Index Top 第1章 主人公を探せ

第1節 見つけた女の子


 カシアイは、二本の街道が交差した地点を中心に広がった宿場町である。辺境と呼べるこの地方にある街を見れば、平均より広いといえるだろう。そこには毎日、街道を行き来する旅人などが立ち寄り、宿に泊まったり食事を取ったり買い物をしたりしている。
 そんなことをよそに。
「うぅ……」
 路地裏の木箱に座り、一矢は呻き声を上げていた。今までに感じたことのないほどの疲労が身体を蝕んでいる。身体中が痛い。
「半日ってのが、昼間の半分でよかった……」
「だらしないわねー。あなた、男でしょ」
 一矢の前に浮かんだまま、テイルが言ってきた。
「人の頭の上に座って楽してた奴が言うな……。それに、休憩ありでも現代人が六時間も歩くことなんかないんだよ……」
 傍らに置いてあった鋼の書を掴んで、一矢は木箱から腰を上げた。足に力が入らないが、いつまでも座っているわけにもいかない。ひとつ気になることがある。
「何か街道で話してる時から今まで、何と言うか……時間が吹っ飛んだような感じを覚えるんだけど……。記憶は確かにあるのに。何なんだ、これ?」
「時間が飛んでるのよ。鋼の書を開けば分かると思うけど、あたしたちが街道歩いてる時のことは書かれてないでしょ?」
 言われた通りに、鋼の書を開く。街道を歩いている最中のことは、書かれていない。歩き出す寸前から、町に着くまでの文章が省かれていた。
「この世界じゃ、鋼の書に書かれてないことは起こっていない。厳密に言うと、起こったことになっているけど、起こっていないのよ……あれ、逆かな? とにかく、現実世界からやって来たあなたは、それを不自然に感じるわけ。そのうち慣れるわ」
「分かった」
 固まった筋肉をほぐすように身体を動かしてから、一矢は通りに目を移す。いつまでもここで休憩しているわけにはいかない。テイルを見やり、
「なあ、君は隠れてた方がいいんじゃないか? この世界でも、妖精は珍しいだろ? 見つかったら、騒ぎになるかもしれない」
 ここに来る途中は人と会わなかったからいいが、見つかったら面倒なことになるだろう。珍しがって捕まえようとする人がいるかもしれない。
「そうね」
 言いながら、テイルは一矢のマントにもぐりこんだ。襟元から肩から上だけを出す。これならば、見つかることもないだろう。
 一矢は通りに出て、歩き出した。疲れているので、速くは歩けない。町の中心に近づくにつれ、人の姿が目立ってくる。
「……しかし、この調子で主人公が見つかるのか?」
 人目を気にしながら、一矢は呟いた。テイルにだけ聞こえるほどの小声である。周りの人間は自分たちのことを気にも留めていない。
「探すしかないでしょ。見つけないと、物語は進まないんだから」
 テイルは他人事のように言ってのけた。
 一矢はマントから鋼の書を取り出して、
「いっそ鋼の書で、主人公を出してみるか?」
「ご都合主義って、取り消し線が引かれると思うけど」
「………」
 鋼の書をマントの中にしまい、空を見上げる。高く澄み切った空は夕刻色に染まり始めていた。引っかき傷のような白い雲が浮かんでいる。あと二、三時間で夜になってしまう。宿る泊まるための金はない。
 ふと気になって、一矢はぼそりと呟いた。
「そういえば、テイル……。小説の使者って男、知ってるか?」
「小説の使者?」
 その名前を、テイルは胡散臭そうに繰り返す。
「知らないわよ。誰それ?」
「僕に鋼の書を渡した男なんだけど……」
「うーん」
 考え込むようなテイルの声を聞きながら、一矢は他のことを尋ねた。小説の使者が言っていたこと。小説のために命を懸ける勇気があればの話ですが……
「もし、僕がここで死んだら、どうなる?」
「この世界ごと消えるわ。生き返るなんて都合のいいことはないから、気をつけてね」
 無情にも、テイルが言ってくる。冗談を言っているようには聞こえない。
 ここでの死は、現実の死。
(まさしく、命懸けの文章か……)
 一矢は心中で呟いた。鋼の書に触れてしまったことを、改めて後悔する。ここで物語を進めるのは、現実で小説を書くより難しく、危険なのだ。今まで書いた小説の傾向から考えても、この小説の世界から死なずに戻れる保証はない。
 テイルが呟いた。
「一矢、ぶつかる」
「へ?」
 ドン、と誰かが一矢にぶつかる。思い切り体当たりをされたわけではない。ただ、ぶつかっただけだ。しかし、テイルの言葉に中途半端に身体の向きを変えたためだろう。一矢は踏みとどまろうとして、逆に足をもつれさせる。
 そのまま、仰向けに倒れた。マントから抜け落ちた鋼の書が転がる。
「……痛い」
「あっ、ごめんなさい。大丈夫? お兄さん」
 どことなく間延びした声が降ってきた。それは、自分よりもやや年下の少女のものである。年齢にすれば十二、三歳といったことろか。
「大丈夫だ……」
 答えながら、一矢は立ち上がった。少女の方に向き直り――
 固まる。
「メモリア・カゼステフ……!」
 少女を凝視し、一矢は呟いた。
 声の通り、年齢は十二、三歳だろう。緩く一房に編まれた長い亜麻色の髪、瞳は澄んだ青色で、愛嬌のある顔立ちをしている。左右に腰までスリットのある若草色の法衣をまとい、白いズボンを履いていた。背中に鍵のような形をした銀の杖を背負っている。
 少女は目を丸くして、
「お兄さん……何で、わたしの名前知ってるの――!」
「そ、それは……」
 一矢は返答に窮した。時間を稼ぐような心地で、頭をかく。やや古臭く、懐かしい名前。メモリアは、自分が初めて書いた長編小説の登場人物だ。しかし、それを真正直に言うわけにはいかなだろう。
 何を言っていいか分からず、視線を逸らす。
 その先にテイルが浮かんでいた。一矢が倒れる前に逃げ出したらしい。
「あ」
「お兄さん、どうかしたの?」
 一矢の視線を追うように、メモリアもテイルを見つめる。ぱちくりと瞬きをしてから、びっくりしたような声を出した。
「妖精!」

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11/9/11