Index Top 目が覚めたらキツネ

第1節 決闘開始


 時間は深夜十二時五分前。
 公園の中央広場。漆黒の闇が辺りを覆っている。それを押しのける外灯の灯り。噴水は止まっていた。初夏の夜気は生暖かく、そよ風が頬に涼しい。人の気配はない。周囲の建物全てから人が消えている。
「箱庭の異界……。これならいくら壊しても実際の被害は出ないな」
 本物と寸分違わぬ仮想並列世界を作り出す、上級儀式術。守護十家が十年に一度、大規模演習などを行う時に使うような非常に特異な術だ。範囲は市街地全部を覆うほど。周囲にあるものは本物でありながら、本物とは違う。
 物と植物だけを写し、動物の存在しない仮想世界。
「お待ちしていました」
 空刹が静かに声を上げる。
「カルミア」
 周囲を見回してから、空刹の持つ檻を見やった。細い針金で出来た虫かごのような檻。閉じこめられたカルミアが声を上げる。
「シンイチさん。イベリス! やっぱり来てくれたんですね」
「当たり前だ。見捨てる理由もない」
 慎一はにやりと口端を持ち上げた。四本の尻尾が動く。
 距離は二十五メートル。
「マスターに任せて、必ず姉さんを助けるから」
 イベリスの言葉を聞きながら、刀の封印を解く。髪の紐と布を取り払い、一度畳んでから懐にしまった。むき出しになった鉄の刃。瘴気が空気を蝕む。
 初めて使う武器だが、間合いも重心も力も理解していた。
 禍々しい力に、カルミアが息を呑む。
 空刹は感心したように刀を見つめた。
「尻尾を四本に増やし、マガツカミの鉄剣の写刀まで持ち出して、本気ですね。宗次郎さんは避難させましたか、賢い判断です」
「決闘は一対一でやるものだ。死ぬ覚悟も出来てるさ。死ぬ気はないけど」
 親指を下犬歯に引っかけ、押し込む。
 ズン――と、身体の芯を撃ち抜く衝撃。限開式。脊髄から尻尾へ。手足の神経を通して、指先まで力が流れ込む。法力が増えているおかげで、負荷はほとんどない。
「さて、決闘はどこまでやる気だ? 僕も未だに納得出来ないんだけど。そもそもこんなことする理由があるのか?」
「理由ですか……」
 空刹は苦笑してから、マントから大剣を取り出した。大人の背丈ほどもある鉄板のような剣。妖力などのような力は感じられない。だが、ただの剣ではない。
「あなたも僕も、カルミアくんとイベリスくんを手元に置きたいと考えている。しかし、両者譲らず、話し合いの余地もない。となれば、交渉決裂、正々堂々決闘で決着をつける。これでは不満ですか?」
「異論はない」
「では――」
 空刹が腕を振った。カルミアの入った檻を軽く放り投げる。
 慎一は右手を差し出して檻を掴み止めた。本来ならばこれを囮にして攻撃を仕掛けるのだが、空刹は元の場所から動いていなかった。大剣を担いで笑う。
「普通はここから決闘の流れになるのですが……困りました」
「二人を抱えたままじゃ、本気で戦えない」
 慎一は妖精二人を見つめた。檻の中で眼を回しているカルミアと、抱えられたまま表情を変えないイベリス。賭の対象を手元に置いたままでは本気で戦えない。
「実は僕も今その事実に気づきました。決闘をすることだけ考えていて、うっかりしていましたよ。これは、どうしましょう?」
「ええと……何でそうなるんですか?」
 真顔で困っている空刹に、思わず訊き返すカルミア。
 イベリスが冷めた眼で空刹を見つめる。
「相変わらず、あなたは抜けている。変わっていない」
 音もなく。
 空刹の目の前に白い箱のような物が現れた。転移の魔法。
 紙粘土のような、その物体が――爆ぜる。
 白光と空を裂く爆音。指向性を持った爆炎が、数十センチの距離から顔面を襲った。規模は小さいものの、破壊力は五度の爆砕符を上回っている。これだけで倒せるとは思わないが、無傷で済むものでもない。持っていた大剣が地面に落ちる。
「ぐ……。油断しましたよ」
 顔を押さえたままよろめく空刹。
 間髪容れず、無数の影獣が地面から現れた。十匹、二十匹という数ではない。軽く百は越えている。前後左右、上空に地面の全方向から空刹へと飛びかかった。
 空中高く跳ね上げられた大剣を、黒い影が掴む。
「リリル?」
 腕を引っ張られて慎一は我に返る。
「逃げるわよ!」
 結奈だった。馬ほどもある影獣に跨り、慎一の腕を掴んでいた。

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