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第9話 皐月の修理


「ヤマさんに殴られたって……」
 ヒサメが眉根を寄せて、ガシガシと頭を掻く。灰色の髪がやや乱れた。
 サヒ通りからハルたちと別れ、そのままヒサメの研究所へと直行。今に至る。
 研究所四階のヒサメの研究室。広い研究室の半分以上は機械に埋め尽くされていた。皐月が入ってくるまで、ヒサメは机に向かってパソコンを操作してた。机の近くにある窓からは、研究所の隣にある森林公園が見える。マジックミラーのようなガラスなので、外から室内は見えない。
 椅子に座ったまま、ヒサメは皐月を見つめている。コーヒーカップから漂う湯気。
「制御回路と骨格、エネルギー伝達回路に重度のダメージがあります。自己修復では回復が追いつきません。修理をお願いします」
 気をつけの姿勢で皐月は読み上げるように言った。他に言い方もないが。
 服装は白いジャケットとジーンズという恰好のまま。途中で着替えてもいないし、メイド服も持っていなかったので、そのまま研究所へとやって来た。
 ヒサメは何度か首を横に振る。
「まあ、それだけで済んでるってことは幸運だろうね、うん。あの人素手でビル解体できるし、三度も攻撃受けて原型止めていることは凄いことだよ、ホント……」
 言い訳とも愚痴ともつかないことを漏らすヒサメ。
 殴ったのがソラだったら、確実に自分は壊れていただろう。ここまで歩いてくることも出来なかったはずだ。打撃系と投げ技系の違いである。
「修理代はヤマさんに請求しよう」
 うんうんと納得したように頷き、ヒサメはパソコンを操作した。検査設備の起動を行ったようである。コーヒーを一口に飲み下してから皐月に向き直り、
「じゃ、服を全部脱いで。精密検査するよ」
「はい」
 頷いてから髪を縛っていた白いリボンを解き――
 皐月は動きを止めた。胡乱げに目蓋を落として、訊く。
「……マスターの前でですか?」
「私は検査と修理の準備をしてくるから、そこの寝台に寝ててシャットダウンしておくように。あと、ボディスーツも脱いでくれ。おそらくそれも壊れてる」
 ヒサメは一度肩を沈ませ、反動を付けて椅子から立ち上がった。ぱたぱたと白衣を叩いてから、部屋を出て行く。生脱衣を見物する気だったのかは分からない。
 ぱたんとドアが閉まった。
「分かりました」
 閉じたドアに向かって、返事をする。
 周囲に誰もいないことを確認し、皐月はジャケットに手を掛けた。丸いボタンを下から順番に外していく。手間取うこともない。半袖から両腕を引き抜いて手早く丁寧に畳み、服を入れるカゴを探し……
「無いなぁ」
 カゴはどこにもなかった。そう都合良くあるものでもない。
 とりあえず、近くにあった金属ラックのトレイに乗せる。本来は書類を入れるためのものだろうが、仕方ない。
「あとでマスターが片付けるよね」
 自分に言い訳するように、皐月は呟いた。
 空いている椅子に座ってから、靴と靴下を順番に脱ぐ。人間のように汗をかくとともなく靴擦れの心配もないので、靴下は不要かもしれない。が、そこは気分だ。
 椅子から立ち上がってからベルトを外し、裾に手を掛けてジーンズを脱ぐ。
 それらも丁寧に畳んでから、ジャケットの上に乗せた。最期にシャツを脱いで、ジーンズの上に乗せた。乱れた髪を手で梳かす。
「服脱ぐのって大変だよね」
 独りごちてから、皐月は何となく自分を見下ろした。
 身体を包む純白のボディスーツ。袖のないレオタードのような防護服。身体のラインがきれいに浮き出ているため、何も着ていない状態よりも色っぽいだろう。股間のハイレグが微妙にきわどい。
 お腹の辺りを撫でると、滑らかな繊維の手触り。生地の厚さはニミリほど。意外と分厚い。材質は聞かされていないが、カーボン系だろう。
「機械内部への衝撃に対して瞬間的に硬化し衝撃を受け流す特殊素材。人間がこの生地を装備すれば対物狙撃にも耐えられるようになる――んだけど、駄目じゃん……」
 表面に傷はないものの、内部機構にかなりの損傷。衝撃の波紋が、機構や骨格に無数の破損を刻み込んでいる。ヤマの攻撃を受けた左腕、右足の骨格にも大きな亀裂があった。普通に動く分には困らないが、全力で走ったら一分で折れるだろう。
 振動や波動は硬さで防げない、という言葉を思い出す。
「これはヤマさんが異常なんだけど……」
 言い訳してから、皐月は背中に手を伸ばした。このボディスーツは構造上このまま脱ぐことができない。首の真後ろにあるスイッチに手を触れると、接続が外れて腰の上辺りまでの生地が左右に別れる。
 スーツの左肩を掴んで左腕を引き抜き、続いて同じように右腕を引き抜いた。捲れそうになるのを押さえつつ、スーツを腰まで押し下げてから、右足、左足の順番に引き抜く。脱いだスーツも、畳んで服の上に置いた。
 ちらりと窓に映った姿を眺める。
 一糸まとわぬ全裸の少女。ボディスーツの下も人間と同じように作られている。皮膚の継ぎ目が見えなければ、人間と変わらないだろう。
 外部に損傷は見られない。
「うーん」
 胸を両手で撫でてみる。
 きれいな形で、柔らかさと弾力を程良く兼ね備えた美乳――なのだが、いまいち大きさが足りないように思える。大きいと動きにくいとは言われているのだが、納得はしにくい。この感情は、乙女回路っぽいモノのせいだろう。
 皐月は両手を降ろし、適当なメモ帳とペンを手に取った。
『バストアップ希望 +5cm』
「これでよし」
 頷いてから、皐月は寝台の隣まで歩いていく。
 キャスターの付いたベッド。病院の病室などで見かける処置台に似ていた。五百キロ以上の重量に耐えられるよう作られている。この台には機械が寝ることが多い。
 寝台の下からシーツを一枚取出し、広げる。
 皐月は寝台に仰向けに寝て、身体が隠れるようにシーツを掛けた。全裸のまま寝ているのを他人に見られたくはない。
「では、お休みなさい……」
 誰へとなく呟いてから、皐月は目を閉じた。

 Shuts Down Completely . . .

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 研究所の第三研究室にて。
「本当に壊れてる……。予想以上だ」
 机に並んだ検査写真を眺めながら、ヒサメは呻く。
 カーボンフレームが駄目だというのは覚悟していた。内部の機械が壊れているのも想定の範囲内である。しかし、人工筋肉や人口皮膚まで微細な亀裂が走っているのは、予想外だった。普通の打撃でこのような破損は起らない。
 偏執的なまでに防御処置を施した基幹部分が無事なのは救いだろう。
「さすが凶手のヤマ」
 海上都市ダイガで三本の指に入る最強の人間。文字通り伝説として、いくつものあり得ない話は聞いていた。その伝説は時々嘘でないかと疑うこともある。しかし、この都市で五指に入る性能のアンドロイドを圧倒した事実を見るに、その強さは本物なのだろう。その辺りの秘密は国家機密クラスのものだった。
 閑話休題。
「修理代一千万クレジット超えると思うけど、私のことは恨まないで下さい。壊したのはあなたなんですから、ヤマさん」
 誰へと無く言い訳してから、ヒサメは椅子から立ち上がった。

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 Safety Start . . . Completion .

 起動が終り、皐月は目を開けた。
 頭脳内に無数の情報が弾ける。
 約二十秒かけて状況を理解してから、皐月は短く吐息した。肺はないが。
「よかった無事に直って。……修理に三日もかかってるみたいだけど」
 寝ていた寝台から身体を起こす。胸元から落ちかけたシーツを右手で掴んだ。ボディースーツも着ていない状態。左手と右足が丸ごと取り替えられている。胴体の骨格も半分近く取り替えられていた。
 ふと思いついて胸を触ってみる。
 サイズは変わらず。
「………マスターのケチ」
 いまいち頼りない膨らみを無念げに撫でてから、右手を下ろした。
 自分がいるのは第三研究室。辺りに人はいない。周囲を見回してみても、服も置いていない。ついでに人の気配もない。
「マスター、居ませんか?」
 声を上げてみるが、返事もない。
 フッ。
 と微かな空気音とともに、部屋のドアが空いた。
 そちらに目をやり、皐月は瞬きする。
「?」
 とことこと歩いてくる女の子。
 年齢は十代前半だろう。身長百四十センチ弱と小柄な体格と、あどけない顔立ち。赤味がかった黄色い髪を腰の辺りまで伸していた。服装は茜色のブレザーと膝上丈の白いプリーツスカート、白いニーソックス、胸元に黄色いネクタイ。右手に紙袋を持っている。
 そして、頭には狐耳、腰の後ろからは尻尾が生えていた。
 尻尾を左右に揺らしながら、寝台の傍らまで歩いてくる女の子。
「どちら様ですか?」
 半ば棒読みに皐月は尋ねた。
 人間でないことは分かる。人外のものでもない。機械――自分と同じアンドロイド。ヒサメが作ったのだろうが、見知らぬ子だった。
「うー?」
 女の子は短く呟き、紙袋からA4のスケッチブックを取り出した。表紙をめくりポケットから取り出したペンで文字を書き込む。
 書いた文字を見せてきた。丁寧な文字。
「……キツネ子?」
 皐月は呆けたように、その文字を読み上げる。名前らしい。
「う」
 キツネ子はこくりと頷き、得意げに狐耳と尻尾を動かした。

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