Index Top 目が覚めたらキツネ

第2節 迎え来る


 尻尾を左右に動かしながら、大学への通学路を進む。
 リュックを背負い、刀を左手に持っていた。左肩にカルミアが掴まっている。
「誰も気づきませんね」
 カルミアは周りを歩く人間を眺めていた。
 妖精を肩に乗せ、銀色の狐耳と尻尾を生やした女。目立つどころではない。だが、道を歩く人間は誰も気にしていない。慎一とカルミアが存在しないように振る舞っている。
「僕の身体は狐神。普通の人間には見えないんだよ」
 術の技術を持たない人間には、神も妖も見えない。正確には見えてはいるが、認識されない。仮に認識しても、本能的に記憶を処理して忘れてしまう。
 カルミアは自分を示して、
「わたしは?」
「僕と直接関係するものも見えない。服もリュックも刀も、カルミアも」
 持っているものや一緒にいる人間も、認識されなくなる。目立ちすぎるものはその限りではないが、刀やリュックや妖精くらいなら見えない。
「しかし、本当に誰もいないな……」
 銀色の眉を寄せつつ、慎一は道の左右を見回した。普段なら物陰や植込みにちょこちょこと動くものが見える。しかし、今は何も見当たらない。
「何が起こってるんだ?」
「何が起こってるのかしらねぇ」
「!」
 慎一は弾けるように横に跳んだ。心臓を押さえ、肩で息をしながら、声の主を見る。驚きに逆立つ尻尾の毛。心臓が止まるかと思った。
 真横に車が止まっている。後部座席の窓が開き、結奈が顔を覗かせていた。
「やっほ」
「おー。これが慎一か、えらい美人だな」
 運転席に座っている宗次郎。スーツに似た灰色の服と、額に巻いた赤いバンダナ。
「先生?」
「俺、本名は樫切宗次郎。樫切分家の当主だ。驚いたか?」
 手短に自己紹介をする。
 樫切家。この地域を担当する退魔師の一族だった。霊符を得意としている。歴史は古いのだが、強さは並のやや上。慎一や結奈に比べれば弱い。
「知ってました」
 慎一は頷いた。無用な厄介事を避けるため、気づかない振りをしていた。宗次郎も慎一のことを気づかない振りをしていたので、お互い様である。
「ちぇ。つまらん」
 宗次郎は子供のように口を尖らせた。
 左右を見やってから、カルミアが挨拶をする。
「はじめまして、ソウジロウさん。カルミアです」
「おう。よろしく、カルミア。慎一、早く乗れ」
 応じてから、宗次郎は親指で後部座席を差した。
 慎一はドアを開けて車に乗り込む。カルミアも続いた。車内にはミントの香りが漂っている。消臭剤だろう。リュックを横に置き、刀を傍らに置いた。
 カルミアがリュックの上に座る。
「おはようございます。ユイナさん……」
 どこか怯えたように、結奈に挨拶をした。昨日の姿が記憶に残っているらしい。あれを何も知らずに目の当たりにすれば、トラウマになるだろう。
 しかし、結奈は明るく右手を振る。
「おはよ、カルミア」
「何が起こっているのか、分かっていること教えてくれ」
 車が走り出したところで、慎一は訊いた。状況把握が第一である。
 結奈に言ったつもりだったが、答えたのは宗次郎だった。
「俺が調べた限り、力のあるヤツは俺たち三人――カルミアを含めりゃ四人か。それ以外、意識がない。心当たりを全部巡ってみたけど、みんな同じだ。眠ってるでもなく、気絶してるでもなく、死んでるでもない。止まってるって表現が一番正しいな」
「あたしも調べてみたけど、原因は不明。病気や事故じゃないわ。術の仕業ね」
「止まってる……停時の術か?」
 慎一は狐耳を立てた。
 かけた相手の全機能を停止させる術。かけられた相手は眠ったような状態で、半永久的に変化しなくなる。成長も老化もせず、傷を負っても血も流れない。しかし、術の対象は一人で術式の難易度も高い。これほど大規模なものではない。
 なぜか得意げに腕組みをし、結奈は眼鏡の縁を光らせる。
「結界の一種よ。質、規模、効果ともに生半可なモノじゃないわね。術式が読めないどころか、術力の一端も見えないわ。効果範囲は街全体。およそ十万平方キロメートル」
「……文字通りじゃないか」
 術の規模に慎一は尻尾を萎れさせた。
「でもって、俺たちは街から出られない」
 振り返り、宗次郎が薄く笑う。怪談を話すように表情に影を落としていた。嬉しそうに口元を上げる。不謹慎なことに、この事態を楽しんでいるらしい。
 目蓋を下ろして視線で尋ねると、
「結界の境目から外に出られないんだ。歩いても車でも、外に向かってるはずが、気がつくと来た道を戻ってる。折り返しの瞬間は、俺にも結奈にも気づけない」
「ソウジロウさん、嬉しそうです……」
 カルミアが困ったように宗次郎を見つめる。
「退魔師になり、漫画に出てくるような大活躍を期待することはや二十余年。書類整理と鍛錬と、地味な逮捕劇に従事しつつ――」
 退魔師とは人外相手の警察官、稀に死刑執行人。普段は書類整理と見回りによる治安維持を行っている。派手な仕事とは言えない。
 宗次郎は涙を流し、狭い車内で拳を振り上げた。
「だが、俺には転機が訪れた……。今日、俺は伝説になる!」
「ま、先生弱いしねー。活躍するのは、あたしと慎一だと思うけど」
「くすん……」
 結奈の言葉に別の涙を流す。宗次郎の力を十とすれば、守護十家に属する慎一や結奈の力は、二百を超えているだろう。力の差は歴然だった。
 咎めるように見つめる慎一とカルミアに、結奈は飄々と笑い返す。
「敵の正体も目的も不明、今のところ被害なし。先生の話じゃ朝四時半にはもう結界は張られてたみたい。あたしが起きたのは五時だけど」
 慎一はジト目で二人を見つめた。
「そんな朝っぱらから何してるんだよ?」
「再来週に同人即売会」
「午後十一時就寝、午前四時起床。論文とか出版とか忙しい」
 即答する二人。締切りに悶えている姿を何度か見たことがある。慎一のような人間には想像もつかない世界があるのだろう。体験したいとは思わない。
「この状況、あんたはどう考える?」
 意見を求められ、慎一は尻尾を左右に動かした。
「目的はカルミアだろうな」
「わたし、ですか?」
 カルミアは両腕を広げて首を左右に振ってみせる。
「心当たりがありません……。何か心当たりあるかもしれませんけど、いくら考えても昔のことは思い出せないんです。嘘じゃないですよ。本当に思い出せないんです」
「一度動いたって記録はあるけど、詳細は書かれていなかったわ。あたしが知る限り、高度な魔術仕掛けの妖精人形であること以外、特別なことはないわね。分解すれば何か出てくるかもしれないけど」
 結奈の台詞に、カルミアは慎一の腕にしがみついた。いきなり分解すると言い出せば、誰でも怯えるだろう。だが、言っていることは正論だった。
 慎一は落ち着かせるように、指で背中を撫でる。
 ぱたぱたと手を動かす結奈。
「冗談よ。分解なんてしないわよ」
 長いもみあげを指で弄りながら、慎一は続けた。
「心当たりないなら、僕か結奈だな」
「でしょうね」
 両者とも守護十家の人間である。大量に秘密があり、恨みを買うことも多い。慎一の身体は狐神族第三位の草眞の分身。私恨で狙うものもいるし、身体そのものを狙うものもいる。動機からの推測では、被疑者が絞れない。
「どちらにしろ、次の変化を待つしかないな。この車どこに向かってるんです?」
「俺の家」
 宗次郎は答えた。

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