Index Top 我が名は絶望――

第2節 静かな睡り、へ


 唖然と見やると、ディスペアは虚ろな声音で言ってきた。
「俺には……もう、必要のないものだ……。お前の、自由にして……いい。売る所に、売れば……一生、遊んで暮らせるほどの……金になる……。だが、できれば……ずっと、お前が、持っていて……ほしい」
「それって……どういう?」
 硝子の剣を握ったまま問いかけるが、ディスペアは答えない。焦点の合っていないその眼差しは、自分から離れていた。
「フェレンゼ」
 今度は、右手に持っていたものをフェレンゼに差し出す。刀身のない金色の柄。それは見覚えないものではなかった。あのセインズが持っていた黒い大剣の柄である。
「これは黒曜の剣……現存する、本物のフルゲイトの遺産だ……。考古学の研究に使うなり……フルゲイトの解明に使うなり……好きに、使ってくれ……」
 そこでディスペアは口を閉じた。
 不規則な呼吸を数度繰り返してから、再び口を開ける。
「その代わり、と言っては……何だが……。ミストのこれからの……身の振り方を、何とかしてやって、くれないか……」
「分かりました」
 黒曜の剣を受け取り、フェレンゼは頷いた。
「ありがとう……」
 ディスペアは呟き、身体の向きを変え――
「待ちなさい!」
 ミストはディスペアに詰め寄った。後ろから肩を掴み、無理矢理自分の方に振り向かせる。抵抗はなかった。銀髪を揺らして、ディスペアが振り返ってくる。
 輝きを失った赤紫色の瞳の前に、ミストは硝子の剣の柄を突きつけた。
「何で、これをあたしに渡すのよ!」
「もう……いらない……からだ……」
「いらないって……」
 ディスペアの言わんとすることをうっすらと感じ取り、口ごもる。
 ゆっくりと瞬きをしてから、ディスペアは夜空に目を向けた。
「俺は……長くない……。持って、あと数分だ」
「死ぬの……? あなた――」
「そうだ……」
 答える声に、後悔は一片も感じられない。自分の行く末を覚悟した、穏やかな口調。ディスペアは自分が死ぬことを、完全に受け入れている。
 しかし、ミストはそれを受け入れたくはなかった。やつ当たり気味に叫ぶ。
「何で! あなたは不死身なんでしょ! それが何で死ぬのよ!」
「俺は不死身だ……。誰かに……殺されることは、ない……。だが……自ら命を使い切った、場合は……死ぬ……。俺は、セインズを殺すのに……限界まで、命を削り……お前を、生き返らせるのに……残りの命、全てを使った……。今は、惰性で……動いているに、すぎない……」
「じゃあ――」
 ミストは目元に涙が滲んでくるのを感じた。ディスペアの言ったことが頭の中で繰り返される。お前を生き返らせるのに、残りの命全てを使った――。ということは、
「あたしを生き返らせなかったら、あなたは生きていられたってこと!」
「そうだな……」
 ディスペアは迷いもなく頷く。
「なら、どうしてあたしを生き返らせたの!」
「俺は言った……お前の命を、借りる、と……。借りたものは……返す……。それに、お前には未来がある……。復讐のために……全てを失った……俺と違って、な……。ここで、死なせるわけには……いかない……」
「でも――」
 ミストは食い下がるが、ディスペアは制するように左手を上げた。それだけで、ミストは何も言えなくなる。目を瞑り、ディスペアは独白のように言葉を吐き出した。
「実を言うと……俺は、自分の死を望んでいた……。死ぬことのない、永遠の命……。人間にとっては……理想かもしれないが……俺にとっては、苦痛以外の何でもない……。俺の人生は、絶望と憎悪と復讐に……彩られたものだった……。ようやく……それを、終わらせる……ことが、できる……」
 言い終わると、小さな、ほんの小さな笑みを見せる。満足そうな微笑。それが、何を意味するのかは分からない。
 ディスペアはミストに背を向けた。
「俺は……ここで、死ぬ。墓は……いらない……」
 それだけ言い残して、今にも倒れそうな足取りで、森の方へと歩いていく。やがて、一本の木の傍らまでたどり着くと、その木に背を預けるようにして地面に座り込んだ。それきり、うつむいたまま動かなくなる。
「ディスペア――」
 声をかけるが、反応はない。
「ディスペア!」
 ミストは叫んで、ディスペアの元へ駆け寄ろうとした。が、肩を掴まれて足を止める。振り返ると、肩を掴んでいたのはフェレンゼだった。
 フェレンゼはゆっくりと首を横に振る。
「そっとしておきましょう。彼は自分から人生を終わらせることを選んだのです。それを、僕たちが引き止めることはできません」
「………」
「……行きましょう」
 フェレンゼの言葉に促され、ミストは無言のままディスペアに背を向けた。言葉は何も浮かんでこない。ディスペアの形見である硝子の剣の柄を抱きしめて、フェレンゼと一緒に歩き出す。
 そして、さら地と森の境目まで来たところで、ミストは足を止めた。一度だけ、後ろを振り返る。立ち上がったディスペアが追って来るという希望を抱いて。
 しかし、ディスペアは木の根元に座り込んだまま、指一本さえ動かしていなかった。本当に死んでしまったのかもしれない。
「さよなら……」
 囁くように別れを告げ、前へと向き直る。
 目元を手の甲で拭い、ミストは振り返ることなく歩き出した。

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