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第8話 お嬢様と執事


 通りに立っている人間の視線。未知のものを見るような冷めた眼差し。
 その中心にいる俺とお嬢様っぽい女の子。それを指差し未成年略取とか言い放ったフユノ。パソコンの箱を抱えて辺りを眺めている皐月。
 ひそひそという話し声。
「道を尋ねられたから、警察に連れて行こうと思ったんだよ!」
 不審そうな表情で近づいているフユノと皐月を見ながら、俺は腕を振った。ついでに、周囲から飛んでくる視線の主に向かって。
「まあ、ハルがそんな度胸あるわけでもないしね。ちょっと言ってみただけ」
 悪びれる様子もなく、フユノ。ちょっととか言う理由で笑えない冗談飛ばすな!
 近くまでやってくると、女の子に目をやり、
「あなた、名前は?」
「私は時風サクと言います。初めまして」
 素直に答えてくれるサク。
 それはさておいて、時風ってどこかで聞いたことあるような……。多分、テレビで見たんだから、有名人? うーん、思い出せん。
「この子、時風グループの会長令嬢だね」
 皐月がこともなげに告げる。
 俺とフユノの視線を同時に受けながら、続けた。
「データベースに接続してみたけど、多分本人だよ。顔の特徴が一致するし、個人認証用の左目の網膜パターンも多分合ってる。よくできた偽物の可能性もあるけど、こんな所に偽物がいる理由が分からないし。本人でも分からないけど……」
「時風財閥って五大企業のTOKIKAZEか?」
 北地区最大の企業である、TOKIKAZE。各種機械の製造を主業務としているが、金融やサービス業なども同時に行っている。
「そうみたいです」
 頷くサク。
 ごくりと喉を鳴らしてから、フユノが訊く。
「……そんなお嬢さんが何でこんな所にいるの?」
「はい。サヒ通りにあるノーンさんのお宅に行こうと思い、一人で家を出て電車に乗ったのですが、気がついたらこのような場所に。困りました。サヒ通りにはどのように行けばいいでしょうか?」
 困ったように眉を傾け、サクが答えた。なんか、結構洒落になってないような。
「サヒ通りって南地区の高級住宅街だよね。ここは東地区だから、向かってる方向は全く違うと思うけど……。電車の乗り間違いで、ここまで来られるものでもないし。とりあえず、警察連れて行こうか」
 皐月は一人冷静に判断を下していた。機械っていきなりパニックに襲われることがないからな。時々羨ましくなる。
「そうだな。警察行くか。さ、一緒に行こう」
「はい」
 通りの端にある交番に向かい、俺たちは歩き出した。
 その瞬間。
「お嬢様あああああッ!」
 大音声が轟いた。よく響く男の声。
 まるで計ったように、ザッと人混みが左右に割れる。
 その開いたスペースを、凄まじい速度で走ってくる老紳士。
「ヤマさん」
 サクの呟き。ヤマというのが、名前らしい。
 年齢は少なくとも七十を越えている。体格は少なくとも老人のものではない。きれい整えられた銀髪と口髭。丸い銀縁眼鏡を掛け、柔和な顔に業火のような意思を灯していた。服装はぴしっと着こなされた黒いタキシード。
 絵に描いたような老執事という格好だった。
 明らかに人間離れした速度で疾走していなけば。
「そこの小僧ッ! お嬢様を誑かす不審者めが! この黒曜ヤマが天誅を下してくれるわ! 地獄で詫びろ、この不届きモノオオオ!」
 ええええ、俺? ってか、俺!
 真横に伸ばされる右手。シルクの手袋に包まれた開手だが、なにやら恐ろしいまでに危険なオーラを纏っている。どんな攻撃が放たれるかは不明だが、食らったら、死ぬ!
 数百メートル離れていたはずの距離が、すでに百メートル以下に縮められていた。速度は秒速二十メートルくらい。百メートルでも五秒で走り抜ける!
「うおおお!」
 生存本能に従い、俺は吼えた。ヤケクソの絶叫。
 腰を落として左足を半歩前に出し、右足と胴体を右に向ける。視線を正面に向け、左手を力無く下ろした。その際に小指だけを握り込むのがコツらしい。理由は知らん。腰の右側――相手から見て身体の裏側にある右拳を腰溜めに構える。握りは緩く。
 小細工なしの最大突き。
 ソラ爺さん、信じてます! 俺が死んだら、コレクション全部差し上げますから――って、違う、それじゃ逆効果だッ。面白半分で俺に変な拳法教えたんですから、責任取って下さい! 頑張れ、俺。撃て、殺人打法!
「この私を迎え撃つ気か、小僧!」
 叫ぶヤマ。距離は三十メートル。
 風が、吹く。
 それは皐月だった。抱えていた箱を置いて、飛び出す。
 こちらも人間離れした速度で、一気にヤマへと肉薄した。さすがはアンドロイド。その起動性能は人間をたやすく凌駕する。持ち主を守るのがアンドロイドの仕事だ。とにかく頑張れ、超頑張れ!
 お手本のように滑らかな動作で左拳を引き絞り、真直ぐに突き出した。
「ぬるいわ!」
 ヤマの腕が一閃。
 皐月が――吹っ飛んだ。
 理解の範疇を超えているが、九十キロ近い人型機械が高々と跳ね上げられる。呆気に取られた表情で、上下逆さまに宙を舞っていた。目測で地上十メートルまで飛んだと思う。
 人間じゃねええええ! 生き物でもねえええ!
「うおおおああああ!」
 決死の覚悟で――それこそ魔獣の覚醒でも異能力の発現でも超野菜人化でも起しそうな気合いを以て、ねじ込むように右拳を突き出す。全身を捻りながら、涙と鼻水を流し、全力全開の正拳突き。
 ぱしッ。
 ヤマの左手が拳を止めた。野球ボールでも受け止めるように軽々と。
 それだけで、足から力が抜ける。糸が切れたかのように、一瞬で脱力。何が起ったか分からぬまま、背中から道路へと叩き付けられた。その間一秒にも満たない。
「貴様の動き、ソラ殿の正拳だな。小僧、何者だ?」
 茶色の瞳に本気の殺意を灯し、訊いてくる。
 息できないから、答えられない! 左腕の関節極められて、死ぬほど痛い! ってソラ爺さんのお知り合いですかァ?
 刹那、皐月の蹴りが空を裂く。胴体を狙った横薙ぎの回し蹴り。
 しかし、ヤマは易々と反応している。俺を放し、ひょいと右手を持ち上げる。白い手袋に包まれた手が、皐月の足を掴んだ。野球選手のフルスイングよりも速い蹴りを、文字通り軽々と。
 驚愕に眼を見開く皐月。
 二人の姿がかき消えた。
 ガゴォン!
 重い音が辺りに響く。
 皐月が……ビルの壁面にめり込んでいた。近くにある五階建てのゲームショップの四階と五階の間に。あまりの衝撃に、壁と硝子窓に亀裂が走っている。蹴りの威力を利用して、投げ飛ばしたらしい。
 だが、皐月は自らを壁から引き剥がし、跳んだ。
「並のアンドロイドならとうにスクラップなのだが、頑丈な娘だな」
 一人感心したように、ヤマが呟いている。
 チッ。
 一瞬そんな音が聞こえた。皐月が何かしたらしいが、事前に察知したヤマは横に跳んでいる。二、三度小さな音を立ててから、地面に着地する皐月。
 沈み込むような体勢から、すくい上げるような右の掌底打。
「ぬるい、と言っておるだろう!」
 ヤマの叫びと、轟音が再び。地震でも起ったかのように、地面が揺れた。メガフロートの海上都市で地震など起るはずがないのに、地面が揺れた。
 皐月が道路にめり込んでいる。その胸にヤマの左腕が突き立てられていた。おそらくカウンターで左手を撃ち込んだのだろうが。
 道路の煉瓦敷きが、クレーターみたいに捲れてるんですけど……。
「これでトドメだ」
 右腕を持ち上げるヤマ。掌底の形に開かれた手。
 サクがその右腕を掴んだ。
「ヤマさん。待って下さい!」
「止めないで下さいませ、お嬢様。私はこれから誘拐犯に鉄槌を下さなければなりませぬ。しかるべき処置で行動不能にしたのち、警察に突き出します」
 白い髭を怒りに逆立たせ、ヤマは吼えた。
「私はその人たちに道を尋ねていただけです! 誘拐ではありません」
 サクが声を張り上げる。
 それで、ぴたりと殺気が消えた。
「えっと、この子がそこに倒れてるハルに道尋ねてたの。とりあえず警察に連れて行こうと思った所に、お爺さんが叫びながらやって来て、現在に至る。あたしたちは誘拐犯ではありませんので」
 空気と化していたフユノが手短に説明する。ありがとう、フユノ。とりあえず、流れは終息に向かってるぞ。あとでジュース奢ってやる!
 ヤマはまじまじとフユノを見つめてから、
「それは本当ですかな?」
「本当です。私はこの方たちに道を尋ねただけです」
 サクがそれを肯定する。
 ヤマの視線が泳いだ。何とか起き上がった俺、腕を掴んだままのサク、突っ立ったままのフユノ、動かない皐月を順番に見やってから、ぼんやりと空を見上げる。自分が大ポカをやった時の反応。俺と同じだ。
 おもむろに左手でぺしっと自分の額を叩いてから、
「う か つ♪ てへ――」
 シーン。
 静寂はむしろはっきりと聞こえた。
 場の温度が数度下がる。俺たちだけでなく、周囲の野次馬まで冷たい視線をヤマに送っていた。冗談で誤魔化そうと思ったようだが、明らかに失敗。
 数秒ほど視線を泳がせてから、コホンと咳払い。
 ぴしっと背筋を伸ばして、朗々と言葉を紡いだ。
「お嬢様は極度の方向音痴なので、よく迷子になられまして。今日も私が目を離している隙に、友人の家に出掛けてくると言い残し、一人で出掛けてしまいました。案の定迷子になってしまい、SP引き連れて必死に探しておりました。そして、お嬢様と一緒にいる怪しげな少年を見つけ、思わず飛びかかってしまった次第であります」
 状況説明で逃げに入ったか、爺さん。
 さておき。俺は地面に倒れたままの皐月に目をやった。見たところどこにも傷はない。ただ、動けないとなると内部に損傷があるということだ。ハカセの作った機械だから、壊れてはいないと思うけど。
「生きてるか?」
「何とか……ね。でも制御回路に損傷受けてるから動けないよ……。一番予備回路動かすまで一分くらいかかりそう。あと検査も必要だから、マスターにお願いしない、と」
 地面から俺を見上げて、擦れた声で答える。
「ヤマさんって、サイボーグか何か?」
 フユノの質問。周囲の人間が全員疑問に思っていたこと。
「いえ、100%正真正銘、生身の人間です」
 嘘つけッ!
 その場の全員が口に出さずに突っ込む。
 あぁ、そういや半月くらい前、ソラ爺さんが素手でアンドロイドぶっ壊してたっけな。猫型ロボットのヒノが盗まれた時に。その後一時間くらいして皐月が連れて帰ってきたっけ。もしかしたら、生身で機械壊せる人間って結構いるのかも。
「おお、思い出しましたよ。君は――葦茂ハルくんですな。ソラ殿が若い友人が出来たと言っていました。ソラ殿とはかつて何度も一緒に仕事をした間柄でしてな、今でも一緒に呑んだりしていますよ」
 はっはっはと、笑うヤマ。
「では、お嬢様。今日は大人しく帰りましょう。今度地図の読み方を教えますので、きっちりと覚えて下さいませ」
「はい」
 頷くサク。
 ヤマはおもむろに懐に手を入れ、何かを取り出した。ペットボトルの蓋くらいの円筒形の物体。それを足下に放る。
 ポン、と軽い音を立てて、煙が二人を包み込んだ。煙玉。
 決して大きな煙ではなかったが……
 煙が消えた時には、二人の姿は消えていた。
「忍者かよ……」


 一週間ほど経った後、お詫びの手紙と一緒に二万五千クレジットの図書カードが送られてきたことを追記しておく。

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 時風サク Tokikaze Saku
 14歳 151cm 43kg
 時風財閥会長の孫娘。お淑やかなお嬢さん。子供の頃から英才教育を受けており、勉強から運動、家事までほぼあらゆることをこなす。見た目の大人しさとは対照的に、かなりおてんば。護身用の柔術をヤマから教えられている。
 趣味は一人日帰り旅行であるが、致命的なまでの方向音痴。一人で遠くに出掛けると必ず迷子になり、周りの人間を心配させている。

 黒曜ヤマ Kokuyou Yama
 89歳 175cm 68kg
 時風サクの専属執事。執事歴70年の大ベテラン。時風財閥には、サクが生まれた時に雇われた。サクのことは孫のように可愛がっていて、時々暴走する。
 柔術の達人で合気の理合を極めている。また、尋常ならざる身体能力を持ち、生身でアンドロイドを叩き壊せる人間の一人。ソラとは古くからの友人兼宿敵、今まで何度か戦ったことがあるが、未だ決着はついていない。

 皐月内蔵装備

 ブリッツグランス Blitz Glance
 両目部に装備された発振器からレーザーを飛ばし、空気のプラズマ化を利用して標的へと電流を疾らせる機構。電圧は調整可能で落雷並の電撃も作れるが、普通は相手を気絶させることを目的としている。