Index Top 目が覚めたらキツネ

第4節 待ち構える者


 空刹の左手に乗せられた鏡。
 直径十五センチの丸い鏡。材質は青銅のようなものだが、銅鏡のような文様はない。傷や曇りなどもない。鏡面処理されたただの円盤に見える。古い鏡であるらしい。
「ここが一番手薄ですね」
 空刹は市役所の裏口を示した。
 市役所敷地内と周辺で、罠は百五十三箇所。穏行の術と爆砕の術を組み合わせた、対人地雷のような罠。一般人が触れても作動せず、術力を持つ者が近づくと発動する。死ぬほどではないが、確実に手負いとなる威力に作られていた。
 だが、空刹は鏡を用いた哨界の術で、残らず探り当てている。ダウジングのようなものと言っている。慎一たちだけでは、こう手際よく探索は出来ない。
「クウセツさんって、凄いです」
 慎一の肩で、カルミアが呟いている。
 空刹はカルミアを見やり、微笑んで見せた。
「扉の裏に地雷符三枚――」
 右手を扉に触れさせる。アルミ製の扉。壁との隙間から、するりと滑るように術符が抜け出してきた。術式と文様が画かれた紙幣ほどの紙。
 空刹は術符を掴み、マントに回収する。後日証拠として提出するらしい。
「よく分かるな。あんた」
「経験ですよ。では、行きましょう」
 宗次郎の問いに涼しげに答え、ドアを開ける。非常階段へと続く裏口。
 人はいない。元々人気のない場所に加えて、人ならざる者――慎一と空刹がいる。無意識のうちに人間は近づくことを避けていくのだ。
「上ですね。おそらく屋上です」
 空刹を先頭に結奈、宗次郎、慎一の順番で階段を昇っていく。八階建ての市庁舎。年季の入った階段。非常階段ということもあり、積極的に掃除は行われていないらしい。隅に埃が溜まっていた。
「まるで、元から知っているみたいね?」
 結奈はからかうように空刹を眺める。
「知っているという表現も間違いではないです。何事にも定石というものがありますからね。山林でゲリラ戦を行うならともかく、こんな場所で地雷符を仕掛けるとなると、場所はおのずと限られますよ」
 人差し指を振りながら、空刹は答えた。お手本のような曖昧な答え。嘘とも本当ともつかない。階段を眺めながら術を用いて、地雷符を取り出していく。
 階段の中央から三十センチほど外れた辺り。今までもそうだった。無意識のうちに通りそうな場所に仕掛けてある。
「ただ、ですね」
 ふと思いついたように、空刹が口を開いた。
 二階から三階へと続く狭い踊り場。
「この通路、罠なんですよ」
 空刹は右手を閃かせ、結奈と宗次郎を二階へと突き落とした。予想外の行動に、呆気に取られたまま階段下へと落ちていく二人。慎一の肩に掴まっているカルミアを左手で掴み、自分も後を追うように飛び降りる。
 瞬きひとつ分の出来事。
 踊り場に片足掛けかけたまま、一人残される慎一。
「あんた……鬼か!」
「では、足止めお願いします」
 視線での会話。歯を食いしばる慎一と、軽やかに笑う空刹。
 法力が空間を覆った。強力な術式が、慎一ごと踊り場と階段を呑み込む。今までの地雷符とは規模も種類も違う術。雷術・空雷殺。一定空間に稲妻を走らせる攻撃術。
「発!」
 声は慎一のものだった。全身から放たれた剣気が、空間を打ち抜き、術式を粉々に破壊する。術が発動できず、空間を埋めた法力が霧散した。
 炸成術。二種類以上の力を合成させて剣気を生み出す、日暈家の血継術だ。大破壊力と高い術式破壊特性を持ち、日暈家が戦闘専門と言われる所以である。
「いってぇ……」
「っとと」
 二階に落ちる、宗次郎と結奈。それぞれ受け身を取って立ち上がっている。踊り場に残った慎一を見上げる。だが、言葉を交わす暇もない。空刹が二人の腕を掴み、非常階段のドアを開け、建物の奥へと消える。
「挨拶もなしかよ」
 慎一は破魔刀を抜いた。
 床を蹴る。
 破空の術をかけた刀を二閃。踊り場側面の壁を十字に斬り裂く。右手を引き、左手を突き出す。体組織を操る錬身の術。草眞の十八番。
 一拍の暇もない。鞭のように撃ち出された拳が壁を貫いた。手の平が触れたモノを剛力の術をかけて握り締める。男の右腕。分身や変り身ではない。
「当たり!」
 口元を緩め、腕を引き戻す。壁を突き破り、引きずり出される狐神の男。
 人間年齢にして二十代後半で、がっしりした体付き。長く伸びた狐色の髪と、尻尾が四本。白装束と濃緑色の羽織という簡素な格好。三級位の狐神蓮次。写真の通りの意思の強そうな顔に驚愕の色を浮かべ、慎一を凝視していた。
「うらあッ!」
 右手に握った刀を突き出す。
 胸を串刺しにされる直前、蓮次は慎一の腕を振り払い横へと跳んだ。衝撃を膝で受け流してから、階段の裏側に直立する。斜めに立っているような状態。
 壁や天井を移動する乱歩の術・壁歩き。
 左手を戻し、慎一は刀を持ち上げた。
「蓮次か? 見ての通り、足止めを頼まれた」
「銀狐に紺袴か。似合ってるな。美人だ」
 場違いなことを言う蓮次。言葉による駆け引きだろう。
「どんな感じなんだ? 他人になるというのは……? ましてや、男から女になるというのは? 疑似転生術。憑依とは違うのだろう?」
 慎一は気にすることもなく、右手を引いた。蓮次は迫撃戦を得意としている。五十年ほど前までは、神界軍に所属していたらしい。狐族は幻術などを交えて頭脳戦を好むことが多いと言われる。事実、そうだ。
「草眞の身体を手に入れた人間。あちこちで話題になっている」
 だが、戦えば勝てるだろう。冷静に分析する。
 問いは無視して、慎一は挑発するように自分の唇を左手で撫でた。くねくねと銀色の尻尾を動かして見せながら、冷淡に告げる。
「草眞さんに告白して、無言で殴り倒されたって本当か? 会ったことも見たこともない人間の男に、その身体を物理的に奪われるっていうのは、どんな気分だ?」
 ビシッ。
 と、音が聞こえてきそうなほどに、蓮次の表情が歪む。憤怒、憎悪、怨嗟、羞恥、嫉妬。そのような感情を混ぜ合わせたような形相。
「面白い挑発方法を教えてあげます――って」
 他人事のように、慎一は空笑いをした。
 空刹の助言通りに挑発してみたのだが、効果覿面。というか、効き過ぎ。触れてはいけないものに触れてしまったようである。
「あの人は!」
 慎一は刀を振った。飛燕の術によって放たれた剣風が、天井を穿つ。
 二人に分かれた蓮次が左右へと跳んでいた。分身の術だろう。どちらも同じ姿、同じ速度、同じ匂い、同じ法力。一見だけで見分けはつかない。
「その身体を手に入れたこと、後悔させてやる!」
 二人の蓮次が同時に叫ぶ。
 迷いもせず、慎一は跳んだ。分身は無視して何もない空中へと蹴りを叩き込む。足に跳ね返ってくる硬い手応え。何も無かった空間に、蓮次の姿が現れた。引きつった表情のまま、手槍の柄で足を防いでいる。
 それも一瞬。
「日暈を舐めるなよ?」
 視線でそう告げて、慎一は足を振り抜いた。狙い通りの軌道で蓮次が吹っ飛び、踊り場の窓ガラスを打ち破って外へと飛んでいく。
「お前はここで足止めする」
 慎一は後を追った。

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