Index Top 第6章 鋼の書

第1節 戦いの始まり


 準備は全部終わった。
「一矢殿の元にはシギと原稿用紙三枚。ハドロ殿の元には、鋼の書と白の剣、あとグレートディーヴァ・エイゲア」
 何度も行った干渉によって、双方の戦力はほぼ互角になっている。
 いくらか手を加えすぎたきらいはあるものの、説明なしで一矢に鋼の書を渡したのだから仕方ない。手を加えなければ、物語はあらぬ方向へと進んでいた。一矢はこの世界で生き抜くのが精一杯で、物語を作ることまでは気が回らないだろう。
「私のやることは、もうない」
 自分の役割は、物語の進行を助けること。
 だが、実際に物語を進めるのは、物語の登場人物たちだ。一矢とテイルもその登場人物に含まれる。自分も同じ。しかし、自分を含めた三人は、この世界を外から見ることができるという点で、他の登場人物たちと一線をきする。
 物語は、最終章へと突入した。
「決着までは、私にも分からない」
 一矢が原稿用紙を使い、ハドロを打ち破るか。ハドロがエイゲアを使い、一矢たちを全滅させるか。結果は、知らない。
「できれば、一矢殿には死んでもらいたくないですね……」
 呟いて、ノヴェルは決戦の場を見つめた。


 廃墟と化した城の手前で馬車を停めた。
 既に日は沈み、辺りには薄い夜の闇が訪れている。西の空はまだ黄昏色を残しているものの、空は深い紫色に染まり、東の方にはいくつかの星が淡く輝いていた。南の空には半月が浮かんでいる。北に目を向けると、山地の黒い稜線が見える。しかし、あと少しで漆黒の夜空に溶けてしまうだろう。南の空には、半月が浮かんでいた。
 御者台からアルテルフが飛び降りる。
 一矢はメモリアと一緒に、荷台から降りた。腰に差した刀や腕にはめた小手などの防具と、マントに収めた原稿用紙を確認する。
 マントの襟元から抜け出したテイルが、廃城を見やった。
「いよいよ最終決戦ね」
「そうだな」
 シギは荷台に置いてあった大剣を肩に担ぐ。剣の重量を肩で受け止めているため、刃が肉に食い込んでいた。しかし、体質のおかげか何ともないらしい。
「行くぞ」
 シギは大剣を担いだまま、城に足を進める。
 一矢たちも後に続いた。
 アルテルフは懐からリボルバーを取り出し、
「シルバー・ブリッツ」
 魔法によって具現化した弾丸を装填した。弾丸を入れたリボルバーを肩の高さに構え、油断なく周囲に目を走らせる。いつでも銃撃できる態勢だ。
「ライト・チップ」
 メモリアの魔法によって、杖の先に明かりが灯る。たいまつほどの明るさ。辺りを照らすには物足りないが、月の光がそれを補っていた。
 一矢は原稿用紙を一枚取り出す。自分は魔法も気術も特異能力も使えない。この原稿用紙だけが武器である。戦いの行方に最も影響を与える武器。
「扱いには、十分注意してよ」
「分かってる」
 傍らに浮かんでいるテイルの言葉に、一矢は答えた。
 この原稿用紙に文章を書き込むことは、自分にしかできない。この原稿用紙に書く文章が勝敗を左右する。自分は戦えないというのに、勝負の行方を握っていた。
 一矢は廃城を見上げる。
 城といっても、王城のような豪華で巨大な建物ではない。城としては小さい方だろう。石造りの城壁の中に、石造りの城がある。しかし、城壁も含めて、その半分が崩れていた。棄てられてから、相当な月日が立っているらしい。
「さてと――」
 シギは城の庭で足を止めた。
 アルテルフの屋敷の庭と広さは同じくらい。元は石畳が敷かれていたのだろう。平たい石の破片が散らばっている。だが、それらは庭を埋め尽くす雑草に隠されていた。
「そろそろ何か反応があっても、いい頃だが」
 警戒の眼差しで、シギは周りを見回す。が、何の変化もない。
「もしかして、逃げたのか」
 そんなことを間がえると――
「来る」
 メモリアが呟いた。
 その言葉に、全員が身構える。
 同じくして、庭の中心辺りの空間に切れ目が現れた。
 そこから、漆黒の魔物が姿を現す。
《それは、もはやディーヴァとは呼べなかった。
 身長は三メートルを超える。邪悪を実体化させたような顔、頭には二対の角が生え、口には岩をも食いちぎる頑強な牙が並んでいた。闇そのもので染めたような漆黒の身体は、鋼鉄よりも硬い。神気を込めた剣でも傷をつけることはできない。その身体からは、何本もの銀色の剣が生えていた。その剣は、鋼鉄の板すら紙のように切断する。背中から生えた巨大な翼は盾にもなる。両手の指先からは、細い刃が伸びている。この刃も身体の剣同様、鋼鉄をも容易に貫き、紙くずのように引き裂く切れ味を持っている。
 それは、まさしく刃の魔獣である。
 何人たりとも倒すことのできない、ストーリア最強の怪物・エイゲア。
 その力は、シギの力を遥かに凌駕している》
「鋼の書か……」
 一矢は呟いた。何かが変わったわけではない。だが、鋼の書に何度も文章を書き込んだおかげだろう。鋼の書に干渉された気配を感じる。
「一矢、頼むぞ!」
 言って、シギは大剣を放り投げた。大剣は空中で一回転し、地面に突き刺さる。

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12/6/10