Index Top 第1章 主人公を探せ

第2節 勝手に動く物語


 その声に、周囲を歩いていた人の視線が一斉に集まる。
「―――!」
 一矢は地面に落ちていた鋼の書を拾い上げた。ページを開き――
《空いている左手を伸ばし、テイルを掴むと、鋼の書を口にくわえる。右手でメモリアの腕を掴んで、手近な路地へと飛び込んだ。肩越しに見やると、人々は特に何をするでもなく、元の動きに戻っていく。誰もテイルには気づかなかったらしい。
 人気のない所まで逃げてから、一矢は手と口を開けた――》
 鋼の書が地面に落ちる。同じように、一矢もその場に腰を落とした。さきほどよりも重さの増した疲労が身体にのしかかってくる。動けない。
「大丈夫?」
 訊いてくるメモリアに、一矢はぐったりとした眼差しを向ける。
「大丈夫に……見えるかい?」
「ううん」
 メモリアは首を横に振った。これで大丈夫に見えると言われてしまっては、返す言葉もないが。別のことを訊いてくる。
「それより、お兄さんは誰なの? どうしてわたしの名前、知ってるの? それに、この妖精さんは――?」
「僕は……げほ……」
 咳き込みながら、一矢は立ち上がった。拾い上げた鋼の書をしまいながら、呼吸を整えるように深呼吸をする。疲労は残っているが、問いには答えなければならない。
「僕は一矢だ。こっちの妖精はテイル。わけあって一緒に旅をしてる」
「イッシさんに、テイルさん?」
 二人を交互に見やり、メモリアは呟いた。
「何で、イッシさんはわたしの名前知ってるの?」
 三度目の質問。だが、相手を納得させられるような答えは考えつかない。ありのままを話しても、信じてはもらえないだろう。
 一矢は思索するように視線を上げてから、口を開いた。
「それは、僕が君を探していたから……だと思う」
 そう言うと、メモリアの顔に薄い影のような警戒の色が映る。
「何でわたしを探してたの?」
「君だけを探してたわけじゃない……。僕が探していた人間は何人もいた……。けど、見つかったのは君だったんだ。君を探してた理由は……用があるから、だと思う……」
「何だか、よく分からない……」
 台詞通りの表情で、メモリアは人差し指で頬をかく。言っている当人でさえ半ば分かっていないことを、聞いている相手が理解できるはずがない。
「念のため言っとくけど、こいつは頭がおかしいわけじゃないから。自分が置かれてる事態が呑み込めなくて、混乱してるだけよ」
 羽を動かしてメモリアの前に移動し、テイルが呟く。
 渋い表情を見せる一矢と、涼しげに浮かんでいるテイルを見ながら、メモリアが訊いてきた。自然の成り行きで疑問に思ったのだろう。
「何があったの?」
「結論から言うと――こいつは、別の世界からやって来たのよ」
「え?」
「おい!」
 聞きとがめて一矢は手を伸ばすが、声も手も届かない。
 呆気に取られた顔をしているメモリアを見つめて、テイルは続ける。
「こいつは、元々別の世界に住んでたの。でも、ひょんなことから、この世界に引きずり込まれちゃったわけ。で、あなたに元の世界に戻る手がかりがあると思ってるのよ」
「……本当なの?」
 一矢を見つめて、メモリアが感情のない声音で訊いてくる。荒唐無稽な話で、にわかには信じられないのだろう。自分が同じ立場に立たされたなら、信じない。
 陰鬱に、一矢は答えた。
「本当だけど……君は信じてくれるか?」
 メモリアは何かを確かめるように一矢を見つめてから。
 笑顔で頷く。
「うん、信じる。イッシさん、嘘言っているようには見えないし。でも……わたし、どうしたらいいの? わたしじゃ何もできないよ」
「だけど、君の連れなら何とかできるんじゃないか? 君には、一緒に旅をしてる男がいるだろ? 白い髪に白い服の、剣を使う二十歳くらいの男が」
 メモリアが出ていた小説では、この男が主人公だった。ギカという名のその男が、自分が作る物語の主人公になるのだろう。
 そう思ったのだが……
「それって、シギさんのこと?」
「シギ……さん?」
 一矢は間の抜けた声を出した。聞いたことのない名前である。
 メモリアに背を向け、一矢はテイルに向かって手招きをした。近づいてきたテイルに、耳打ちするように問いかける。
「なあ、メモリアと一緒に旅をしてるのはギカって男のはずなんだけど、何で違うんだ? シギなんて名前の登場人物、考えたこともないぞ……?」
「前にも言ったけど、この世界はあなたの作った世界だけど、あなたの手を離れて一人歩きしてるのよ。何が起こるかは、ほとんど予想できないわ」
「そうか……」
 唸って、一矢はメモリアに向き直った。メモリアと一緒に旅をしているシギという男は、一人歩きしたこの世界が作り上げた人物なのだろう。
「なら、そのシギとやらに会わせてくれないか? どこにいるんだ」
 一矢が言うと、メモリアはきまり悪そうに目を逸らす。
「ごめん。わたし、シギさんがどこにいるか分からないんだ……。この街に来た時は一緒にいたんだけど、いつの間にかはぐれちゃって――」
「あ……」
 一矢は左手で顔を覆った。設定では、メモリアは方向音痴。以前書いた小説の中でも、登場した時は迷子になっていたことを思い出す。
「じゃあ、一緒に探そうか」
 自分で作った設定を恨みながら、一矢は言った。

Back Top Next

11/9/18