し直す。客の立場でいきなりドツキ漫才始めるのは礼儀知らずだ。
 皐月も自分の場所に戻る。
 俺は空気を変えるように茶菓子の最中に手を伸ばした。口に入れると、控えめな甘さが広がっていく。美味しい。やっぱりこれも高級品なんだろうな。
 中庭に見える鹿威しが乾いた音を立てた。
 しんと静まりかえった空気。
 この不自然な空気が無ければ、風流なんだろうな、きっと。
「話すことがありませんね」
 絆奈が俺たちを見回した。
 元通り素知らぬ顔の皐月と、視線を泳がせる俺、ナツギは無言のまま畳の目を数えている。本気で我関せずって感じだ。会話に加われー!
「シリトリでもしてみましょうか?」
「何でシリトリだよ?」
 思わずナツギが声を上げる。
 もっともな意見だ。お前がツッコミ入れなければ俺がツッコミ入れていた。でも、お前が動いたんだから責任とってオチを付けろよ。
 眼鏡越しに俺を一別してから目蓋を落とすナツギ。
 頑張れ。俺は視線でそう告げた。
 楽しそうに微笑む絆奈。
「面白いと思いますよ、シリトリ。私、結構強いんですよ」
「いや、この雰囲気でシリトリやっても空しいだけだろ。いや、そもそも何でシリトリなんだよ。何で思いつくんだよ、この雰囲気で」
 ナツギが至極正論を口にする。
「シリトリはダメですか……」
 黒い眉を微かに寄せる絆奈。当たり前だけどなー。ちょっと……いや、かなりズレている。でも、俺は関わらない。頑張れナツギ。俺は見てるだけだけど。
 ナツギが横目で睨んでくる。対して、俺は天井の木目を数えていた。
 恨むような視線を飛ばしてくるけど無視。
「それでは、ポーカーはどうでしょう?」
 シャルがポケットからトランプを取り出した。
 手品などに使われるごく普通のトランプ。四角い箱から取り出して扇のように広げてみせる。器用だなぁ。器用だけど、一体何でこんなことしているんだろう?
 カコン、という鹿威しの音。
「いや、ポーカーって……」
 頭をがしがしと掻くナツギ。
 考えていることは分かるぞ。わざと言ってるかとも思う。もしかして、絆奈とシャルで俺たちをからかっているのではないかと。でも、多分違う。二人は素だ。
 トランプを閉じてから、両手で素早く切る。手慣れた動きで、妙に似合っている。
「それでは、ブラックジャックの方がいいでしょうか? それとも普通にババ抜きとか神経衰弱とか……。でも、それでは皐月さまが有利ですね」
 真面目な顔でそんなことを言う。やっぱりこの子たち、絆奈とシャルと揃って本気の天然ボケらしい。ナツギも何でここに来るのを嫌がったか今十分に分かった。分かったけど逃げ出せないよ。どうしよう?
 ナツギはどこへとなく視線を泳がせてから、声を上げた。
「えっと……ハル、お前も何か言ってやれ」
「俺?」
 自分を指差し、俺は間の抜けた声を上げる。
 ……このままやり過ごせると思ったのに、直接声をかけてくるとはッ。……くそっ! どうすればいいんだ! 眼鏡の奥に見えるナツギの瞳に喜びの光が灯る。ふざけるな!
 心中の葛藤は顔にも出さず、俺は答えた。
「お茶のおかわりお願いします」
 すごく普通だけど、我ながら最適な言葉だと思う。
「分かりました」
 絆奈はそう頷いて、座布団から立ち上がろうとした。
 立ち上がろうとして、ふと動きを止める。
「どうしました? お嬢様」
 シャルが声をかける。
 それには答えず、絆奈が動いた。ふわりと黒髪が跳ねる。
「曲者!」
 畳に置かれていたシャルの刀を左手で掴み上げ、親指で鍔を弾く。小さく跳ねた刀の柄を右手で掴むなり、破裂するような抜刀。刀を天井目掛けて投げ放つ!
 ドスッ。
 天井に刀が根本まで刺さっていた。
 その間、一秒にも満たない。おっとりした挙動とは比べ物にならない凄まじい俊敏性。瞳には刃物の輝きが光っていた。今までとは別人だった。
 天井板が外れて、大きな人影が落ちてくる。
「間者は、成敗します」
 絆奈の左手に握られた刀。床の間に置かれていた刀だった。かなり離れていたのに、何故か絆奈の手に収まっている。刃渡り八十センチはある大きな刀。
 シャルが横に飛び退き、絆奈が一歩前に出る。息のあった連携。
「御免!」
 部屋が揺れるほどの恐ろしく強烈な踏み込み。左足を前に出しながら、全身をひねるように右腕を振る。さらに鞘を掴んだ左腕を後ろに引き、高速の居合いを放った。
 空を走る白刃。
 それより一拍早く、シャルの両手に握られた拳銃。一切の躊躇無くトリガーを引く。十二発の弾丸が、怪しい人影に突き刺さった。
 が――
 大きく広がった絆奈の黒髪が、背中に落ちる。
「まー。相変わらず、出迎えが過激だねい。孫娘どもは」
 立っていたのは八十ほどの老人だった。身長は普通くらいで、体格も普通。短く刈った灰色の髪と皮肉げな笑みの浮かぶ口元。手入れが適当なヒゲ。身体を包むのは、黒いシャツと黒いズボン。両手首に鋼鉄製の腕輪がはめられている。アクセサリらしい。
「なかなか成長したな。色々修行を付けた甲斐があったものだ。お爺さんはとっても嬉しいぞ。でも不審者がオレって見抜いて欲しかったなぁ」
 口の端を上げる老人。
 無造作に持ち上げた右手の人差し指と中指で、絆奈の刀を白羽取りしている。
 一方、左手を開くと十二発の銃弾が床に落ちた。どういう原理か知らないが銃弾を掴み止めていた。人間業ではない。
 無造作に空のマガジンを落とし、シャルは次のマガジンを装填する。
「師匠とは分かっていましたが、不審者は構わず撃つよう師匠自身から言われているので。弱装ゴム弾頭なので当たっても物凄く痛いだけで死にませんし、どうせ師匠ですので実弾でも死にません」
「お爺さま、何をやっているんですか? 覗きは感心しませんよ」
 刀を引いて鞘に納め、絆奈が眉毛を斜めにした。天井裏から覗いていたことを怒っているらしい。覗きなどされたら、普通は怒る。
 さておき、この老人が絆奈の祖父のウミらしい。孫と全然似てないけど。
 しかし悪びれる様子もなく、ウミは笑っていた。
「孫娘と居候が若い男と話してたから、ちと様子見てた。変な動作したら斬ろうと思ったけど、そんな根性もなさそうだし。天井裏に潜むのは忍者みたいで楽しかったぞ」
 と俺たちを見てくる。ソラ爺さんやヤマさんとは違って随分と軽い性格だ。
 だが、俺たちは部屋の入り口に移動している。ナツギと俺が気をつけの姿勢で立っていた。ついでに、皐月も二人の間に立っている。今の騒ぎの最中に素早く移動したのだ。
「どうした?」
 訝るウミに、読み上げるように告げる。
「俺たちはこれにて失礼します。おもてなしありがとうございました」
「荷物は煮るなり焼くなりご自由にどうぞ。ウミさんなら爆発物でも大丈夫と思うので、オレたちは立ち会いません。それでは」
 三人揃って丁寧に一礼。俺とナツギで同時に頭を下げつつ、俺が皐月の頭を押さえてお辞儀させていた。荷物を届ける相手が来た以上、ここに居残る理由はない。
「あら。お帰りですか?」
「はい。お帰りです」
 マイペースな絆奈に、ナツギがきっぱりと答えた。迷ってはいけない。躊躇ってもいけない。考えてもいけない。俺たちが取る選択肢はただひとつ。
 ウミが呆気に取られたように自分を指差した。
「……いや、オレの出番これだけ?」
「これだけです。さようなら」
 反駁も許さず俺は答える。
 俺は左手でナツギは右手で、襖の掴みに手をかけた。静かに、だが素早く閉じる。
 あとは脇目もふらず帰途につくだけだった。

Back Top Next

 灰羽 ウミ Haibane Umi
 90歳 172cm 64kg
 絆奈の祖父。元中将にして灰羽流剣術の最高師範。
 かつては軍直属のエージェントとして任務をこなしてたが、引退して孫と二人暮らし。今でも時々依頼されて仕事をしている。絆奈とシャルの師匠。
 性格は楽観的で、冗談をよく言う。お洒落などにも気を遣い、ある意味年齢を感じさせない若さを持っている。時々笑えない冗談をやって絆奈に怒られている。
 かつて、ソラやヤマとともに怪物と畏れられた人間の一人。

 ちなみに、絆奈の両親は仕事で長期海外出張。来月帰国。


 銘 黒氷
 刃渡り 81.0cm(二尺七寸)
 床の間に置かれている刀。やや大振りで扱いにくい。

 ジグサク9mm自動拳銃
 海上都市タイガの軍で標準的に使用されている自動拳銃。装填弾数は十二発。小型で軽量、扱いやすく威力もそこそこあり、派手さはないものの地味な人気を誇る。
 シャルはジャケット内にマガジン二つとともに常備している。