Index Top 目が覚めたらキツネ

第4節 決闘申し込み


「空刹」
 涼しげに佇む男を見つめ、慎一はその名を呟いた。
 現れた瞬間は見ていない。だが、事実としてそこ立っている。武器はない。両手を下ろした自然体。それでも安全である保証はない。
「あのタイミングで現れた奴が黒幕。結奈くんの言う通りですね」
「お前は、何がしたいんだ?」
 単刀直入に訊く。朝からその行動を見ているが、目的が分からない。いや、目的があるとも思えなかった。気まぐれに事態を引っかき回しているようにしか見えない。
 空刹は首を左右に振ってから、
「すみません、慎一くん。君の納得のいく答えは出せません。答えを聞いても、君は怒るだけでしょう。ならば、聞かない方が利口です」
「知的好奇心の赴くまま、ってとこかしら? 綺麗に言えば」
 慎一の前に出て、結奈は口の端を上げる。
「そんなところです。現時点では蓮次くんとの契約が終了しました。何でも屋ソラとしての仕事はここで終わりです」
 そう言うと、空刹は周囲を見回した。壊れた大学。グラウンドは穴だらけで、横の林も半分消えている。大学棟にも亀裂が多数。修復には時間がかかるだろう。
 空刹の腕の一振りで、その損傷が修復を始めた。
「………」
 あまりの技量に言葉を失う。膨大な妖力が空間を満たし、修復の術を構成。壊れた物の記憶を引き戻し、急速に元の状態へと変化させていく。
 およそ二十秒で全てが元通りになった。戦闘の跡は残っていない。
「ここからは、科学者空刹としての行動です」
 声は後ろから聞こえた。
 振り向き、構えを取る。
 宗次郎の後ろに空刹が佇んでいた。
「カルミア、イベリス! 逃げろ!」
 声に反応する間もない。空中から現れた小さな檻が、カルミアを捕まえた。檻を持ったまま、後ろに退く空刹。誰も反応できない速度。
「クウセツさん。何で……!」
 檻を掴み、カルミアは空刹を見つめた。
「すみません。君に危害を加えるつもりはありません。カルミアくんには、個人的な話がありまして。それに、僕の目的は最初から封術・法衣を手に入れることです。蓮次くんの仕事はその一手段でしたし、蓮次くんが手に入れても、奪うつもりでした」
 どこか寂しげに、しかし丁寧に説明する空刹。
 身構える慎一、結奈、宗次郎。しかし、動けない。消耗が酷すぎる上に、相手の力も圧倒的すぎる。万が一にも勝ち目はない。
 恐怖という感情を持たぬイベリスだけが、言葉を紡ぐ。
「元マスター。なぜ私を連れて行かない?」
「イベリスくん。君がそれを訊きますか?」
 苦笑いとともに放たれた台詞に、イベリスは黙した。言いたいことは理解したらしい。羽を動かし、慎一の傍らまで飛んで来る。
「慎一くん。君に決闘を申し込みます」
 空刹は脈絡無く宣言した。
「時間は今夜十二時。場所は市役所隣の大場公園。あらかじめ、周辺の人は払っておきます。いくら暴れても人的被害は出ません。遠慮せず戦って下さい」
 息を吸い、闇夜に響くような声音で静かに吼える。
「もし君がカルミアくんを取り戻したいなら、イベリスくんと一緒に来て下さい。君が勝てば、カルミアくんを返します。君が負けたら、イベリスくんは僕が貰って行きます。結奈くんや宗次郎さんの加勢を得ても構いません」
「何がしたいんだ! ふざけてるのか!」
 自分勝手な物言いに、慎一は叫んでいた。尻尾の毛が逆立つ。
 すっと空刹の目付きが鋭くなった。
「僕はいつも本気ですよ。大事なものを守るには、それに見合ったものを懸けなければならない。カルミアくんを助けたいなら、命を懸けて戦い奪い返して下さい。そうでなければ、大人しく息を潜めていて下さい。選択は君に任せます」
「最強者の矛盾……」
 イベリスが独りごちる。
「これをどうぞ」
 空刹が小瓶を三つ投げた。透明な小瓶が、地面に落ちる。
 顔を上げると、空刹は消えていた。カルミアと一緒に。
 結奈は小瓶を拾い上げて、蓋を開ける。中身を観察してから、くすと笑った。
「エリクシル……ね。本物よ」
 生命の水と呼ばれる魔術の秘薬。飲むだけで、どのような傷も病も癒すことができる。小瓶一本で、数億の値が付く希少品。それを無造作に放ってきた。
「大体、あいつの考えは分かったわ」
 小瓶の中身を飲み干し、結奈は鼻を鳴らした。
「恨まないでね、慎一。あたしは別行動取らせて貰うわ。日暈と沼護じゃ、戦法が違いすぎるから。あたしはあたしのやり方で、あいつを――倒す。もしあたしに何かあったら、飛影によろしく言ってといてね?」
 それだけ言い残すと、夜の闇に消える。追うことはしない。
 慎一は小瓶を手に取った。蓋を開けて、中身を見る。
「毒じゃない。それは本物。あの人は、そういう小細工はしない。あの人はあなたと全力で戦うことを望んでいる」
 イベリスの言葉を聞きながら、慎一は中身を飲み干した。
 胃の辺りから発した熱が、身体を駆け抜ける。それだけ。それだけで、疲労も消耗も消え失せていた。むしろ、通常時よりも力が漲っている。
 宗次郎が小瓶を拾い上げ、肩をすくめた。
「俺は怪我もしてないから、その薬はお前が使ってくれ」
「分かりました」
 投げられた小瓶を受け取り、慎一は頷く。

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